悪魔の私室1
悪魔の私室探しです。
「ねぇ、エルメアは旦那様の私室がどこにあるか知ってる?」
なんの前触れもなくわたしがお茶の用意をするエルメアにそう尋ねると、彼女はガチャガチャと茶器を揺らした。
普段ではありえないその無作法に、彼女が動揺しているのだということがよく分かる。
「……知ってるのね?」
改めてそう聞けば、エルメアは勢いよく首を横に振った。
一生懸命「知らない」と訴えているようだが、流石にこれで騙されるような神経はしていない。
「もう、どうして誤魔化すのよ? 何もおかしなこと聞いてないじゃない」
実際、屋敷のことについてここまで理解できてないわたしの方がおかしいと思う。
もちろんそれを教えてくれないのは周囲だけれど、自分の夫の私室がどこかもわからない妻など一体どこにいるというのだろう。
だが、エルメアはまるで泣きそうになりながら首を横に振るので、流石にわたしもそれ以上は無理に聞けなかった。
「ねぇ、貴方達。旦那様の部屋がどこか教えてくれる?」
かと言ってそう簡単に諦めがつくはずもなく、今度は廊下を行き来する獣人の女の子達に尋ねる。
「オクサマだー」
「オクサマ」
「ゴシュジンサマのお部屋〜」
「あっち〜? こっち〜?」
「わからない」
しまった。小さい子達は知らないのか。
後ろでエルメアがホッとしてるのが気配で感じ取れる。
これは知るのが難しそうだ。
でも、そこで諦めがつくのなら最初から聞いてない。
だからといって、他の子達に再度聞こうとしても、後ろにいるエルメアが吹っ飛んどしまいそうな勢いで首を横に振るのだから、他の子達も口を噤んでしまう。
……こうなったら彼女の目を盗んで聞くしかなさそうだ。
「ねぇドーラ、旦那様の部屋がどこにあるか知ってる?」
今セバスに一般常識と侍女としての仕事を習ってるドラートを、一緒にお風呂に誘ったときに尋ねてみた。
ドーラがいるから、とエルメアには外で待機してもらってる。今が一番のチャンスだ。
「…………どうして、そう、聞かれるのです、か?」
最近の彼女はセバスの指導で、何か聞かれたら必ず問い返すようにしている。
少しでもお互いの意志が理解できるようにする訓練だとか。
単純に会話慣れという側面もあるらしいけど。
……どうしてかと聞かれると困るところがある。
「わたし、まだ旦那様の私室がどこにあるかわからないの。だから知ってたら教えてほしくて」
「そうなのです、ね」
ドーラは納得してくれたようでそう頷いてくれた。
湯浴みが終え次第ご案内します、と無表情に答える顔からどこか嬉しそうな雰囲気を感じる。
「ありがとう、お願いね。ところで、どうして嬉しそうなの?」
わたしがそう聞くとドーラは慌てたような様子で顔を背ける。
それにどうしたのかと疑問を感じていると、ドーラは目線を下げたまま彼女らしくなくボソボソと声を出す。
「奥様、のお役に立てて、なんだかとても、嬉しい、と感じます」
この屋敷に来たときとは違い、彼女のその人らしい感情の動きに気が付き、わたしは胸に溢れる思いに耐えきれず彼女に抱きつく。
「っドーラはとても、とてもいい子なのね。優しい子! そして、とっても可愛い子ね!!」
わたしがかわいいかわいい、と彼女を抱きしめてると、ドーラは大きく動揺した。
「お、奥様、そのこれは、は、はしたない、のではっ? それに、その、当たって……っ」
お互いに布糸纏わぬ姿で抱きついたので、殊更ドーラは戸惑ったのだろう。
これまでも何度が抱きしめる機会はあったが、最初は抱きしめられる事自体に慣れない様子だった。
こんなに小さいのに、人肌に慣れないその姿からこれまでどんな状況に置かれていたのかが何となく察せる。
あの人は詳しくはわたしに教えてくれないけど、それでもこれまで彼が連れ帰ってきた子達のことを考えても、何かあるのは理解できた。
みんな、何かしらの思いや経験があるのだ。
………………わたしだって。
「ドーラ……」
大好きよ。とっても。
貴方も、貴方達もみんな。
それぞれ違う場所で生きてきた、全く知らない、何の関わりもない人達だったけど。
それでも、みんなここにいる。ここに集まった。
それはあの人が連れてきたからでもあるけれど、なんの関係もないわたし達が今こうして、同じ屋敷で、一緒に生活にしている。
まるで、それはまるで…………。
「大好きよ。大切な、大事なわたしの、わたし達の家族」
ドーラはぽかんとした様子で大人しくわたしに抱きしめられている。
わたしの言葉の意味を、彼女なりに一生懸命咀嚼してる。
そんな様子の彼女が可愛くて、愛しくて、わたしは更に力を込めて抱きしめる。
「……わたし、も。大切です。奥様のこと、皆さんの、こと」
そして、一生懸命、彼女なりに答えてくれるその言葉が、わたしは嬉しくてたまらなかった。
「っ大好きよ。とっても」
「はい」
お人形みたいにキレイな彼女が、その時子供らしく可愛い顔で笑って答えてくれていたことに、このときのわたしは気付かなかった。
それでも、抱きしめた彼女の肌がとっても温かくて、それがお風呂場の温もりだけではないことには、わかっていた。
「───こちらです」
そう言ってドーラが案内してくれたのは、初めにわたしが頼んだこの屋敷の主人の部屋。わたしの夫の部屋の前だった。
しかし、そこは予想していた屋敷の奥でも、中心でもない。ましてや執務室に近い部屋でもなかった。
「…………本当に、ここが彼の私室なの?」
そこは屋敷の玄関に一番近く、急な客人や招かざるお客を通す専用と説明された応接室のすぐ隣だった。
到底、屋敷の主人が使うような部屋の位置じゃない。
そもそも、ここは物置だとセバスも言っていた。
季節が移り変わる時に、ここからその時々にあった道具や家具を出すのだと。
たしかにそう説明を受けた。
「はい。ご主人様、はこのお部屋でお休みになられている、そうです」
「……貴方は誰からそう説明されたの?」
あまりに信じられなくて、つい重ねて聞いてしまう。
ドーラは何でもないことのように、セバスの名を出した。
「それから、以前旦那様、が夜中にこのお部屋に一人入っていかれるの、を見ました」
ドーラや他の使用人達でさえ、もっと奥に近い部屋を普段使っている。
こんなにも玄関に近い部屋は掃除以外で使うことはない。
一応玄関入り口の近くには使用人部屋が二つあり、一つはセバスが使用しており、もう一つはこの屋敷では決してないが客人が訪ねてきた時にすぐに対応できる者が控える部屋となっている。
しかも、現在はセバス以外は完全に使っていない。
掃除をしに獣人の子達が数人で来るくらいだ。
まだ仕事をしていない子ども達も、屋敷の奥に近い、わたしの部屋に近い場所で過ごさせている。
それは目が行き届きやすいのと、安全面を考えた上であの人とセバスが決めたことだ。
もちろんわたしには文句があるはずもなく、却って玄関に近い部屋を使用させるなんて聞けばそちらの方が文句が出る。
いや、だからこそ信じられない。
そんな使用人を置くのさえ戸惑うような場所に屋敷の、わたしの夫が部屋を持っているなんて。
そもそも、ここからでは食堂も執務室も一番距離があるではないか。……もちろん、わたしの部屋とも。
「……なぜ、夜中に貴方はこんな場所にいたの?」
思考の海に耐えきれず、ここまで案内してくれたドーラにそう聞けば、ドーラはあっけらかんと答えた。
「旦那様、があまりに静かにご帰宅、されたので侵入者ではないか、と様子を見るため、です」
それはその主人に対して失礼な言葉であるのだが、わたしの質問に素直に答えてくれた彼女をここで咎めるわけにも行かず、もうわたしはどうしたらいいのか分からなくなった。
「…………誰も教えてくれなかった理由って、この場所の問題だけ、なのかしら?」
そんな疑問は幸か不幸か、近くにいたドーラにも、誰にも届くことはなく空気に溶けて消えていった。
換気のために開けていた小窓から入ってくる冷たい風が、足下を冷やしてくる。
この薄い扉の向こうに、一体どんな光景が広がっているのだろう。
音にならないそんな疑問がふと、心を掠めた。