奥様の新生活2
「──それで、渡した本は読めてんのか?」
どこかからかうような口調で彼がそう聞いてきた。
わたしは、今日習ったばかりのマナーを意識しながら、食事をする手を止め、ゆっくりと彼を振り返る。
「ええ、とても参考にさせてもらっています」
どうだ完璧だろ! とは一切に声に出さず、ドヤ顔にならないよう心掛けながらそう返した。
すると彼は「フーン」とつまらなさそうにして、すぐにわたしから視線を逸した。
よし勝った!!
フフーンと鼻歌を歌いそうになって慌てて食事を続けると、クツリと笑う声が聞こえた気がしたが、彼の方を見ても何も無い様子だった。
わたしは気のせいかと思い、そのまま食事を続けることにした。
彼が意味ありげに、側に佇むセバスの方へ視線を向けていたことに、この時のわたしは気が付かなかった。
「あ、じゃあここの訳って『星の輝きに勝るとも劣らない婦人が朗らかに笑った。』ってこと?」
「……はい、直訳をすると『星のように輝く美しい微笑みを浮かべた婦人』となります」
「……それ『輝くように笑う婦人』じゃだめなの?」
「それは、……ここに星の名が記されているでしょう? この星は彼の有名なラブ・ロマンスの本を何冊も執筆された貴族女性の夫君が見つけた星にございます。夫君は見つけた星を一番に妻に見せ、そして彼女にその星の名を名付けてもらうことを願いました。そうして名付けられたのが、ここに記載されてあるとおり『コスモス・スター』という星になります。コスモスという花には『美しい』という花言葉があり、それを名付けられた婦人自身もまた『コスモス』という名を持っておられたお美しい容姿のお方であったという話があり、それを元に……、……奥様?」
長々と語られる話に段々とついていけなくなったわたしは、ついポカンとしてしまった。
その様子に気がついたセバスさ、……セバスが声を掛けてきたことで、わたしが如何に阿呆な表情をしていたかが窺い知れる。
「……星の名付け親から解釈するのはまだ分かるわ。でも何で花言葉の意味まで考えるの?」
「それは……、星の名の由来そのものだからとしか言えませんね。このように幾重にも曲解を並べ、その意味を全て読み取ることができることが、貴族婦人には大切だと世間では思われています」
「いや、絶対おかしいわよそれ」
つい反射的に言い返してしまったが、セバスはニッコリと笑って勉強の続きを促してきた。
「────それをできる方が言えば酌量の余地がありますが、奥様には少々早見かと思われます」
それからすぐ、わたしの頭がパンクして白熱を上げた頃に、セバスはそう言った。
いや、これ全部読み取れる婦人って何者よ。
もはや暗号じゃない!
ただでさえも読みにくい字で書かれているのにっ。
この後、名誉挽回のつもりで洗濯を手伝ったのだが、元居た家とはだいぶ勝手が違い散々迷惑をかけた。
もう、セバスには頭が上がらないわ。
せめて料理は! と思ったけれど刃物を扱う許可が降りなかったため、ほとんど何もできなかった。せいぜいセバスが切り分けた野菜を煮込んでスープを作るぐらいだった。
セバスは何度か「経験があるのか」と同じ質問を繰り返していた。
何度も「以前住んでたところで身に付けた」と言い張ったけれど、毎度不思議そうな顔をされた。
……もしかしてわたし料理音痴だったのかしら?
できたスープを旦那様に飲ませたら「いつもと作り方変えたか?」とすぐにバレた。
わたしが作ったと怒られる前に白状したら、彼は苦い顔をした。
本当に料理音痴だったのかもしれない。
それからセバスには「厨房に入らないでほしい」と言われてしまい、できることが全体的に増えたのか減ったのか分からなくなってしまった。
「今夜から出る。俺はしばらく居ないから、お前はセバスと仲良くしてろよ」
珍しく朝から朝食の席にいた彼が急にそんなことを言った。普段給仕してくれるセバスがおらず不思議に思っていたのだけれど、今はその彼が主人が屋敷を空ける準備中らしい。
「え、そんな急に……?」
「これからもこんなことは日常だ。早く慣れろ」
彼はすでに食事を終えたのか、早々と立ち上がり食堂から出ていく。
わたしはその場でぽかんと呆気にとられるしかなかった。
「ねぇ、本当にこんなことが何度もあるの?」
「……旦那様のことですか? ええ、あの方はいつも急にお出になられます」
その晩から本当に姿を見せなくなって、いつ帰ってくるのかも分からないまま数日が過ぎた。
屋敷の主がこんなに帰ってこないことがあるのかと思いながらも、居ないことで少し気の抜けた生活を送っていた。
しかし、それにしても何の音沙汰もないのかと、毎日本を参考書にマナーのレッスンをしてくれるセバスに聞いてみれば、彼はあっさりと首肯した。
「実際、旦那様が奥様をこちらに連れ帰っていらした時も、半月ほどはこちらにお帰りになられませんでした」
「……そういえば、そんなことも言ってたわね」
セバスとあの人との出会いは、家事の合間や授業の合間に何となく聞いていた。
急にやってきたなんと横暴たる男、という感想を抱かないわけにはいかなかった。
彼がこの屋敷の正式な主となる契約は何故かあっさりと済んだらしいが、彼はそれから「出張だ」とか「しばらく帰らん」とか言って何かと屋敷を空けることが多いらしい。
セバス自身も初めは「一体どういうことだ」と問い詰めたらしいが、彼は結局何も答えなかったそうだ。
「……ほんと、なんて男なの」
それが気分なのかどうなのかは知らないが、無責任にもほどがある。
連れてくるだけ連れてきて、わたしのこともほとんど放置だし。
この屋敷だって、執事さんの大切な屋敷を強引に奪ったにも関わらず執事さんに任せて自分は外出ばかり。
「…………ですが、」
わたしが愚痴をこぼすと、セバスがゆっくりとだが言葉を続けた。
「ですが、旦那様の行動は何故か……憎み切れないのです」
「……どうして?」
わたしだって、別に彼のことは好きじゃないけど、……だからって嫌いでもなかった。
自分でもその理由はなんとなく分かっているつもりだ。
だから、セバスが言いたいことも、本当はなんとなく分かっていた。
「旦那様は、以前の主に固執し現実の見えていなかった私を解放してくださいました。……そして、こんな老いぼれでもこの屋敷の執事として、旦那様が住む屋敷の管理を任せて頂きました。……きっと、ここから追い出されていれば、路銀も持たぬ私は路頭に迷い、野垂れ死んでいたでしょうから」
セバスはそう言って、少しばかりだが口角を上げた。
決して笑っているわけじゃないけれど、彼が語るあの人に、少しばかり感謝を覚えるかのような表情だった。
わたしも、あの人とはあんな出会いだったが、あの状況から助けてもらったことに間違いはない。
もし、それがあの人の気分だったとしても、あのまま何もなかったらわたしは本当に危険な状態だったのかもしれない。
そう考えると、あの時あの場で彼に出会えたことは幸運だった。
こうして、一日のんびり穏やかに過ごせるのも、あの人のおかげと言える。
ものすごく残念なことだけど。
「……でも、それにしたって勝手すぎるわ! あの人、わたしをここに連れてきたとき何て言ったと思う?! 家から出ることは一歩たりとも許さない、っよ!? おかげでわたし、お使いにすら行けないで屋敷に籠もってることになるじゃない!!」
それでもやはり不満は出る。
外が駄目なら庭ぐらいはいいのかと聞けば、雑草と虫ばかりの庭にどんな用だと一蹴りされた。
どんな束縛だ! あの見た目と態度でまさかの束縛系だったのか。
あの人が本当にわたしに気があるなら、その拘束力が末恐ろしい。
ここに来て初日は、あの部屋から出ることさえも禁止されてた。
『もし勝手に部屋から出て来たら、犯すからな』
犯されたいんなら別だが、とまさに悪魔のように笑って言っていた。
…………彼は、本当にわたしのことをどう思っているのだろう。
そう感じるのも、仕方のない扱いだった。




