チン棒論
これこそ私が見ているものであり、私を悩ましているものである。
私はあらゆる方を眺めるが、どこにもわからないものしか見えない。
自然は私に、疑いと不安の種でないものは何もくれない。
――――ブレーズ・パスカル 哲学者
知り合いが陰謀論にどハマりした。
T元大統領がニンテンドーDSと戦っているとか、スナイパー小屋から放たれる必中の魔弾とか、ポゥ!の人がピーターパンになって実は生きてるとか、うろ覚えだがそんな感じのヨタヨタした話を耳に流し込まれている最中、筆者の脳はある一つのことを考えていた。
すなわち、陰謀論があるのならチン棒論があってもいいのではないかと。
チン棒論とは何か?知らない。響きだけで適当に考えたから。
名が先にあって意味が定まっていない言葉というのは、なかなか珍しいのではなかろうか。ではこの生まれたての言葉に意味を与えてやらねばならぬ。
まず、字面を観察する。チン棒論。チン棒・論だろうか?するとチン棒に関して論ずる、という事になる。まあチン・棒論ではないだろう。前者のほうが意味が通りそうであるので、チン棒・論を採用する。
さて、チン棒論=チン棒に関して論ずる、と定義すると、一つ疑問が生じる。チン棒とはなんぞや?
それは当然、ペニスである。ちんぽ・棒という言葉が結合し、チン棒となったのだ。このような成り立ちのことばを複合語、と言う。例えば「食べ物」。食べる+物が結合したことばだ。同じようにちんぽ+棒が結合したとして、何の違和感もなかろう。1+1が2であるように、極めて自然である。
つまり、ペニスという言葉を強調するため、ちんぽ+棒の近い意味を持つ二語をスクラビルド(筆者はゼルダの伝説ティアーズ・オブ・ザ・キングダムを応援しています。アハァッと嬉しそうにスクラビルドしたチン棒を掲げるリンクを想像してみるがいい)で結合したスペシャルペニス、チン棒について論じる。それがチン棒論だ。
しかし、ちんぽを論じたらチン棒論、これはあまりにも安直ではなかろうか。
泌尿器系の論文が半数くらいが筆者の脳裏に突然生えてきたチン棒論という言葉に塗りつぶされてしまうのは、あまりに忍びない。医学会からしたら強姦のようなものであろう。
であるなら、忖度してチョットことばの意味を狭めよう。そもそもこのことばは「陰謀論」ということばの響きにインスパイアされて生まれたのは明らかだ。であるなら、意味も陰謀論に寄り添っても良いのではないか。突然チン棒論とかいう謎ワードに寄り添われる陰謀論の気持ち?知らな~い。
チン棒論に寄り添われてぶすくれている陰謀論くんはさておき、陰謀論から意味をとったことばとすると、「チン棒に関連する陰謀論」と、こうなる。これには巻き添え事故を回避できた泌尿器科系の医師・学者もニッコリであろう。
じゃあチン棒に関連する陰謀論って何よ。そんなもんあるわけねえだろ。いや、ある。一例としては「包茎は全く恥ずべきことではなく生物学的に全く当然の構造であるが、チンポの皮切りを生業とする医者や業界による一種の洗脳広告により、恥ずべきこと、と思い込まされている」というものである。男性諸君なら一度は耳にしたことがあるのではなかろうか?「諸外国では包茎が普通」や、「露茎は半自然的であり本来は淘汰されるべき遺伝子」と続く場合もある。
筆者の知人(冒頭の知り合いとは別な、比較的マトモな人物である)はこの珍説をバレンタインデーにチョコを配るという風習を根付かせたチョコレート販売企業や広告代理店の販促戦略に絡めて力説していた。突如包茎に絡められるバレンタインデーの心境は幾ばくか。チン棒論に寄り添われる陰謀論はともかく、こちらは同情の余地がありそうである。特に、命日を勝手にチョコ配る日にされたりちんぽの話に登場させられたりする故バレンタイン氏。
ところでこのチン棒論はなんとなく一定の説得力を持っているように感じる。
ユダヤ教やイスラム教では割礼と称してガキのちんぽの皮を切る。割礼式とか言ってよく分からんパーティーをする国もあるそうだ。ちんぽの皮切るパーティーとか何よ。何するんだ。食うのか。それはさておき、男たちが我先にとちんぽの皮を切ろうとする、この時動く経済的エネルギーたるや、凄まじい物があろう。衛生的観念から包茎手術の施術を生業とする奴がずる賢ければ、このようなムーブメントを引き起こそうと画策するのは、まあありえない話ではないと思う。
そして実際、初期の包茎手術を啓蒙する広告は、感情を煽り立てるようなものだったという。
包茎は臭い、汚い、そして「モテない」。
昨今も様々な業界・媒体においてよく見られる、コンプレックスに漬け込んだある種の脅迫的な広告だ。臭い汚いはともかく、この「モテない」は強烈だろう。ニキビの目立つ純朴な昭和青年とか一発で騙されそう(偏見)。
じゃあこれ陰謀論じゃないやんけ、純然たる真実じゃん?
そんなことはない。
確かに包茎業界は「包茎の恥」を焚き付けはしたかも知れんが、そもそも包茎というのは最初から恥である。
江戸時代あたりからもう恥じらっていたという記録もあるそうな。
「ちんぽの皮を切らない奴は恥ずべき」という脅迫広告が劇的に機能したのも、「包茎は恥」というある種の土着的羞恥が存在しなければありえないことだろう。
そもそも「本来包茎は恥ではない、本来は包茎が自然で~」などと謳っている奴はおしなべて包茎だ。間違いない。
自分のちんこの皮を切ることを恐れ、包茎ちんぽを直視したくないがために嘯く、恥ずべき悪徳である。
恥を知れ恥を。しかるのち、皮を切れ。
俺は切りたい。早く切りたい。誰か助けてくれ。
完
なんか意味深でカッコイイ引用とかしてみたかったわけ。んで生まれて初めてやってみたんだけど(前書き)、きもちいいねこれは。脳汁がドバドバでるぞ。うおおおお!!
クソみたいなシモ駄文に引用されるパスカル氏の気持ち?さあ……