(14)
「まいったな……まさか君に討ち取られるとはね」
ふう、とため息を吐き出してうなだれるザッツに、オルニスが赤い法衣の生徒を連れてやってきた。
「素直に総大将戦にもちこめばよかったものを、欲張って『戦乙女』に手を出そうとするからだ」
上空で羽ばたいていた青白い鳥が、赤い法衣の神法学科生の肩にとまり、すうっと消えていく。フードを取ったその顔を見て、ザッツは目をみはり、苦笑した。
「なんだ、そこにいたのか」
シータの隣に並んだファイに、ザッツは「完敗だ」とつぶやいた。
去年、敗れた『紅玉の騎士』であるレイヴンにタウは縄をかけなかったが、今年は違った。最初からシータを狙っていたことで武闘学科生たちの怒りを買ったザッツは、何重にも縛られたうえに尻を蹴られながら進まされ、凱旋でさんざん見せ物にされた。
セムノテース川もあわせてゲミノールム側の完全勝利で終わった交流戦の後は、興奮をそのままに気分を一新させる舞踏会だ。
舞踏会用の衣装に着替えたトルノスたちは、武闘学科の二、三回生が集まっているところへ顔を出した。
「アルスさん、パンテールさん、シータさんはまだです……か」
きょろきょろしながら輪に加わった一回生が、そろってかたまった。
「シータなら目の前にいるぞ」
オルニスがにやりとする。
濃い緑青色のドレスを身にまとうシータは、下ろした髪の下部をゆるくたて巻きにして左肩から前へ流していた。ウェーナに相談に乗ってもらい、今年は少し大人っぽさを演出してみようということになったのだ。
「……変、かな?」
背丈もないし、やはり色気がたりないかと思ったシータに、一回生たちはぶんぶんと勢いよく首を横に振った。
「すごくきれいです」
口をそろえてほめちぎるマルクたちの中で、トルノス一人が真っ赤な顔でぼうっとシータを見つめている。あまりにも微動だにしないので、ついにマルクにどつかれた。
それからシータたちは、今日の交流戦について話した。総大将や副大将に当たらないかぎり大丈夫とシータは言っていたが、見事なまでに相手の大将が二人一緒に来てしまい、大変なことになったので、シータはみんなから叱られた。
「だから見学しておけと言ったのに」
「考えなしには動かないって堂々と宣言していたのは誰だっけ?」
「護衛が全員やられたとたん、あいつに向かって突進していったよな」
「だって、護符が発動したピュールごと私を刺そうとしたのよ」
あり得ないわよとぷんぷん怒るシータに、ピュールが嘆息した。
「何のために盾になったと思ってるんだ、お前は」
「見ていて肝が冷えました」とマルクもうなずく。
「結果として勝てたからよかったけど……というか、彼の指を全部つぶしてやればよかったのに」
プレシオが冷ややかに吐き捨てる。指輪を外さないならシータの中指を切り落とすと発言したザッツの噂は両学院に広まり、非難と恐怖をまき散らしたのだ。
「あそこまで気のふれた奴だったとはな。総大将のくせに、敵総大将を放っといて女に行くか、普通?」
オルニスがあきれたさまでぼやき、パンテールもこぶしを口に持っていった。
「そう言えば、学院祭でも人目をはばからずシータにべたべたしていたな」
「でも、指輪の贈り主がそばにいるって気づいてからは、少し距離をとってくれたよ。だからわかってくれたのかと思ってたんだけど」
「そのときから『戦利品』にするつもりだったってことだね。今回、風の法専攻生を一人残らず追い落としていたから、ファイに対しても相当な敵意があったんじゃないかな」
空を飛べる風の法専攻生は敵軍の状況を俯瞰できるため、優先的に排除されやすい存在ではあるが、それにしても風の法専攻生への仕打ちが徹底的すぎたと、プレシオが言う。今年ゲミノールム側の風の法専攻生はみんなファイになりきっていたので、向こうも動揺して過剰攻撃になった可能性も否定できないが。
「ま、何にせよ、君が無事でよかったよ」
「うん。ピュールたちを送り出してくれてありがとう、プレシオ」
シータの礼に、プレシオもようやく笑みを浮かべた。
「どういたしまして。代表のダンスの後の一番手は、僕で頼むよ」
「お前、それが狙いだったのか」
オルニスが半目でプレシオを見る。
「はい、次は俺とお願いします」
トルノスが手を挙げたが、二、三回生に却下された。
「シータと踊るのは今年が最後だから、ここは三回生が最優先だ」
「次は二回生だから、一回生はその後だよ」
オルニスとパンテールの言葉に、一回生が「えーっ」と口をとがらせる。そこへイラールが声をかけてきた。
「オルニス、『戦乙女』と話がしたいんだが、どこにいるか知らないか?」
「シータと? なんでだ?」
スクルプトーリスの副大将の登場に、全員が警戒姿勢を取る。それに肩をすくめながらイラールが答えた。
「うちの馬鹿総大将のせいで、ゲミノールムのお嬢さん方が怖がって相手をしてくれないと、みんなが嘆いているんだ。だから俺が代表で謝罪に来た」
シータたちは周りを見回した。確かに、いつもなら舞踏会の開始前から積極的な生徒たちは交流しているのに、今年はスクルプトーリス学院の男子生徒が近づくと、ゲミノールムの女生徒は悲鳴をあげて逃げている。
「その馬鹿総大将はどうしてる?」
「あそこで包囲している。俺が出向くと言ったらついてこようとしたから、武闘学科の威信にかけてみんなで取り押さえた」
だから安心してほしいと懇願され、オルニスがシータをふり向いた。
「――だそうだ、シータ。さすがに気の毒だから、受けてやってくれるか?」
みんなより背が低いうえにかばわれていたため、イラールからはシータが見えなかったらしい。プレシオたちが下がって道を開けたとたん、イラールが「え?」と目を丸くした。
「おいおい、冗談だろう。ザッツを打ち負かしたあの猛者が、どうしてこうなる」
「お前、いくら何でも失礼すぎるぞ」
オルニスがゲラゲラ笑いだす。あんまりな言い方だとシータもちょっとふくれた。
「ああ、悪い。しかし……驚いたな」
イラールは伏し目がちに髪をかいた。
「去年の舞踏会で君に一目ぼれしたとザッツから聞いていたんだが、今年スクルプトーリスの学院祭に来たときは武闘学科生の正装だったし、今日の戦いを見ても、てっきり勇ましい子だとばかり思っていた」
「いや、間違いなく『勇ましい』ぞ」
「気に入らない奴は、有無を言わさずたたきのめすのが信条だ」
「授業中どころか、休み時間も暴れ回っている」
「ちょっと」
言いたい放題の仲間たちに、シータがむっとする。イラールも盛大に吹き出してから、「謝罪を受けてくれないか」と言った。
シータがうなずくと、イラールがその場で片膝をつく。先にイラールがオルニスたちのもとへ歩いていくのを両学院の生徒は見ていたようで、一瞬のざわめきの後、場が静まった。
「我が学院の総大将が大変失礼なふるまいをしたことを、副大将としてお詫びする。ついては舞踏会で一曲この手を取っていただき、両学院の友好の証とさせてはもらえまいか」
イラールが胸に左手をあて、右手をシータへと差し出す。
シータは少し離れた場所でラティオたちといたファイを見た。本当は、最初の代表のダンスで黄玉同士が組んで踊ることになっていたのだ。
イラールの手を取ればファイとは踊れなくなる。まさかこういう形の謝罪になるとは思っていなかったシータは、ためらった。
ファイが近づいてきて、シータの背中に手を添えた。
「いいよ、行っておいで。でも、最後のダンスは誰にも譲らないから」
『黄玉の賢者』の許可が下りたことで、シータも『黄玉の戦乙女』としての務めを果たそうと決めた。イラールの手に自分の手を重ねると、イラールがほっとした表情で黄玉二人に頭を下げて立ち上がる。そのままイラールはシータを連れて会場の中央へと進み出た。それを合図に、両学院の代表たちが腕を組んで集まってくる。
「なるほど、恋人は彼だったのか。邪魔をしてすまなかった」
ダンスの体勢を取るシータに、イラールが申し訳なさそうな顔であやまる。
「戦でのあの連携は見事だった。ザッツが惚れるのもわかるが、さすがに勝ち目がないな」
それには微笑で応じ、いつオルニスと仲良くなったのかとシータは尋ねた。
「戦が終わってから話をしたんだ。気のいい奴だったから、武闘館で会うのが楽しみだ」
君の同期生になるこちらの武闘学科の代表を後で紹介させてほしいと言われ、シータは承知した。それならパンテールやピュールたちにも引き合わせようと。
にこやかに踊るシータとイラールを目にして、ゲミノールムの生徒たちもようやく警戒を解いたらしい。代表のダンスが終わり、両学院の生徒が自由に行き来する頃には、例年通りあちこちで談笑の輪が広がった。
シータはというと、イラールの後はプレシオ、オルニス、アルス、さらにはラティオやタッシェたち神法学科生までが声をかけてきたので、順番に踊った。その後イラールがスクルプトーリス学院の武闘学科二回生代表と他数名を連れてきたため、ゲミノールムの武闘学科二回生とともに交流戦の感想で盛り上がった。
相手側の代表たちからダンスを申し込まれたので、それぞれ一曲だけ付き合うと、しびれを切らしたトルノスやジェソたち一回生が押しかけてきた。時間的に全員は無理だとわかった一回生はもめにもめ、トルノスとジェソがシータと踊る権利を獲得した。
会場にいる間、ずっとザッツの視線を感じていたが、ザッツはシータに接近するのを両学院から禁止され、常に誰かが見張りについていたので、そばに来ることはなかった。それでもしつこくつきまとうまなざしに辟易して、外の空気を吸ってくると言ったシータに、トルノスが護衛としてついてきた。
「風が気持ちいいですね」
ダンス会場となっている大会堂から出たとたん、大きくのびをするシータに、トルノスも夜空をあおいで目を細める。
「夕方までここが戦場になっていたとは思えないよね」
中庭へと足を運びながら、シータも苦笑する。噴水池は静かに水をあふれさせていて、たまに木々が風を受けてそよぐ音が聞こえてくる。
会場を抜け出した生徒は他にもいたが、みんな二人連れで、仲よさそうに寄り添っている。彼らをちらちら見てはうつむいていたトルノスが、やがて意を決したようにシータを見据えた。
「シータさん、最後のダンス……あいつと踊るんですよね」
「……うん」
シータもトルノスをまっすぐに見返した。トルノスはきゅっと眉根を寄せ、風に揺れる木々に目をやった。
「あいつの法術、すごかったです。炎の法を使いながら風の神の使いを操って……普通は御使いを通して攻撃するなんてこと、学院生にはできないんですよね。しかも一番難しいと言われている風の法なのに」
直接風の法を飛ばさず、御使いを媒介にすることで術者が近くにいないように思わせたのも、ファイが称賛された点だった。それにより、ザッツたちもファイがすぐそばにいることになかなか気づかなかったのだ。
「なんで俺、一年早く生まれてこなかったんだろうな……シータさんがあいつと出会ったのも去年ですよね? 同じ時期に俺も出会ってたら、絶対負けなかったのに」
悔しそうにこぶしをにぎるトルノスに、シータは何も言えなかった。
トルノスの気持ちは嬉しいけれど、自分はファイが好きだ。今日も、信頼するファイの援護があったからザッツ一人に集中できた。みんなの仇を取ることができたのだ。
「シータさんも格好よかったです。これぞ『戦乙女』だって思いました」
「でも、黄玉の立場は私には不便だよ。だから来年は違う人に投票してね」
自分が黄玉でなければ、護衛をつけるなどという面倒で負担になるようなことを仲間に強いる必要もなかったのだ。
あやうくピュールを自分と同じ目にあわせるところだった。そう思うと、ザッツの行動は本当に許せない。
「それは無理です。今日のシータさんを見て、来年も絶対投票しようってみんな言ってましたから」
「ええーっ、なんでそうなるのよ」
がっくりうなだれるシータに、トルノスは笑った。
「シータさん、俺は……望みが薄くても、やっぱりシータさんが好きです。だから……俺が二回生になったとき、三回生のシータさんを支えます。一回生もビシバシ指導します。来年の交流戦も絶対に勝ちましょう」
「うん……頼りにしてるよ」
シータが微笑んで手を差し出すと、「はい、任せてください!」とトルノスも力強くにぎり返してきた。
二人が会場に戻ると、もう最後のダンスに向けて生徒たちが誘い合っているところだった。女生徒に囲まれつつもシータを捜していたらしいファイは、一緒に大会堂に入ってきたシータとトルノスに眉をひそめたが、たくさんの生徒からダンスの申し込みを受けるシータをトルノスが守りながらファイのほうへ導いてきたため、顔からけわしさを消した。
「じゃあ、俺は帰ります」
無事にシータを送り届けたトルノスが、一度ファイを見やってからシータに言う。
「ありがとう、トルノス」
礼を口にするシータに頭を下げて、トルノスがきびすを返す。そのまま大会堂を出ていくトルノスの背を凝視していたファイの袖を、シータはそっと引っ張った。
「ファイ、周りがちょっと怖いんだけど」
シータに耳打ちされて、ファイははっとしたさまで周囲を見た。せっかくシータが来たのになかなかダンスの申し込みをしないファイに、やる気がないなら奪おうと包囲網がだんだんせばまってきている。
「最後のダンス、僕と踊ってくれる?」
「もちろん、喜んで」
二人のやり取りを聞いて、やはりだめかと残念そうにしながら男子生徒たちが散っていく。遠くのほうから刺さるザッツの視線を無視し、シータはファイと腕を組んだ。
「もしかしたら踊れないかもしれないと、今年も心配するはめになるとは思わなかった」
最初から敵の副大将にさらわれるし、とファイがため息をつく。
「さらっと送り出してくれたのはファイじゃない」
「あの場で断ったら、彼の面目がつぶれるよ」
しかもシータはその後ずっと、ひっきりなしに誘われて踊り続けていたのだ。最後のダンスの直前まで捕まらなかったことをファイが気にしてくれていたと知り、シータは嬉しくなった。
今なら言えるかもしれない。少しだけ不機嫌そうに唇をかたく結んで歩くファイをちらりと見てから、シータはファイの腕にそっと頭を寄せた。
「……大好きだよ」
ざわめきの中にこっそりと忍ばせた、小さな小さなつぶやきは、しかしファイに聞こえたらしい。ぴくりと肩が揺れ、ファイがシータを見下ろした。
「……よりによって、どうしてここで言うかな」
これから至近距離で顔をあわせて踊るのに、とぼやくファイの耳が赤くなっている。そうだったと、シータの頬も熱をおびた。
動揺を抑えようと周囲に目を向けると、アルスとウェーナが幸せそうに腕を絡めていた。また、ローは幼馴染のティスベを連れている。オルニスが一緒にいるのは、粉蜘蛛騒動の後にできた新しい恋人だろうか。
向き合ってファイの肩に手を置く。去年よりほんの少しだけ自分の背はのびたが、それ以上にファイは高くなっていた。
「届きにくいなら、もっと寄る?」
「……うん」
顔は見えにくくなるけれど、そばに行きたい。触れ合いそうなほど近づいたとき、曲が始まった。
さすがに今年は人の足を踏みそうになることも、転びそうになることもない。ただ、最後のダンスで高鳴る鼓動だけは去年と変わらなかった。
来年の舞踏会にファイはいない。だからてのひらに、指先に、少しでもたくさんのぬくもりを刻んでおこうとシータは思った。
二年間、ここでファイと踊ったのだという記憶を、いつまでも忘れないように――。
『水の女神がまどろむ月』も終わり頃、卒業式がおこなわれた。卒業生代表のあいさつは生徒会長だったローが務め、式後の代表戦ではオルニスとアルスが激戦を繰り広げ、引き分けで場を盛り上げて無事に終了した。
「今日は泣かないの?」
記念の花をもらおうと在校生が卒業生を追い回している中、少し離れた場所で対面したシータにファイが尋ねる。
去年はあんなに大泣きしていたのにと言われ、シータは恥ずかしさに視線をうろつかせた。
「だって去年はみんなと仲良くなってすぐだったし、一気に四人も抜けちゃったから。これからファイと毎日会えなくなるのは寂しいけど、ファイはイオタたちと違って、特別なとき以外は家から通うんでしょ?」
神法学院に入学した生徒は乗合馬車も利用できるが、多くは寮に入る。しかし風の法専攻生のほとんどは『翼の法』で通っているという。
「話したくなったら押しかけるから」
もしファイが忙しくしていたら、顔だけ見て、一度ぎゅっとしてから帰ると笑うシータに、ファイはほんの少し眉尻を下げた。自分の花を取ってシータの胸元に差してやりながら、ぽつりとこぼす。
「正直、君をここに残していくのは心配なんだけど」
「大丈夫だよ。私だってもう三回生になるんだから、今までみたいに問題起こしたりしないように気をつけるし、何かあってもこれがあるから」
シータが左手の中指にはめている指輪を見せると、ファイが小さくため息をついた。
「そういう意味じゃないよ。君は本当に……」
そしてシータの左手を取り、ファイは中指をそっとなでた。
「ここに指輪をはめる意味は、もうわかってるよね?」
一度も話題にしなかったが、学院祭の日にイオタたちから聞いたはずだとファイも予想がついていたらしい。伏し目がちにうなずくシータに、一呼吸置いてファイは続けた。
「僕としては、このままはめておいてもらえると嬉しいけど……前にも説明したように、都合が悪くなればそう言ってくれれば、すぐ外すから」
「そんなこと言わないよ。ファイがくれたものだもの」
今、それだけは断言できる。ぱっと顔を上げて反論するシータに、ファイの青い瞳が揺れた。何か言いかけて口を閉じる。それを数度繰り返してから、ファイはようやく語りだした。
「まだ秘密なんだけど、神法学院を卒業すると同時に教官になる話をもらっているんだ。もちろん今の成績を維持するのが条件だし、本来は副教官の経験を積んで上がるところをすっ飛ばすぶん、在学中に指導してもらうから、かなり忙しくなるけど」
風の法の教官は本当になり手がいなくて危機的状況らしい。飛び級の誘いは去年断ったのだが、今年特待生試験に無事に合格したときに、神法学院の学院長と風の法担当教官に呼ばれ、とにかく引き受けてくれと懇願されたのだという。
もともと父のように、神法学院で教官として働きながら薬司の任にも就きたいと思っていたので、ありがたい話だとファイも素直に承知したらしい。
「ファイなら絶対なれるよ」
「うん……それで、君はたぶんそのまま武闘館に進むよね。僕のほうが一年早いから、君が卒業するまでに、できるだけ生活環境を整えておこうと思ってる。だから……もしそのとき、お互いの気持ちが変わっていなければ……君の卒業後、迎えに行っていい?」
「迎え……」
一瞬何のことかと考え、じわりと意味がわかったとき、シータは動揺するあまり悲鳴をあげそうになった。
耳が焼けるように熱くて痛い。きっと顔も真っ赤になっているに違いない。
「いいの? ファイは家でも研究してるのに、私がいたら邪魔にならない?」
「前にも言ったよね。君がいたらにぎやかになるのは、覚悟してるよ」
ファイが静かな苦笑を漏らす。
「君のことだから、毎日とはいかなくても何か突飛なことをやらかしそうだけど……それでも僕は、君と一緒にいたい」
静かにしてほしいときはそう言うからというファイの言葉も、ふわふわ素通りしていく。
五年――自分の武闘館卒業も入れたら、六年後の約束。まだまだ先のことだし、どうなるかわからないという点は変わっていない。それでも不思議と、すとんと受け入れられた。
やっぱりこれだ、と思ったのだ。ずっと先まで見通せる道――自分のつむいでいく未来は。
「今の時点での返事を聞いても?」
「あっ……はい。よろしく……お願いします」
シータがわたわたしながら頭を下げると、ファイが安堵したさまで顔をほころばせた。
「これも……そのときには、ちゃんと正式なものを用意するから」
まだにぎったままのシータの左手の中指に、ファイがそっと接吻する。
「……うん」
ファイの笑みと行動にぼうっとみとれていたシータに、ファイがゆっくりと顔を近づける。周囲で「うわっ」とか「きゃあっ」とか響いた叫び声に、シータは我に返ってびくりと身をすくめたが、ファイは構わず唇を重ねた。
「……私、もう一年ここで過ごすのに」
解放されたシータが手で顔を覆う。全学年の生徒にばっちり目撃されてしまった。恥ずかしすぎて明日から登校できないかもと涙ぐむシータに、しかしファイはすまして答えた。
「僕には、一時の恥より予防線の重ねがけのほうが大事だから」
「ファイ……変わりすぎじゃない?」
「変えたのは、君だよ」
集まってくるたくさんの視線の中、シータの手を引いて歩きだしながら、ファイは青い瞳を弓なりにした。
『風の神が駆ける月』に入り、ゲミノールム学院は新入生を迎えた。シータたちは大会堂の二階部分の渡り通路から、一回生の代表戦を見守った。
「あいつ、強かったですね」
決着が着いた後、そばにいたトルノスの感想にシータはうなずいた。今年の代表戦も白熱したが、剣専攻代表のほうが技量は上だった。鋭い目つきに気の強そうな口元と、少々扱いにくそうな雰囲気をもっているが、シータは彼の中に志の高さを感じ取った。
自分より弱い相手には従わない。彼はきっとそういう人間だろう。
「うかうかしてると、なめられるわね」
「シータさんを馬鹿にする奴は、俺たちが叩きのめします」
トルノスが胸の前でぐっとこぶしをにぎり、他の二回生たちもうんうんとうなずいている。
そして、初めての合同演習の日がやってきた。三回生より先に闘技場に入ったトルノスたち二回生は、一回生が寄り集まって三回生の噂をしているのを目にした。中心には、入学式で勝利をおさめた一回生代表がいる。
「俺、案内をしてもらったけど、背なんかこれくらいだったぜ」
「あんなに小さいのに、三回生代表って本当かよ」
「唯一の女子だし、かわいいから、周りがもちあげてるだけじゃないのか?」
トルノスはこめかみをひくつかせながら怒鳴った。
「何をしているんだ! さっさと並べ!」
トルノスの大声に、まずいといった顔で一回生たちが整列していく。そこへシータを先頭に三回生が現れた。二回生が頭を下げたので一回生たちもそれにならったが、ちらちらとシータに視線をやっては同期生同士で目くばせしている。
ウォルナット教官が各学年の代表と副代表を紹介し、注意事項を伝えた後、いよいよ練習となった。二回生たちはトルノスが一番にシータのもとに行くのがわかっていたので、遠慮して別の三回生のもとに向かっている。
「シータさ……」
トルノスが手を振って近づこうとしたとき、割って入った人物がいた。
「代表、俺の相手をしてください」
シータをにらみつける勢いで見据えているのは、一回生代表だ。
しん、と場が一度静まった。それからどっと笑い声が広がる。笑っているのは二、三回生で、一回生たちは何がおかしいのかとぽかんとしている。
やっぱり邪魔したかと、ぐぬぬと歯ぎしりするトルノスに、エイドスが腹をかかえながら言った。
「一年前の誰かさんを思い出すな」
一方のシータはというと、こうなることが予想できていたらしく、真顔で一回生代表を見つめていた。
「いいわよ」
場所を探そうとシータが周囲を見回す。しかしみんな見学するつもりなので、全員が脇に寄っている。
「シータさん、そいつが終わったら俺とお願いします」
呼びとめたトルノスをシータはふり返り、うなずいた。
「すぐ終わらせるわ」
一回生代表がむっとした表情になる。他の一回生たちも疑いの目をシータに向けたため、二、三回生たちは肩をすくめた。
結果、トルノスを撃沈させたとき同様、たった二振りで相手の急所に剣を突きつけたシータに、一回生たちは言葉を失った。特に一回生代表はひどく自尊心を傷つけられたらしく、もう一度頼むと食いついたのをトルノスが引き離す。その日はトルノスと一回生代表が争うようにシータと剣を交え、合同演習が終わる頃には二人とものびていた。ただ一人、けろっとしているシータに、ようやく負けを認めたらしい一回生代表は、以来シータを見かけるとくっついていくようになり、たびたびトルノスと衝突した。そしてシータの左手の中指にはめられている指輪について尋ね、シータには神法学院に恋人がいると知った彼は呆然と立ちつくしたが、今ここにいないならと熱烈に迫り、やはりトルノスと喧嘩になった。
その年の交流戦も苛烈を極めたが、『神々の寵児』を欠いたゲミノールム学院側が不利との前評判を覆し、三連勝を飾って次代につなげた。
総大将はシータ・ガゼル。二年間『黄玉の戦乙女』も務めた彼女は、武闘館進学後も女性初の剣専攻総代表として名を残す。卒業後は年の近い王太子夫妻の近衛兵に推薦されたが、これを辞退。神法学院最年少の教官として教鞭をとる風の法担当教官と結婚し、知り合いのパン屋と剣鍛錬所を手伝いながら、一児を育てた。
出産時、娘の外見が黒髪黒目でなかったことを夫は特に何も言わなかったが、シータ本人はほっとした様子だったという。
閲覧ありがとうございました。これで完結です。引き続き第二部の執筆に入りますが、掲載日は未定です。




