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誓いの指輪  作者: たき
10/14

(10)

『大地の女神が微笑む月』になると、ずっと過ごしやすい気温になった。この月と『風の神が駆ける月』は、鍛錬するにはとてもいい時期だ。

「シータ、ちょっと頼みがあるんだけど」

 二回生だけの練習を終え、更衣室を出たところで、シータはアルスたち剣専攻三回生に囲まれた。男子更衣室から出てきたパンテールたちも、何事かと寄ってくる。

「模擬戦の協力者、ファイに頼んでもらえないかな?」

「うーん……来年は絶対協力しないって去年言ってたから、どうかな……」

 それに去年は神法学科の野外研修の護衛を引き受けることを盾に、無理やり協力してもらったのだ。今年はもう野外研修はすんでいるため、取引材料がない。

「ニトルがオルニスたちに引っ張られて、槍専攻に協力するみたいなんだ。ニトルは二回生だけど、風の法専攻生としてはへたな三回生より実力があるから、ファイにしか彼を抑えられないと思う」

 ニトル自身は、ファイが協力する可能性のある剣専攻のほうに行きたかったようだが、去年は剣専攻側についたのだから、今年は槍専攻に協力しろとオルニスたちに言われ、断れなかったらしい。

 ファイとは戦いたくないと、ニトルはしょんぼりしながらアルスにぼやいたらしいが、これはかなり剣専攻にとってまずい状況だと、アルスたちは慌ててシータのもとに走ってきたのだ。

「一応、聞くだけ聞いてみるけど、あまり期待はしないでね」

 付き合っているというだけで、ほいほい願いをかなえるような人間ではないから、と言うシータに、「とにかく頼む」と頭を下げて、三回生たちが去っていく。しかし途中でアルスだけが引き返してきた。

「もう一つ、ファイの耳に入れてもらいたいことがあるんだ。剣専攻に協力する炎の法専攻生の中に、アヴェルラがいる」

 えっ、とシータはかたまった。アルスが申し訳なさそうに眉尻を下げる。

「自分から申し出てきたんだ。僕は正直、気が進まなかったんだけど、彼女、三回生には人気があるから、みんな喜んで承諾してしまって……」

 判断はファイに任せるけど、何だか嫌な予感がするんだと告げて、アルスが離れていく。シータも困惑ともやもやした気持ちをかかえながら、とりあえずファイに声をかけてみることにした。

 ファイは案の定、最初はいい顔をしなかった。というより、露骨に渋面した。「今年は協力しないって言ったよね」とばっさり切り捨てられ、ニトルが槍専攻側についたことを伝えても断固拒否の姿勢だったが、アヴェルラの名を出すと、顔色が変わった。

 やはり自分から協力したいと言ってきたことが、ひどく気になったらしい。

「炎の法専攻の三回生代表だし優秀だから、協力者になっても不思議はないけど、たしか剣専攻より先に槍専攻から打診されていたはずだよ」

「ファイも剣専攻の味方をすると思ったんじゃないかな?」

「僕がいい返事をするかどうかもわからないのに?」

 ファイは眉間にしわを寄せたまま考え込み、「いいよ。剣専攻に協力する」と答えた。

「本当にいいの? あんなに嫌がってたのに」

「アルスはけっこう人をよく見ているんだ。そのアルスが何か感じたのなら、警戒したほうがいいと思う」

 シータは目をみはった。ファイが冒険集団以外の人間を信用している発言を聞くのは、初めてだ。

「何?」

「ううん、ちょっと妬いただけ。アルスがうらやましいなあって」

 ふふっと笑うシータに、ファイは「なんでそこで妬くのか、意味がわからないよ」と、ほんのり頬を赤く染めて目をそらした。



 両専攻ともに協力者がそろい、いよいよ模擬戦に向けて作戦会議が始まった。初めて会議に参加する一回生代表のトルノスと副代表のマルクは、かなり緊張した面持ちで座っていたが、三回生と二回生の議論はしっかり聞いていて、時々質問をはさんできた。

 ファイが剣専攻側についたことはすぐに伝わり、ニトルは「だから嫌だって言ったのに」と泣きそうな顔になっていたという。またオルニスからは「今年は協力しないんじゃなかったのか」とファイに対して恨みがましい文句が届き、プレシオは「まあ、そうなるだろうとは思ってたけどね」と肩をすくめていた。

 生徒たちからは、今年も剣専攻が勝つのではないかという意見が多く聞こえた。やはり『黄玉の賢者』と『黄玉の戦乙女』がそろっているのは大きいと。

 すっかり仲良くなっていたトルノスとジェソも、ここ最近はあまり口をきいていないらしい。別に喧嘩したわけではないが、競争意識が双方の専攻生に芽生えたため、自然と接触を避けているのだ。

 そんな中、アヴェルラはおとなしかった。剣専攻三回生たちとはにこやかにしゃべっていたし、ファイには自分から積極的に話しかけるが、シータのほうは見ようともしない。だが嫌味を言うわけでも嫌がらせをするわけでもなかったので、シータもアヴェルラから意識をはずすよう努めた。

 ファイも可能なかぎりアヴェルラの相手をしていた。アヴェルラが何を考えて剣専攻に協力する気になったのか、探ろうとしたらしい。それでもアヴェルラの意図は見えず、やはり単純にファイと同じ側で戦いたかっただけではないかとシータも思うようになった頃、ついに模擬戦が始まった。

 剣専攻の本陣は闘技場、槍専攻の本陣は法塔となり、朝から両専攻の生徒たちはそれぞれの場所で、戦いが始まる合図を待っていた。

 今回シータは、正門側を通って法塔を目指す進路を任された。人数的には一番多いが、一、二回生ばかりで構成されている隊だ。そして付き添う神法学科生には、アヴェルラが立候補した。

 アルスとファイはいぶかしげな表情になったが、互いに視線を交えた後、アルスは許可を出した。ファイは今回、闘技場のアルスのそばに控え、戦況に応じて動くことになっている。何かあれば駆けつけるつもりなのだろう。

 食堂側を通る道のほうは三回生と一、二回生の数人、それから風の法専攻三回生が向かい、アルスは残る三回生と炎の法専攻三回生とで闘技場を守る。

 中央棟には、戦いに参加しない神法学科生と教養学科生が入り、戦をよく見ようと窓に張りついていた。

 そしていよいよ開始時刻となった。風の法担当のロードン教官の合図とともに、両専攻生たちが駆け出した。

 ちょうど正門付近で衝突したのはピュールの隊だった。槍専攻も一、二回生が中心らしく、ジェソたちの姿も見える。

「当たりを引いたな。シータをつぶすぞ! それで向こうは壊滅する!」

 味方に叫ぶピュールに、シータも声を張り上げる。

「簡単にはやられないわよっ」

 後方からアヴェルラの『勇みの法』が飛んできた。もしかしたら何もしないで傍観するかもしれないと思っていたが、ちゃんと支援するつもりのようだ。

 シータを目指してきた槍専攻一回生たちを、シータは次々に切り捨てていった。さすがにジェソはかなりもちこたえたほうだが、それでもシータにはかなわず、護符が反応する。その場にへたりこんでいく槍専攻一回生を飛び越えて、シータはピュールと対峙した。エイドスやラボル、トルノスたちは、ピュールの相手はシータに任せ、攻めながらじわじわと法塔へ足を進めていく。

 二回生代表同士の戦いに、中央棟から大きな声援が届く。戦闘不能になった生徒たちも見守る中、二人は一歩も引かない勝負を繰り広げた。

 また、ピュールたちにはニトルがついていた。ニトルは敵の神法学科生を倒す役を担っていたようで、さっそくアヴェルラ目がけて『嵐の法』を放った。アヴェルラが『剣の法』で向かえ討つ。そこへ、もう一人風の法専攻三回生が飛来してきて、ニトルと交互に風の刃を連発した。

 アヴェルラの炎がかき消されたとき、後方から渦巻いてきた『砦の法』がアヴェルラを守った。

 一瞬にして二人の『嵐の法』を霧散させたファイが続けて『嵐の法』を詠唱する。ニトルの『砦の法』はギリギリ間に合ったがすぐに消滅してしまい、もう一人の防御は間に合わず、宙へ吹き飛ばされた。

「ファイさん、強すぎるよ……」

 泣き言を吐いたニトルは、「ごめん、いったん退くよ」と告げて法塔へ引き返していく。その真下では、まだシータとピュールの戦いが続いていた。

「私は先へ進むわ」

 アヴェルラが頭上のファイをあおぐ。前方でエイドスたちが、プレシオ率いる隊に押されているのだ。ファイはうなずくと、食堂側の乱戦のほうへ援護に向かった。

「いいかげん、どいてくれない!?」

 シータもピュールを振りきってエイドスたちに加勢したいのだが、ピュールが通してくれない。いらいらするシータに、ピュールはにやりとした。

「悪いな。俺はお前の足止めを任されているんだ」

 シータがピュールと打ち合っている間にエイドスたちが進軍するのを、第二部隊として控えるプレシオは待っていたのだ。

 エイドスたちも十分強いが、シータほどやっかいではない。ピュールは最初わざとシータを狙うような声かけをして、一回生たちを向かわせた。しかし一回生では、たばになってかかってもシータにはかなわない。そして槍専攻生の数を減らした剣専攻生が勢いに乗って突っ込んだところを、プレシオたちが殲滅する作戦だったらしい。

「私がこっち側にいなければ、どうする気だったのよ」

「それならそれで、敵本陣までさくっと突入したまでだ。一番邪魔なのはお前だからな」

 ニトルはプレシオの支援に回っているらしく、風の刃がうなっている。アヴェルラも予想に反して善戦してくれているようだが、剣専攻生側の数が目に見えて減っているのがここからでもわかる。

 たとえシータでも、ピュールとプレシオの相手を同時にはできない。何とかエイドスたちが全滅する前に合流したい。

 危険かもしれない。それでも、このまま一対一で時間をかけるよりは――。

 シータはピュールのふところ目がけてめいいっぱい踏み込んだ。ピュールが応戦しようと槍先を突きつけてきたところで無理やり斜め前に進行を変える。

「なっ……」

 唖然とするピュールを置いてそのまま走る。一瞬遅れてピュールが追いかけてきた。

 トルノスが、ラボルが、プレシオに倒される。プレシオの槍は次はエイドスに向けられていた。

(間に合って!)

 足音が聞こえたのか、杖で宙に三角形を描きかけていたアヴェルラがふり返る。   

「シータさん、後ろ!」

 戦闘不能になれば戦いに関与してはいけない決まりを破って、トルノスが叫ぶ。風のうなりとともに、投げつけられたピュールの槍が背中からシータの鎧に当たった。護符が発動したために貫通はしなかったが、負けを悟ってシータは足をとめる。そのとき、アヴェルラと目があった。

 途中でとめていた紋章を、アヴェルラが完成させる。しかしその炎はニトルではなく、シータへと飛来した。

「シータさん!!」

「シータ!?」

 トルノスだけでなく、ピュールやプレシオの声も重なる。中央棟からもあがった悲鳴を聞きながら、シータの体は炎のつぶてを食らって跳ねあがった。



 それまで食堂側の攻防戦に力をそそいでいたファイの意識は、その一瞬、シータへ向いた。炎と黒煙をまといながら空に吹き飛ばされたシータの姿が見えたとたん、ファイは全速力で翔けていた。

「青き衣をまといて碧空を巡りし風の神カーフ。今ひととき、御身よりこぼれし綿(わた)ひとかけら、糸ひとすじにて、我に与する者をすくい上げたまえ!!」

 とっさに口に出たのは『治癒の法』ではなく、『浮雲の法』だった。そしてその判断は正しかった。地面に叩き落される寸前にふわりと浮き上がったシータのもとへたどり着いたファイは、続けて自分の法衣を脱いでシータの体をくるみながら『治癒の法』をかけた。

 教官から戦闘中断の声が上がる中、そっとシータの手首に触れてみる。乱れてはいるが、脈はある。生きている。それだけで、目頭が熱くなった。

「シータは……無事か」

 ウォルナット教官が息せき切って走ってくる。うなずくファイにほっとした表情を浮かべ、ウォルナット教官はシータの体を横抱きにした。治療室へ急ぐウォルナット教官の後にファイも続く。

 治療室の寝台に寝かされたシータのそばに、ファイは腰を下ろした。すぐにケローネー教官が来て様子を確認し、問題ないとわかってやはり安堵のため息をつく。シータの着替えを寝台の脇に置きながら、これから審議に入るので何かあれば連絡するようにと言うケローネー教官に、ファイは無言で首をたてに振った。

 それからは、とても長い時間に感じられた。傷はすぐに治したし、大丈夫なはずなのに、いっこうに目を覚まさないシータに不安ばかりが募る。

 剣でふしくれだったシータの右手をにぎりしめ、自分の額に押し当てる。

 どうか、早く起きてほしい。いつもどおり元気のいい、軽やかな声を聞かせてほしい。

(僕の未来を……)

 君自身の手で、閉ざさないでほしい――。 

         


 名を呼ばれている。ふり返ると誰もいなかったが、七色に輝く細い糸が四方八方にのびていて、声はそのうちの一本から聞こえていた。

 少しひんやりとしているような、それでいて不思議と優しく感じられる響き。

(ああ、これは……)

 自分にとって、今一番大切な糸だ。絶対に切りたくない、できればずっとつながっていたい糸。

 戻らないと。そう思ったとたん、すうっと意識がゆらいだ。まるで時間を駆け巡るかのようなおぼつかない浮遊感から解放されたとき、シータは自分の手をにぎったままうつむいている大事な存在を目にした。

「……ファイ?」

 はっとしたさまでファイが顔を上げる。

「やっと、気がついたね」

 唇を一度きゅっと結んでから、ファイが微笑む。今にも泣きそうな顔だった。

「気分が悪いとか、どこもおかしなところはない?」

「うん」

 ここは治療室のようだ。遠くのほうで何となくざわついている気配がするが、部屋の中はとても静かだった。

「何があったか、覚えてる?」

 尋ねられ、シータはゆっくりと記憶をたどった。たしか、エイドスたちに合流しようとピュールを振り切って走った。トルノスの警告後、背後からピュールの槍が飛んできて、それで自分の護符が発動した。戦闘不能になった瞬間、アヴェルラと目が合って――。

「彼女の『剣の法』をまともに食らった君の体が吹っ飛んで……去年の野外研修で、ロードン先生に『浮雲の法』を教えてもらっていなければ、間に合わなかったと思う」

 ファイが駆けつけたときには、シータはひどいやけどを負っていて、鎧どころか衣服まで焼け落ちていた。そんな体で落下していたら確実に死んでいたというファイの声は、少し震えていた。

「ごめん。僕がもっと注意していれば……」

 アルスも自分も警戒していたのに、彼女が思ったよりきちんと務めを果たしていたから油断したと、悔やむように語るファイをじっと見ていたシータは、ゆっくりと上体を起こした。

「ファイがいたから、私は助かったんだよ」

「ありがとう」と抱き着くと、ややあってファイもシータをぎゅっと抱きしめ返した。

「必死だったんだ。未来が消えてしまうかもしれないと思ったら……怖かった」

「……ファイも見たの?」

 どこで、とは言葉にできなかった。一緒に行った仲間でさえ抑止力が働くらしい。

 だがやはり、ファイは虹の森で自分との未来を見ていたのだとシータは確信した。

 いくつもあった未来は、どれを選んでも同じところに通じるものを除けば、一つを選んだ時点で他の選択肢は消えていく。自分があのとき目にしたのは、別の道に進めばなくなってしまうものだった。

 ほんのちょっとのきっかけで、壊れてしまうかもしれない糸。でも、今の自分にとっては何よりも気になる糸だ。

 そこでシータはくしゃみをした。ぶるっと体を震わせるシータを、ファイがそっと手放す。

「風邪をひかないうちに、着替えたほうがよさそうだね。君の服は燃えてしまったから、先生が新しいものを用意してくれてるよ」

 そのとき初めてシータは、自分がファイの法衣をまとっていることに気づいた。その下がほとんど裸であったことも。

「ええっ、なっ……ちょっと待って。これもしかして、みんなにも見られた?」

 考えただけで体中がほてってきて、めまいがしそうだ。あせるシータに、ファイは「たぶん、大丈夫だと思うけど」と答えた。

「すぐに法衣でくるんだし、君は炎にまみれて黒焦げだったから、みんな裸体という認識はなかったんじゃないかな」

「そうなんだ」

 少しほっとしてから、シータはおそるおそるファイを見た。

「でも……ファイは見た……よね?」

 わざわざ自分の法衣をかぶせるくらいだから、ファイもまずいと思ったのだろうし、そもそもそれだけ距離が近かったわけで。

「……だから、それどころじゃなかったって言ってるじゃないか」

 嘆息しながらファイが視線をそらす。目元がうっすら赤くなっている。

 見てないとはっきり口にしないということは、見たということだ。

「体を拭いて着替えたら、出てきて」

 ファイが立ち上がり、しきりをシャッと引く。黒くすすけた全身を布でぬぐって真新しい制服に袖を通しながら、シータは思った。

 やっぱり、まずかろうが臭かろうが、去年の野外研修でファイが作った薬を飲み続けたほうがいいかもしれないと。

 着替えがすんで靴も履いたシータがしきりを開けると、ファイはシータに背中を向けて丸椅子に座っていた。音が聞こえたのか、ファイが腰を浮かす。

「これ、汚れちゃったから洗って返すね」

 たたんだ法衣を手にしたシータは、向き合ったファイに髪をさわられた。

「ちょっと焦げたね」

「洗ってみてひどいようなら一度散髪するから、また育毛剤をくれる?」

 ファイの育毛剤は効果抜群だからと笑うと、ファイの指がすっと頬に滑ってきたので、シータはドキリとした。

「ファイ?」

 間近で自分を映す青い瞳にとらわれる。まるでシータが間違いなくそこにいることを確かめるかのように、何度も頬をなでていたファイが、やがてぽつりと言った。

「僕は……一人で静かに過ごす時間が好きだけど、君と一緒だと、家の中が毎日賑やかになるだろうなって思う」

「そうだね」

 自分でも想像できるだけに、シータは苦笑を漏らした。もし自分がファイと共同生活でもしようものなら、うるさがられてすぐに追い出されるだろう。

「今は、それが少し楽しみなんだ」

「えっ……?」

 予想外の言葉に、シータは目を丸くした。

「ずっと先のことだから、まだどうなるかわからないけど、君にとっても大事な選択肢の一つに入っているといいなって思ってる」

 シータの鼓動がすさまじい勢いで巡り始めた。

 何だか、すごいことを言われた気がする。

「行こうか。そろそろ審議も終わってるんじゃないかな」

 ファイが背を向ける。思わずシータはファイの腕をつかんだ。かえりみたファイに、何か言わなければとあせる。

「あのねっ、あの……入ってる、よ?」

 シータの返事に、ファイが目を見開いた。

「あれからいつも、私の頭の中にあるの。だから……」

 顔が赤くなっているのが自分でもわかる。でも、どうしても伝えておきたかった。

 シータを見つめていたファイの瞳がほんの少し細くなった。そのまま近づいてきて、シータの前髪をそっとかきあげる。

 柔らかくて温かいものが額に触れた。口づけられたのだと気づくまで、しばらくかかった。

(……どうしよう)

 さっき拭いたとはいえ、まだきっと汚れているに違いないのに、今日は顔を洗えないかもしれない。動揺しすぎて思考がぐるぐる回る中、シータはファイに肩を抱かれて部屋を出た。

「シータ!!」

 わっと声がかかり、シータは驚いた。治療室の外に人があふれている。

 アルスの隣にいたウェーナがまず飛びついてきた。泣きじゃくりながらシータにしがみつくウェーナにとまどいながら、周りを見回す。

 剣専攻生たちがそろっていた。さらにその外側に槍専攻生もいる。みんな喜び、泣いている者もいる。

「審議はどうなった?」

「槍専攻の勝利で決着が着いたよ」

 ファイの質問にアルスが答える。

「僕が水の法を使ったから……」

 ファイは今回も、風の法以外の法術を禁止されていた。もし使用すれば、その時点でファイが協力した剣専攻は失格になると言われていたのだ。

 ごめんとあやまるファイに、アルスをはじめ剣専攻生たちは、みんなかぶりを振った。

「それは違うよ。ファイが原因で負けたんじゃないから」

 もしもファイが護符の発動前に水の法を使っていれば違反とみなされたが、そうではなかったうえに緊急事態だったので、ファイの行為はむしろ称賛を集めたという。

 問題とされたのはアヴェルラだった。アヴェルラは、最初ニトルに向けようとした『剣の法』を、シータの後ろのピュールに変更したところ、シータに当たってしまったと弁解したが、そもそもピュールはシータに槍を投げていたため、方向転換してまで炎の法を使うほどの脅威とは考えられず、またシータの護符が発動したのを見てアヴェルラが『剣の法』の狙いを変えたことが、複数の人間によって証言されたことにより、追及された。結果、アヴェルラはわざとシータを攻撃したと認めた。

 出来心だったいう。ずっと目障りだったシータを消してしまいたい――偶然にも巡ってきた好機に、つい体が動いてしまったと、アヴェルラは涙ながらに訴えた。それまでは、本当に剣専攻に協力したいと思っていたのだと。

 確かに、途中までアヴェルラにおかしな点はなかった。しかしやはり護符の効果がきれた人間に対して意図的に法術を使ったことは、許されなかった。アヴェルラは重大な規律違反をおかしたとして、その場で退学が決まった。

 槍専攻担当のフォルリー教官は模擬戦のやり直しを提案したが、ウォルナット教官はこれを拒んだ。自軍の協力者だった神法学科生のしでかしたことはあまりにも重いあやまちであり、流してよいものではないと返答し、剣専攻の敗戦が決まったのだ。

「ファイがいなければ、シータは命を落としていたと思う。本当に君のおかげだよ。シータを助けてくれてありがとう」

 アルスの言葉にあわせ、剣専攻生全員がいっせいに頭を下げた。



 シータが無事に回復したことで、午後からの剣専攻の反省会はお祭り騒ぎだった。あのときはもうだめだと思ったとみんな口々に言い、それからファイの法術にも話題が及んだ。戦闘中の風の法の威力、シータを癒した水の法の効果、何より、飛翔術の速さに驚いた生徒が多かったのだ。あれほど速く飛ぶ風の法専攻生は見たことがないと。

 奪い合いの末に途中でシータの隣に来ることができたトルノスも、さすがに今日はファイのことを悪くは言わなかった。ただただ、シータが生きていたことが嬉しいと泣いていた。告白されて以来、変わらぬ態度を心がけていたものの、トルノスに対して距離をはかりかねていたシータだったが、本当に慕ってくれているのが伝わってきて、胸が温かくなった。

 放課後になり、ようやく周囲が少し落ち着きを取り戻した頃、ピュールがシータに声をかけてきた。

 自分が槍を投げてシータの護符を発動させなければ、あんなことにはならなかったと、ピュールは謝罪した。先にパンテールたちから、ピュールがかなり自分を責めていたと聞いていたシータは、笑って否定した。ピュールの行動には何の落ち度もないと。

「途中で勝負を放棄しちゃったから、学院祭の代表戦できっちり勝敗をつけるわよ」

 絶対に負けないからと言うシータに、ピュールもようやく顔をほころばせ、「次は完全に叩きのめす」と宣言して去った。


  

 数日後の朝、正門をくぐったシータは、ローと立ち話をしていたファイに呼びとめられた。

「君に渡しておこうと思って」

 ファイが取り出したのは、青い紋章石がはめられた指輪だった。

「これには『砦の法』をかけてあるから。一度しか使えないけど、何かあったときに君の身を守れるよう、防御と……虫よけに」

「虫よけ? 粉蜘蛛とかオオハチトリバチみたいな虫には、めったに遭遇しないと思うけど……あ、もしかして武闘学科の野外研修用?」

 隣で聞いていたローが「そんなわけないだろ」とあきれ顔でぼそりとつぶやく。ファイは質問には答えず、シータの左手を取った。しばし考え、指輪を中指にはめる。

 ファイの救出劇は、模擬戦を見学していた生徒たちも目の当たりにしていたため、二人が一緒にいるだけで自然と視線が集まってくる。そこへもってきてのファイの行動に、どよめきとうらやましさのこもった悲鳴が噴出した。

 急にやかましくなった周囲に、シータがいぶかしんできょろきょろする。

「なんで? そんなに騒ぐことなの?」

 確かにファイに指輪をはめらめたのは少し照れるけど、ただの護身用だよね、と首をかしげるシータに、ファイはすまして言った。

「勝手にちょうどいい大きさにしまるようになっているから、基本的には発動するまでは抜けないからね。どうしても解除したいときは、言ってくれれば外すよ」

「そうなんだ? じゃあ、なくす心配がないね。もし使ってしまったら、また法術をかけなおせる?」

「できるよ」

「よかった。ありがとう、ファイ。大事にするね」

 そこでウェーナとアルスが見ていることに気づいたシータが、手を振って走っていく。

「君って意外と独占欲が強いよね」

 まったくわかっていないシータも相当のつわものだけど、とローが苦笑する。

 シータの祖国のネール王国は、結婚指輪は左手の薬指にする。しかしこの国では中指にはめるのだ。五本の真ん中にある中指にはめることで、この指輪の送り主はいつも自分の心の中心にいるという意味になる。

 ファイにもらったと話しているのだろう、にこにこしながらウェーナたちに指輪を見せるシータに、ウェーナとアルスは困惑したさまで頬を朱に染めている。

 いずれ誰かが指輪の役割ではなく、はめている指にみんな驚いているのだと、シータに説明するだろう。そのときのシータの表情を見たいような、見たくないような、複雑な心境をかかえながら、ファイも中央棟へと向かった。

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