第六話 対話と対窪
遅くなりました。明日は21時に投稿します。
「シャドウ! やめろ!! 放せよ!!」
邪竜の放つオーラを剝がそうともがき苦しむ。
足をバタつかせながらもスピードを緩めることなく進むその黒竜は指揮官をどこか遠く、それはもう果てしなく遠くまで運ばんとしていた。
「クソっ……どこまで進むんだよ」
瞳の横を木々が猛スピードで走り抜けていく。どれほどこうしているだろうか……通りすぎた木々を数えるのが馬鹿らしくなるくらいの猛スピードで森を抜けていく最中、ふとそう考えた。
「アナスタシア姫に勝つのは、やっぱり無理だったのかな」
諦めよう……そう考えた。しかし、最後まで彼の頭は撤退を許さなかった。戦場で散っていく仲間の声が、帰りを待っている主君の声が、そして……自分を命がけで逃がしてくれたシャドウの声が……脳裏に焼き付いてはなれなかったのだ。
「放せよ」
最期の思いを拳で伝える。手から毛細血管のその隅までもが浮かび上がるほどの力で。今までの記憶を辿りながら、みんなの思いを原動力にして。彼のその全てを、声が枯れんとするほどの熱量を拳で、声で、高らかに叫んだ。
「放せよぉぉっっ!!」
その瞬間、何かが壊れた。まるで大切に抱えていた卵が手から滑り、転がり落ちるように「それ」は離れたのだ。
「ドサッ……ガラガラガラ!!」
地面に打ち付けられた直後であっても、物体は前へ進まんと欲する。それは剣の鞘を体に打ち付けながら、腰にかかる鈍い断続的な痛みとともに自分にそう伝えていた。
「やっと離れた」
辺りを見渡す。そこは木々が生い茂る、まさに樹海と呼ぶのに相応しい場所であった。
来た道を振り返ると一本の道が出来上がっていた。やけに新しい道だ。その道を目で辿ると、戦火が上がっていた。なるほど、シャドウは樹海の中を強引に突っ切ってまで自分を助けようとしたのか。一本を軸に、そこから離れるように倒れる巨木を目の当たりにしながらそう考える。
このまま逃げようか……そう一瞬考えたが、行く末はすでに決めていた。
「今、行くからな」
彼は立ち上がる。自らのためではない。それは他の誰でもない、味方のために立ち上がったのだ。
「必ず助けるからな」
膝についた汚れをはたき落とし、前へ、前へ進もうとする。
転げたときに足を捻ってしまい、少しぎこちなくなっているが、それでも前に進んだ。
「そして、帰るぞ。故郷に、一緒に帰r……」
彼が決意を胸にし、瞳を戦場に向けた瞬間「ボウッ!!」というけたましい音と共に、炎が燃え広がった。戦場で燃えているわけではない。目の前を……それも、自分の行かんとしていた道を防ぐかのように燃え広がっていたのだ。
「逃がしません。今日で終わりにすると、そう誓いましたから」
「アナスタシア姫ッッ……!!」
軽い音を立てたのち、轟音をあげながら悲鳴をあげ倒れていく木々たち。そんな中、地獄を支配するかのように立っている、一人の女性がいた。勝ちに勝ち続け、負け戦などたった一度を除いてしたことがない女性。そう、この世界では誰もが知る軍神──アナスタシア姫である。
「お前のせいでたくさんの人が死んだ……ッッ!!」
「戦ですからね。しょうがないです」
淡々とそう答える彼女。それはまるで魚のように冷たく、灼熱の中をただ清らかに泳いでいた。
「お前のせいで色んな王国が滅んだッッ!!」
「盛者必衰……それもすべて神の意志によるものです」
ダグラスは歩みを止めない。
「どいてくれ、仲間が待っている。戦場に戻らないといけないんだ」
「将軍、早く退避を! 僕のことはいいですから! もう、いいですから!!」
押し問答をしている最中、遠くでそう叫ぶ声が聞こえた。シャドウの声である。
彼は戦場に残ったはずだが、戦場から幾分離れたこちらからも視認できる位置までいた。なんとか抑えようとしたものの、相手の火力に押されここまできたのだろう。
自分がきた道と、彼がきた道。そのどちらもが周りの木々を倒しながら進んでいるが、彼のほうが広範囲に木々がなぎ倒されているのを見ると、胸が締め付けられるような思いになった。
「いいわけないだろ」
静かな闘志を拳に宿し、そう言い放つ。
「お前も救うし、国も救うし、世界も救う!! それが僕の使命なんだ。こんなところで負けるわけにはいかないんだよ!! どけよ、アナスタシア!!」
怒りの矛先は彼女──アナスタシア姫に向けられる。
怒りのあまり我を失いかけるほどの彼が血気盛んに睨みつけていたが、まるでそんなことお構いなしとばかりに、彼女はまた静かに、されどはっきりと言い放った。
「ダグラス将軍……あなたは、指揮官に向いていません」
彼女は続ける。
「その理由は二つあります。一つ目は、敵を知らなかったことです。私の軍がどれだけ強いかを、あなたは十分認識していなかった。そして二つ目は、己を知らなかったことです。あなたは自分自身のことを「部下を思いやる優しい将軍」と認識しているのかもしれませんが、その実は仲間に託された思いを無視し、「全員救う」などという夢物語を部下に押し付けているただの自己中人間です。そんな人間が指揮官など務まるわけありません。そしてそんな人間に……私が負けるはずがありません」
「将軍をバカにするなよ!! お前の首をいますぐ叩き切ってやる!!」
直後、シャドウが会話に割って入るが、すかさずガリューズとローズメイデンが、
「やれるもんならやってみろ!!」
「そんなことさせるわけないですわ♪」
とすぐさま返答をした。
「くそっ!! どけよ!! 邪魔だ!!」
シャドウの怒号がこちらにまで聞こえる。状況から察するに、どうやらシャドウは三英傑にやられてしまったようだ。悲しいし、認めたくないが……現実を突き付けられている以上、どうしようもなかった。
「でも、それでもだ」
それでも、彼は食い下がった。未来に進む歩みを、彼は忘れなかったのだ。
「お前にとっては夢物語かもしれないけど、それでも僕は信じる。自分の理想が嘘じゃないってことを、今戦ってくれている仲間と共に信じる。この戦いに勝って、自由を勝ち取って、みんなが平和になる世界をこれから作る。無理だと思ってもらって構わない。出来っこないと思ってもらって構わない。そんな赤の他人の意見なんてどうでもいい。僕の運命を決めるのはお前らか? 否だ!! 運命を決めるのは他の誰でもない──僕自身だ!」
彼は高らかに、そう答えた。そんな彼を見るや否や、
「そうですか。では、これ以上の議論は無駄なようですね」
と淡々と返答し、彼女はどこか寂しそうに俯いた。
そんな彼女に向けて、彼は剣を抜いた。
「これで最後だ。どいてくれ」
「嫌です」
即答する。最終通告は、言葉の剣でもって斬られた。
「そうか……じゃあ、力づくでどいてもらう」
銀閃が嘲笑を浮かべる。待望の強敵が目の前にいることをひどく喜ぶ。
今か今かと待ちわびていたその瞬間が、いま訪れようとしていた。
「スウッ」
彼が剣を上に掲げ、振り下ろさんとする。それを彼女は上を見上げるわけでもなく、かといってダグラス将軍を見るわけでもなく。ただひたすらに、下を眺めていた。
「「死ね。」」
そう彼がポツリと呟いた瞬間、同調したように彼女もまた呟いた。
──待ちくたびれたわよ。ジオス。
彼女がそう言った瞬間、それは神風の如くやってきた。
目にも止まらぬ速さで颯爽と駆ける白竜が今、目の前に現れたのだ。
「「ガキィィンン!!」」
振り下ろした剣と、振り上げた剣が火花を散らし激突する。互角かに思われたが、やはりジオスの方が一枚上手だった。ダグラス将軍が放った剣戟をいともたやすくはじき返し、そのままジオスは次の型に移行する。
「くそっ……力を貸せ!! 黒竜『ドメラ・ゲイル』!!」
シャドウがそう叫び、手をまっすぐ伸ばす。
その先には体制を崩し、今にも打ち取られそうなダグラス将軍がいた。
「白帝流、奥義──」
ジオスが最後の型を披露する。この戦いを終わらせる、終焉の型である。
「黒帝流、奥義っ──!!」
……と同時に思いがけないことが起こった。
──ダグラス将軍もまた、終焉の型を披露しようとしていたのだ。
どういうわけか、ジオスの剣が白光に包まれているのと同時に、ダグラス将軍の剣もまた、真っ黒に染まっていた。
(シャドウ、お前か。お前が力をくれたんだな)
以心伝心──その言葉通り、ダグラスはそのすべてを一瞬にして理解した。
(今思えば、お前に助けられてばかりだったな)
黒竜『ドメラ・ゲイル』が自分の中にいることを強く感じながら、そう回想する。
(でも、それは今日で終わりだ)
それでも彼は進む、進み続ける。
(ここで俺らは、不敗の戦姫から勝利を勝ち取る!!)
仲間が託してくれた思いを胸に、彼は腕をしならせ、万力を込め……そのすべてを今!!この、まさにこの瞬間に解き放つ!!
「──『白帝』」
「──『黒帝』!!」
────────────
──────────
─────‥
「「ドサッ」」
「え……?」
衝撃波に包まれ何も見えなかったが、一人の人間が倒れた音だけは感じ取った。
その姿は蜃気楼でぼやけていたが、どうも見覚えのあるものだった。
「嘘だろ……」
霧が晴れる。と同時に、横たわるダグラス将軍がシャドウの眼に無理やり焼き付く。憎きジオスはといえば、ただダグラス将軍を見下げ、ただただじっとしていた。
「なんで、なんでッ……!」
彼が困惑するのを、世界は待ってくれなかった。
「ジオス……止めを」
ジオスが剣を振りかざす。かすかに息があるダグラスの首めがけ、一直線に。
「やめろ……」
「「やめろぉぉぉぉぉっっっ!!」」
「スパン」という軽快な音と共に、土煙が真っ赤に染まる。
と同時に、シャドウの目の前が真っ暗になった。
「あなた方の大将軍はもうこの世にいません」
ぐったりとしたシャドウを横目に、アナスタシア姫が宣言する。
「それでも戦いたい方がいましたら、私たちラスト王国軍が相手します」
アナスタシア姫が、凛々しくそう告げる。それを支えるようにジオスが横に立ち、ガリューズとローズメイデンもまた、それを守るかのように立ちはだかった。
「カラン、カラン……」
剣が投げ出され音が聞こえた。一つや二つ……そんなレベルではない。
それはもう何十、何百という金属と地面が触れる音が重ね重ね聞こえ、戦場には意気消沈するコーネリア連合国軍と笑みを浮かべるラスト王国軍の姿があるに過ぎなかった。
「ではこの戦い、私たちが勝利ということで」
<<ウォォォォォォォ!!>>
ラスト王国軍の雄たけびが戦場をこだまする。
膝から崩れ落ちたコーネリア連合軍に見せつけるように、それはそれは大声で叫んだ。
「長かったですね」
喝さいを聴きながら、ジオスはアナスタシア姫にそう問いかける。
「えぇ、やっとです。これが終われば戦わなくてすみます。やっと……」
勝利の美酒に酔いしれる自軍とは対照的に、アナスタシア姫の表情に喜びはなかった。それはまるで、底深くにいる見えない魚の表情が如く、ひどくに鈍く、ひどく黒く・・どこか自分が遠いところにいるような、そんな表情であった。
──かくして、この戦い……のちに天下分け目の戦いと言われた『エミールの決戦』は、コーネリア連合軍五十万に対し、ラスト王国軍五万が一方的な勝利を収め、終焉に至ったのである。