Chapter06-5 カーミラの秘密、古代魔族の昔話
前半ジーン視点、後半モルドレッド視点となります。
『従うだけでは奴隷のまま。「人間」になるには、『〈厄災〉と唯一言葉を交わせるカーミラ様の亡霊』――商人にも私たちにも意のままにできない存在を盾にするしか、なかったの』
彼女は涙ながらに哀願した。
『どうか、私をこのまま館に帰して。私たちの『楽園』を壊さないで』
偽らざる本心なのだろう。彼女は自分たちの秘密を明かしてまで、館へ帰ることを願った。
(だけど……)
他ならぬ彼女から教えられたばかりだ。
〈勇者〉が〈厄災〉を滅するのは、大地が養いきれない命であふれて、滅びてしまわないようにするため。それが「セカイノヘイワノタメ」。
彼女は〈厄災〉を自分たちの生活のために利用している。〈勇者の役目〉を考えるなら、ジーンはたとえ彼女たちの不利益になろうとも〈厄災〉を元の世界へ帰すべきではないのだろうか?
(〈厄災〉は人間に利用されるためにいるんじゃないんだ)
すべては「セカイノヘイワノタメ」に。でも、その考えに至ったジーンの脳裏に浮かんだのは――。
(……エリック)
かつてパーティーを裏切り、ジーンとパスカルが命を喪った元凶。でも、どうしても憎みきれない仲間。最後に見た彼の顔は、笑みの中に僅かな憂いがあったように思えてならない。
あのときの〈厄災〉は、金の卵を産む鳥だった。金は今も当時も貴重な財貨――当然、〈厄災〉を利用しようと考える人もいた。奇しくも〈厄災〉が舞い降りた年、その村は不作で人々の生活は逼迫していたから、余計に。
(でも、俺たちは〈厄災〉を滅するべく動いた。そこに何の疑問もなかった)
なぜなら、「セカイノヘイワノタメ」だから。
でも、今なら――。
『お願いよ……。私たちを助けて。生きていきたいだけなの』
涙ながらの哀願を聞くたび、心にさざ波がたつ。
「奴隷」がどういった存在なのかは、ジーンとて知っている。
戦で滅ぼした地の人間を捕まえてきて、誰もがやりたがらない仕事をさせる。その労働に対価はなく、言うことを聞かなければ鞭で打っても棒で叩いても構わない――奴隷とは人間であって人間ではない。道具であり家畜――。
まやかしとはいえ、『カーミラ様』の庇護の元、十分な量の食事と雨露を凌げる家に住み、虐げられることのない生活は、奴隷たちには得難いものであったにちがいない。
もし、ジーンが〈厄災〉を滅してしまったら、どうなるだろう?
奴隷たちを養っているのは、彼らの主である商人だ。〈厄災〉が消えれば、〈厄災〉と言葉を通じる奴隷たちの価値はどうなる?
そもそも。
(『カーミラ』を手懐けて……商人は〈厄災〉に何をさせているんだ?)
ジーンは、商人による木材の密輸の情報を知らなかった。リディアもヘリオスも、そして他のメンバーも、話すのを後回しにしていたのだ。あくまでも思い悩んだ様子のジーンを気遣って。なんとも皮肉な話だ。
(とにかく、〈厄災〉に何をさせているのか、聞き出さないと)
〈勇者〉としてどう動くかは、それから……
「館に帰してやれば、俺の質問に嘘偽りなく答えるか?」
しかし、ジーンより早くモルドレッドが口を開いた。
「な! モルドレッ」
「貴様……『カーミラ』は、古代魔族の話を知っているか?」
狼狽するジーンを遮り、モルドレッドはニヤリと口角をあげた。
♤♤♤
しおらしくなっている女ギツネから情報を引き出すなら今だとモルドレッドは口角をあげた。何やら言いたげな様子のジーンが視界の端に映ったが、ヤツはどうでもいい。モルドレッドの目的は、あくまでも弟探し。〈勇者〉の手伝いではない。
(フン。その様子だと、やはり密輸のことは知らないようだな)
ジーンは館に来てからはほとんどカーミラと過ごしていた。他の仲間たちとは、話し合うことも、何もせず。モルドレッドの目には、それは怠慢と映った。
だから、今さら横槍を許すつもりは一切ない。
『古代魔族……子供向けの昔話でしたら、少しは』
彼女が話したのは――。
大昔、大陸にとある国が栄えていた。その国の王に、女神は未来予知の鏡を与える。降りかかる災いをはねのけよ、と。鏡にはこの国を侵す魔王軍が映っていた。
王は勇者にその鏡を貸し与え、魔王討伐を命じる。魔王側も勇者らを感知し、卑劣な罠を仕掛けるが、勇者は鏡の未来予知の力に助けられ、死闘の末魔王を打ち倒す。魔王の息子については、まだ幼く、力を失ったために命を助けた。情けをかけたのである。
世界に平和が訪れた。しかし、そこに忍び寄る影――命を助けられた魔王の息子である。彼の捻じ曲がった性根は治らなかったのだ。
魔王の息子は復讐すべく、人間に化けて王都の近くの村までやってきた。しかし、そこで女神が彼の前に姿を現した。青と赤、二つの果実を示して女神が言った。
「青い実を食べればそなたは人間になれる。赤い実を食べれば強くなれる」
どちらを選ぶ?
女神に問われた息子は、下卑た笑みを浮かべて「何を迷う必要があるか」と赤い実を奪い取り、その場で食べた。
――愚かな愚かな魔王の息子
――噛んだ実から根が生えて
――あっという間に息子を締め上げ、殺してしまった
こうして、最後に残った悪の芽も摘まれたのさ。
なんとも人間らしい『作り話』だ、とモルドレッドは顔をしかめた。
魔王というのは、古代魔族の首領のことだろう。また、この話に出てくる『勇者』というのは、〈勇者〉とは別の者だ。モルドレッドの記憶によれば、人間の軍を率いていたのは若造だったが、そこにいる腑抜けではなかった。
(だが、「魔王の息子」か)
モルドレッドも探している弟も、首領とは血縁ではなく、主従という関係だった。しかし、
(パールは見目が良かったからな)
愛想の欠片もない顔だった己とちがい、弟のパールは「王子」と名乗っても納得するほど整った顔立ちをしていた。身内の欲目を差し引いても。がゆえに、魔王の息子=古代魔族の王族と見られたのだとしたら。
(まあ、生きているはずはない。わかっていたことだ)
「昔話の街の名前はわかるか」
調べてみる価値はありそうだと、女ギツネに聞いてみたものの、『街の名前までは……』と申し訳なさそうな声が返ってきた。子供向けの昔話だからか、地名は省かれていたらしい。
ともあれ、手がかりは手がかりだ。対価を得たからには。
「ジーン、とっとと館に戻るぞ」
女ギツネは、〈勇者〉に自分たちの事情を掻きまわされたくないのだ。だが信仰の都合上、〈勇者〉一行を歓待せざるを得なかった――本当は一刻も早く、出ていって欲しかったにちがいない。
だから、女ギツネを巣に帰したら、自分たちは速やかに館を去る。森を歩くのが危険なら、最悪〈厄災〉たちの筏を頼ればいい。怪鳥くらいなら、自分がいくらでも撃ち落とせるだろう。
「モルドレッド、でも俺は」
早足で茨のトンネルを進むモルドレッドに言い縋ってきた男に、
「もう時間切れだ」
にべもなく返す。
「貴様はわからんのか。植魔にやられた人間ども……あいつ等は何をしにきたと思う?」
夜の森に分け入る危険を犯してまで。
「〈聖女〉と『怪物王子』を追うべく仕向けられたとしか考えられないだろう?」
フュゼには長く滞在していたし、実際リディアは追っ手の貴族に目を付けられていた。情報が伝わるのも時間の問題だ。
だから、ゆっくりしている時間はないのだ。
(それに……こんな巨大植魔を揺り起こしたとなれば、カストラム側はすぐに討伐に人を出すだろう。犠牲を撒き散らすだろうがな)
そうなれば、あの森の館も存在を知られる可能性が高い。手に余る問題に向き合うために留まり続け、万が一にでも囲まれれば「詰み」だ。モルドレッド一人がどんなに強くとも、数には勝てない。
そんなことを考えている間に、前方が明るくなってきた。白む空から、どうやら外は夜明けが近いらしい。
茨を警戒しながらうろの入り口に立ったモルドレッドたちを前に、夜明けの空に幾筋もの紫電が光った。数拍遅れて、地を揺るがすほどの轟音と衝撃が空気をふるわせる。
まるで――。
遠くない未来に吹き荒れる、嵐の始まりを告げるように。




