Chapter05-9 夢まどろむ中で
寄生植物ペデリアが焼かれたことで息を吹き返した植魔ロザリアに、マックス率いる捜索隊は潰滅。カーミラを探しに森に入ったジーンとパスカルによってマックス(気絶)とリディアは運良く助けられたようですが……。
(あれは、俺にだけに向けられたモノではないのか……?)
そう思ってから、そんな疑問を抱く自分に「なぜ?」と問い返した。そもそもなぜこのタイミングでリディアに言われたことなど思い出すのだろう。この奇妙な不快感はいったい何なのだろう。腹のあたりがモヤモヤするというか……。
考えても答えは出ない。
「ジーン」
親友の声にハッとする。
「アレが大人しいうちに、な?」
親友が見上げているのは、ちょっとした丘ほどもある茨の塊――惨劇を引き起こした巨大な植魔だ。そこだけぽっかりと切り取られた星空の下で、数本の茨をゆらゆらと漂わせている植魔は、今のところ襲ってくる気配はない。ジーンたちが植魔の根元近くにいるため、単に感知できていないだけなのかもしれないが。
「まずはリディアを起こすよ」
(……そうだな。まずはリディアから話を聞こう)
「リディア」
耳元で囁き、華奢な身体を揺すぶる。しかし、リディアは熟睡しているのか、まったく反応を返さない。少し強く揺すぶってみるも、反応なし。わずかに甘い香りが鼻を掠め、瞬間、頭がクラリとする感覚に襲われるも、すぐに違和感は霧散した。
(眠り香だ)
眠り香――植魔が撒く一種の毒。それをリディアは吸いこんでしまったようだ。
となれば、揺すぶったくらいでは起きない。毒が身体から排出されるまでは眠りから覚めないのだ。
しかし、リディアが自然に目覚めるのを悠長に待つわけにもいかない。植魔がいつまでも大人しくしてくれる保証はないからだ。
(気味悪がられるから、こっちの姿はあまりなりたくないんだけどなぁ)
ジーンがとれる姿は、翼の異形、狼、コウモリの群の他にもう一つある。人型の身体が闇に溶けるように消え、黒い霧に変わる。それが眠るリディアを取り巻き……
ややあって、彼女の睫毛が震え、ゆっくりとリディアが目を開けた。
◆◆◆
夢を見ている……。
リディアは夜の森に一人佇んでいて、足元ではマックスが眠っている。あれほどたくさんいた追っ手たちが見当たらない……マックスと二人きりのシチュエーションなところからして、やはりこれは夢なのだろう。リディアの未練を具現化した、ほの暗く甘い夢。
夢の中だからか、リディアの頭は妙に冴えていた。
(マックス様が眠っている……今なら連れ去れるわね)
リディアの〈生き物を隠す魔法〉なら、マックスを人知れず連れ去ることも容易い。
(まずは……そう)
音を立てないように屈みこみ、リディアは肌着の内側に隠していたもの――小さく折り畳んだ紙切れを取り出した。カニ姿のヘリオスとハサンの書斎に忍び込んだ時、机の上にあった報告書を失敬してきたのだ。報告書には、木材の密輸のことが事細かく書かれている。これをマックスに託したら、父は無理でも王太子に届けてくれるのではないか。
リディアとしては、故郷が戦禍を避けられるなら何でもいい。
それに、父に直接伝わらなくとも、王国が動けば何らかのお金が動くから。聡い父なら気づくだろう。
(うまく伝書鳩になってくれるかしら?)
とても打算的……好いた人間をモノのように扱っているような気もする。
(でも……きっと夢のせいね)
夢の中だと、普段の自分でない……いつもならブレーキをかけてしまうような考えをすることもある。ああ……夢と自覚しているから安心して、外向けの仮面も鎧も取り払っているからかもしれない。
欲望や奔放な思考のままにリディアは動く。常のおどおどした表情は消え、愛らしい顔には蠱惑的な笑みが浮かんでいた。
見下ろしたマックスは、心なしか険しい寝顔をしている。夢見でも悪いのだろうか。
折り畳んだ証拠の紙……。落とされては困る。絶対に落とさず、かつ彼が気づいてくれる場所に隠そう。
(財布の中? 肌着の中? ああ、私が渡した物だとわかった方がいいわね)
だって、私が彼の『いちばん』なんだもの。
きっとマックスは、無条件に信じてくれる。この証拠に嘘はないと。
こみ上げる愉悦に、フフッと笑みがこぼれた。
(そうだわ。耳飾りを片方、つけておきましょう)
一般的に、耳飾りを片方贈るのは、恋慕の暗喩。彼はさぞ、舞い上がるだろう。
真珠の耳飾りを片方外し、紙に留め具を固定する。マックスの弛緩した掌を開いて、それを握りこませ、念のためズボンのポケットにその手を突っ込んでおいた。これで落とすことはあるまい。ポケットとはいえ、男性のズボンに手を触れるなど淑女としてあるまじき行為だが、ここは夢の世界。人目などありはしない。
あとはマックスをどこか人目につく所に置いていけばいい。
昏々と眠る彼の耳元で「お願い、ね」と囁いた。彼が確かに自分の言うことを聞くように。
「【隠せ】」
そして、彼を〈空間〉に収納して。ひと仕事終えた安堵の表情を浮かべたリディアは、グンと腕を引かれてつんのめった。
「え」
唐突に現れた彼――ジーンにリディアは目を瞬かせた。どうして彼がここに……?
「リディア。さっきの彼は君の何?」
咎めるような赤い双眸に心臓を掴まれた心地がして……視界がグニャリと歪む。
どうやら最後に冷や水を浴びせてこの夢は終わりらしい。よくある後味の悪い夢だ、と思いながら、リディアの意識は再びトロリとした闇に落ちていった。
♧♧♧
糸の切れた人形のように崩れ落ちたリディアを抱えて、人型に戻ったジーンはじっと彼女の顔を見つめた。
「お願い、ね」
ジーンの〈操作〉で強制的に意識を取り戻したリディアは、眠る青年に何かを託した。ジーンには見せたことない蠱惑的な笑みを浮かべて。しかもその何かは彼女が肌着の内側に隠していたもので、さらに彼女はそれに耳飾りの片方までつけた。
耳飾りを片方贈るのは、恋人への愛情表現だ。それくらいジーンも知っている。
(彼はリディアの何なんだ?)
答えはほぼ見えているが、言いようもなく不快だった。思わず問いつめようと魔法を解いて人型に戻った途端、リディアはまた眠り香の毒がまわって沈黙してしまった。
(回復したら、ちゃんと話してもらうから)
「おい。なんか黒い顔してるぞ、ジーン」
声に振り返ると、パスカルは肩をすくめて見せた。
「何を託したかは気になるが、ま、リディア嬢のおかげで大荷物は減ったな」
メリル嬢もカーミラ嬢も無事だったしな、とパスカルは明るく言った。そう。リディアを〈操作〉し〈空間〉の中を確認すると、そこにはなんとメリルもカーミラも、さらに〈厄災〉が二匹と団子状の大蜘蛛(?)らしきものもいた。いったい何があったのやら……。
ともあれ、ここに留まるのは危険だ。ジーンはリディアを抱えなおすと、先行するパスカルの背を追った。




