Chapter02-3 ワルツ 破談 爆発?!
くるりくるりとターンするたび、右に左に艶やかなドレスがふわりと広がる。
ワルツは、円舞曲。向かいあった男女がくるくると回りながら、大きな円を描くように進んでいく。その中に漆黒のマントを纏った見知らぬ男性とダンスを踊る姉を見つけ、メリルは内心で首を傾げた。
(なんで知らない男と踊っているのよ?)
『ファーストダンスは、将来を誓い合った人と』
ここでリディアが踊るべきは、見知らぬ男ではなくてマックスのはず。常識だ。
(アホなの?)
白けた顔のメリルをよそに、ワルツの曲はよりいっそう華やかに……。
◇◇◇
回廊の奥から優雅な弦楽の調べが、微かに聞こえてくる。あれはワルツだ、ファーストダンスの。
(魔女派の老害どもが……!)
離宮へ足早に向かいながら、マックスは舌打ちをした。菫色の瞳には、今は苛立ちが燃えており、とても優しい顔とは言えない。
この夜会は、リディアと婚約を結ぶための重要な布石、にするはだった。衆目の前でのプロポーズ――身分を盾にするやや強引なやり方だが、そうしてでも彼はリディアを得たかった。
それが、魔女派貴族のせいで台無しだ。彼らはコソコソと立ち回り、〈聖女〉を教会に渡し、王宮から遠ざけてしまったのだ。
(〈聖女〉を保護せんと軍を向かわせた……その御英断も戦費の負担もアグラヴェイン妃殿下がなさったのだぞ?!)
元はと言えば、アクベンス神国を襲った 〈厄災〉 に危機感を抱いたアグラヴェイン妃が、 〈聖女〉 救援の部隊を送り、辛くも〈聖女〉を救出するに至ったというのに。何もしていない 魔女派どもは、〈癒しの力〉欲しさに教会と共謀した。
おかげで、リディアとの約束があるにも関わらず、仕事で駆けずりまわることになってしまった。
せかせかと歩き、アグラヴェイン妃殿下の離宮へと入ろうとしたとき。さらにとんでもない報告が舞いこむ。
「なに?! 〈聖女ヘレネ〉が消えた?!」
◆◆◆
宴もたけなわな大広間。
とうの昔にファーストダンスは終わり、今は三曲目のシャコンヌが流れている。
「君のパートナーはまだ来ないのかい?」
気遣わしげなジーンに、「きっとお忙しいのですわ」と、リディアは申し訳なさそうに答えた。
マックスはいっこうに姿を現さない。
壇上から一番近い出入口の近くにいるから、彼が入ってきたらすぐにわかるはずなのだが……。
「ジーン様、私、外の空気を吸ってまいりますわ」
本来、夜会とは人脈を広げたり縁を結ぶ場なのだ。ジーンだって伯爵家として話したい相手がいるはず。それをリディアごときの事情で長く拘束するのは、ジーンに非常に申し訳ない。
それに、人がひしめく大広間の空気はむわっと生温く、汗が伝うほどではないものの、化粧崩れは気になるところだ。
リディアは「付き添おうか?」というジーンの申し出を断り、一人で大広間を出た。
◆◆◆
煌々と明るい大広間に対して、外の廊下の灯りは控えめだった。ダンスの最中だからかほとんど人の姿も見えず、リディアはホッと肩の力を抜いた。ゆっくりと歩いて、濃い陰影を纏う彫像の横を通り過ぎたところで。
「キャウゥーーン(ああ、どうしましょう。悩ましいわ。悩ましいわ)」
廊下を行きつ戻りつしているミークに出くわした。
「クゥゥーーン、クゥゥーーン(お坊ちゃまのためには黙っといた方がいいのッ! でもそれじゃあのお嬢様がかわいそう! ああ、悩ましいわ!)」
落ち着かない様子で廊下を言ったりきたりしては、なぜか『お嬢様』のところでリディアをじっと見つめる。
(私のこと……? 悩ましい?)
「キャウゥン……クゥン(ああでも! やっぱり言っちゃダメッ! そうよ、言ったってお嬢様にはわからないんだもの。むだよむだ!)」
そう言われるとむしろ気になる。
グラン・コーチでジーンとミークの会話を聞いて以来、なぜかリディアにもミークの言葉がわかるのだ。かと言って、リディアの言葉をミークは解さないのだけど。
(盗み聞きしちゃったみたいで、なんだか悪いけれど)
素知らぬフリをして、それでも足音をたてないようリディアが歩を進め……。
「また先延ばし? いったいいつまで待たせるのよ!」
不意に聞こえたヒステリックな声に、ビクリと立ち止まった。
「もう少し、もう少しだけ待っておくれ。今度こそ成功させるから」
(マックス様?!)
次いで聞こえてきた宥めすかすような声は、まちがいなくマックスのもの。リディアは走りはじめる鼓動を押さえつつ、声に耳をそばだてた。
「コンコーネの娘を衆目の前でキズ物にする計画はどうなったの? バルテルミ伯爵家が我がフィリオリ侯爵家と釣り合うには財力しかない……だから〈黒魔法使い〉でも妾にしていいと認めたのよ?」
(……妾?)
ドクドクと鼓動がうるさい。聞いてはいけない会話を聞いている。
しかし……侯爵家と釣り合うとは、いったいどういうことだろう。
「まさか漂流島が通るとは思わなかったんだよ。冒険者崩れは失敗するし、伯爵家の人間が居合わせたら中止せざるをえなかったんだ」
(ええっ?!)
思わぬ証言に、リディアの茜色の瞳はこぼれんばかりに見開かれた。冒険者崩れにリディアを害する依頼を出したのは……マックス?!
「また言い訳?! もう待ちくたびれたわ!」
激昂した高い声と一緒に、柱の陰から燃えるような赤髪に金細工の髪飾りをいくつも挿した令嬢が、足音も荒く出てきた。
「エミリアーヌ!」
それを追いかけてきたのは他ならぬマックスだ。彼は素早く令嬢の前に回りこむと彼女の肩を抱き……。
(?!)
シャラリと揺れた金の五弁花。濃厚な口づけ。
リディアは思わず後退りをして。カツリ、と飾り靴の踵が音をたてた。
「あら」
赤髪の令嬢――エミリアーヌがマックスの肩を押し返して、リディアを見た。目が合った途端、彼女は艶のある笑みを浮かべる。
「僥倖じゃない? あちらから来てくれたわよ?」
エミリアーヌの言葉に、リディアに背を向けていたマックスも振り返り、ほんの一瞬、「しまった!」と目を大きくした。
「マックス様……」
これはどういうことかと問い詰めたい。けれど、声が喉に引っ掛かったように出てこない。
立ち竦むリディアの前で、エミリアーヌは見せつけるようにマックスに腕を絡めてしな垂れかかった。白く豊満な胸が寄せられ、黒いレースのデコルテを押しあげんばかりに存在を主張する。
「マックスはねぇ、私が欲しいの。でも今の彼の家は我が家と釣り合わないでしょう?」
猫撫で声で、エミリアーヌが言った。それに合わせるように。
「リディア、俺は伯爵家嫡男……バルテルミ家の未来を背負っているんだよ」
顔を引き攣らせながらも、マックスが言った。
家の発展のために、より良い縁を求めるのは当然のことだろう?
「そんな……!」
唇を震わせるリディアに、エミリアーヌが満足げに微笑んだ。
「安心なさってぇ。身体の弱い貴女に子を産めなんて無体は言わないわ。その役目は私が負うものだもの。ねぇ?」
「そ、そうさ。身体の弱いリディアにそれは無理だろうし……やっぱり〈黒魔法使い〉の血は、後継させたくないんだよ」
(な……?!)
今、彼はなんと言ったのか。
〈黒魔法使い〉の血を後継させたくない?!
リディアは世間知らずだし、身分も低いし、何より忌み嫌われる〈黒魔法使い〉だ。
でも、それ以前に一人の人間で。多くは望まなくとも、人並みに幸せになりたいとは思うのだ。
(これがマックス様の望み? 私を出汁にして、あのご令嬢と……?)
五年前、確かにリディアの言葉を温めた言葉は……。
「俺はリディアだから好きなんだ。魔法のこともメリルのことも、何の瑕疵でもないよ。〈黒魔法使い〉でも、傷があっても病気にかかっても。俺の気持ちは揺らがないから」
傷があっても、病気になっても。〈黒魔法使い〉でも。妹に問題があっても。
子供さえ産まなければ問題ないと、コンコーネ家から財産を引きだせればそれでよいと、そういうことだったのか。
「貴方とは、結婚しないわ……!」
胸がキリキリと痛みを訴えるし、目頭が熱い。頭だって理性もなにもわからないくらいグチャグチャだ。でも、意地でそう言い返した。だってこんなの、認められるわけがない。
「フン。身の程がわからない女ね」
先ほどまでの余裕のある笑みから一転、エミリアーヌの顔から表情が抜け落ちた。彼女が「炎」と呟くと、彼女の手のひらの上に、子供の顔ほどの火球が出現する。
「火傷痕……フフッ、きっと素敵な顔になれてよ?」
「?!」
――マズい。
〈黒魔法〉しか使えない――属性魔法が使えないリディアには、エミリアーヌの魔法から身を守る術がない。
エミリアーヌが火球をリディアに放とうと手を高々と掲げ、炎がボワリと膨張した。
「ま、待ってくれ! リディアの顔はダメだ!」
「きゃああ?! どこ触って!」
マックスがエミリアーヌに飛びかかり、彼女がヒステリックな叫び声を上げた瞬間、急激に膨張した炎が渦を巻いた。
「?! 【隠せ】! 【放て】!」
咄嗟にリディアは、二人を己の〈黒魔法〉で瞬間移動――廊下の彼方に転送した。
そして……。
ドオォォォン!!!
十数メトル先の廊下で爆発が起こり、ガラスの砕ける音がした。