Chapter05-7 蔓食みのペデリア
「逃げたぞ!」
カンテラの灯りとたくさんの足音が追いかけてくる。大蜘蛛の能力なのか、灯りがなくとも周囲の景色が見えるのと、
「ッ、【糸を吐け】!」
近づいた追っ手を銀白の粘糸膜で足止めできることが、アドバンテージといえばアドバンテージかもしれない。
が、足場の悪さはどうしようもない上に、
(眩しいっ!)
カンテラや魔法の光がやたら眩しく、視界が白く染まるのだ。同じ理由で、リディア自身の〈生き物を隠す魔法〉も使うと抜群に目が眩む。なんなんだ、これ?!
(もしかしてこの蜘蛛、光がダメなの?!)
一瞬でも、余計なことを考えたのがいけなかったのか。
「きゃああっ?!」
踏み抜いた?! と思った時には遅く。モノクロームの世界が回転し、小さな段差をドサリと落ちたところは、窪地だ。痛みを堪えながら、なんとか身を起こしたリディアを、ぐるりとたくさんの灯りが取り囲む。
「ッ!」
魔法はまだ使える。目が眩むが、〈生き物を隠す魔法〉を使えば、目視できる範囲の追っ手を遠くへ飛ばせる。
「【隠、わっ」
しかし、リディアが口を開くと同時に足元の地面がぐらりと大きく揺れ、リディアは再び地面を転がった。
「なっ!? なんだアレは!」
反転する視界の端で、追っ手のカンテラ同士がぶつかりあい、ガチャンと音を立てて割れた。
「坊ちゃんを守れ!」
「離れろ!」
リディアの周りで、ザワザワと木々のざわめきに似た奇妙な音がする。ふわりと甘やかな香りが鼻を掠めた直後、世界がぐにゃりと歪んだ。
(な……に、)
身体が石のように重い。視界に霞がかかり、目蓋が落ちてくる――抗いがたい眠気に襲われたリディアが最後に見たのは。ほんのりと輝く月色の花畑と、うねり蠢く夥しい数の蔓だった。
◆◆◆
ざわめくような音がする。しかし、それは風が葉末を揺らす優しい音とはまるでちがう。
ゾワゾワ……シュルシュル……
パキ、パキン……
パキッ……
人でなくとも、その背筋が凍るような異変の兆しは感じ取ったのだろう。眠っていた鳥たちが、いっせいに空へ飛びたち、森をねぐらにする動物たちも一目散に逃げていく。
軋むような音。次いで、近くに生えていた木が根元から抜けて倒れた。土埃の匂いと青い匂いがむわりとたちこめて、やがて甘ったるい別の匂いがそれに替わった。
シュルシュル……
シュルシュル……
パキン パキン、パキッ……
不気味な音が、地を這いずる何者かの気配をまざまざと伝えてくる。
不意に辺りがほんのりと明るくなった。
蠢く幾本の蔓に、いっせいに花が咲いたのだ。月光のような淡い光――蔓を覆うように咲くたくさんの花……。甘い芳香が広がり、眠りに誘われた者たちが糸の切れた人形のように崩れ落ち、蔓に呑み込まれていった。
その森は、遥か昔から『蔓食みの森』と呼ばれてきた。いつからかはさだかではない。森の奥深く、蔓が伸びてきて人間も魔物も絡め捕る。捕らわれた者は魔力も生気も吸い尽くされ死に至る。哀れな亡骸を見た者は警告とも祈りともとれる言葉を残した。
『泥濘の眠りに囚われ、蔓食みの贄となることなかれ』
「蔓だ! おい、コイツは植魔だ!」
誰かが喚いた。直後に裏返った悲鳴とミシミシメキメキと何かが軋む音がする。カンテラの灯りがあちこちで点々と明滅する。誰かの光魔法に照らされた地面には、地を覆うほどの蔓がウネウネと這いずり、浮足立つ人間たちを搦め捕っていた。
いつか、誰だったか。
人はソレをこう呼んだ。
『蔓食みのペデリア』、と。
◇◇◇
「待て! リディアを助けるんだ! 俺には彼女が必要なんだ!」
屈強な護衛に担がれたマックスは、必死に叫んでいた。
危険なのはわかっている。でも、それがどうでもよくなるくらい、マックスはリディアを取り戻したかった。
(リディアは俺の癒やし……真実の愛の相手なんだ!)
マックスの家――バルテルミ伯爵家は歴史の長い家だが、要職には縁のない家だった。代々の当主が堅実を第一とし、野心や駆け引きを好まなかったからだ。
状況が変わったのは、マックスが王太子の側近候補に選ばれた時。家は名誉に酔いしれ、少なからぬ野心を抱いた。マックス自身も、また。
だが、謀略渦巻く王宮には自分を蹴落とそうとする輩も多い。憧れの場所は蛇の巣窟に。夜会でさえ、値踏みと腹の探り合いの場に変わってしまった。
でも、リディアだけは変わらなかった。
いつも控え目で欲を出さず、エミリアーヌと違ってわがままを言わず。出しゃばらず、高価な贈り物も欲しがらない。会いに行けば、裏表のない喜びに顔を綻ばせ、喜んでマックスの話を聞き。そこに政治的な思惑も何もない。彼女は真実、身分も何も取り払ったマックス自身を見てくれた。彼女といるときだけは、ひりつく現実を忘れられた。
「バカ! 戻れ! 彼女を取り戻すんだァ!」
駄々っ子のように喚き散らし、なおも退避をやめない護衛の頭を叩いた。
「クソッ! クソぉ! 【フレイム】!」
ヤケクソで地面めがけて火炎魔法を放つ。ボワッと緋色の炎が弾け、蔓の一部を焼いた。途端に、驚いたのか蔓が勢いよく退く。効いた、とマックスが目を見開いた。
「【フレイム】【フレイム】【フレイム】!」
そうとわかったなら、攻撃あるのみだ。マックスは文官であり、武術はほぼ素人だが、魔力はそれなりに持っている。闇雲に打った火炎魔法だが、あれだけはびこっていた蔓がシュルシュルと一目散に逃げていく。
「おい! 魔法だ! 魔法で焼いてしまえ!」
マックスは叫んだ。
しかし、部下たち――護衛に雇った冒険者たちは躊躇っている。森は多くの恵みをもたらすがゆえに、森の中で火炎魔法を使うことは禁忌とされているのだ。日々の糧を採集や魔物討伐から得ている冒険者なら、なおさら。
「あの植魔だけ焼けば問題ないだろう! 俺が許す! 早く攻撃しろ!」
叫びすぎて掠れた声で命令すると、ようやく護衛たちが動いた。あちこちで小さな炎が燃え上がり、蔓を駆逐していく。
「捕まった者たちを回収しろ! 残りは植魔に追い討ちをかける!」
蔓が逃げたあとに残された――蔓に捕まり眠ってしまった兵士を数人が救助し、残る冒険者たちが巨大な団子状に縮こまった蔓に火炎魔法を放つ。蔓は炎を纏いオレンジ色に輝きながら黒く煤けていく。
その明滅はまるで何かの胎動のようにも見えた。
そして――。
蔓の奥からドレスを来た少女の姿が現れた。
「リディア!」
護衛の手をかいくぐり、マックスは蔓を剣で切り捨ててリディアを引っぱり出した。
「リディア! リディア! 大丈夫か!」
固く目を閉じた少女の体は温かかった。抱きよせると、確かな鼓動と息づかいが聞こえる――生きている!
「ははは……はは……」
(取り戻した……! やっと取り戻した!)
天を仰ぐマックスの口から笑いが漏れた。
もうこれでなにもかも元通りになる。猛威をふるったかに見えた植魔は、火に焼かれ、熊ほどに小さくなっていた。もう脅威ですらない。
リディアは聞き分けのいい娘だ。愛妾のことだってわかってくれるだろう。夜会のときはエミリアーヌが煽るから反発しただけで。
(ああ……でも、家には帰してやれないな)
コンコーネ家はマックスの知らないところでリディアを隣国へ連れて行こうとしていた。だから、叛逆罪を盾に自邸に連れて帰ろう。何もできない無害な娘ひとり、王太子の口利きでどうとでもなるだろう。
あれこれ考えていたマックスは気づかなかった。
闇夜に低く響く、鳴動を――。
エリアボスっぽいモンスターを出してみたかったのです( ´艸`)




