Chapter02-2 思惑渦巻く夜会
むかしむかし……ずぅっとむかし。
女神様は地上に勇者一行を遣わせました。
悪しき魔女が戯れに開けた異界の扉から降りそそぐ厄災を祓うためです。
女神様の愛し子たる勇者、戦斧使い、聖女に魔法使いの四人組パーティーは、世界中を旅し、各地に降りたった厄災を討伐し、地上は平和を取り戻しつつありました。
一方、魔女は面白くありません。彼女が望んだのは、世界の混乱と混沌なのですから。
最後の厄災討伐の前夜、魔女はそれは美しい人間の女に化けて、勇者の前に現れました。
妖艶な美しさの虜になった勇者は……
◆◆◆
夜会会場は王宮の大広間――床は白・黒・灰色の幾何学模様。磨き抜かれた大理石の円柱。天井から吊された巨大なシャンデリアの光を壁の鏡が反射し、広間を煌々と照らし出す。そこに、多くの招待客が集い、とても華やいだ雰囲気を醸し出していた。
「ヴィトレシア様のお茶会にお招きいただいたの。贈り物は何にしようかしら?」
「まあ、あなたはお招きいただけなかったの? あらぁ~、ごめんなさいねぇ……」
しかし、聞こえてくる会話は華やかなだけの内容ではなく。遠回しな言い方での殴りあいや探り合い――駆け引きがそこかしこで行われていた。
(この雰囲気、蚊帳の外だってわかってはいるけど、緊張するわ……)
こういう『戦場』は苦手なのだ。性格的に向いていない。
王太子殿下の側近候補たるマックスは、大広間の奥、王族方の座る壇上近くにいるはずだ。彼に会うためには、約二十メトルの距離を歩かねばならないのだが。
第二王子の婚約祝いとのことで、大広間が手狭に感ぜられるほど多くの招待客。その間を縫うようにすばやく行き交う給仕たちも多い。どこを通り抜けようか、と、リディアがオロオロと視線をさまよわせていると、
「リディ、」
一緒に入場したノートン夫人が声をかけてきた。夫人の傍らにはジーンがいる。
大広間にいる男性の中で、マントを身につけたままのジーンは異彩を放つ。漆黒の布地が彼の肌の白さをよりいっそう際だたせるからだろうか。
「マックス様のところへ行くのね? 一人だと心配だから、ジーン様にエスコートを頼んだの」
(……ということは、一曲はジーン様と踊るのね)
付け焼き刃な夜会マナーを頭で復習いながら、リディアは差し出された白手袋の手を取る。
(あれ?)
ふと、違和を覚える。が、それを確認する間もなく。
「あらあら、ヴィトレシアのお嬢様ったら」
「はは、若いねぇ。婚約破棄ごっこかい?」
大げさな拍手やら、お上品とは言えない歓声やらがわきおこった人集りの先に、リディアはぶるりと身を震わせた。
夜会は恐ろしいところだ。些細な諍いを目敏く見つけ、拍手や歓声ではやしたてる。
社交界は常に面白おかしい話題に飢えているのだ。政治的な駆け引きとコケティッシュな見世物、その両面がある。
◇◇◇
広間の奥へ消えていく姪を見送り、夫人はホッと息をついた。
(ごめんね、リディ。マクシミリアン様とは今夜限りでお別れなのよ)
もうだいぶ前に、リディアの知らないところで決まった。理由は、政治絡み。夫である子爵からそう言われたら、夫人としては従うほかない。リディアたちはこの夜会の後、両親がいる隣国へ向かわせることになっている。
たとえ、二人が相思相愛でも。
マクシミリアンが、リディアを心から愛おしく想っていることがわかっていても。
「たとえ〈黒魔法使い〉でも、病気になっても、傷があっても、リディア嬢への想いは揺らぎません」
そう、言ってくれる稀有な青年でも。
政治とは、そういうものだから。
リディアへの婚約打診はバルテルミ伯爵家から。身分的に格上の家からの、断りづらいそれを、のらりくらりと躱し続け……。でも決定打はないまま時間だけが過ぎて。
二人がかわいそうだとは、思う。
でも……。
この国はアクベンス神国を滅ぼし、〈聖女〉を手中に収めてしまった。
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聖女は救いの手を伸べる者。争いと諍いの火をかけてはなりません。
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(〈魔女様〉のお教えは世界の秩序。それを壊すのは何人たりとも許されないの。縁を結ぶなんてなおさら……)
◆◆◆
「君のパートナーは、前の方?」
ジーンの問いにコクコクと頷きながら、リディアは慎重に通り道を探していた。大広間にいる招待客の大半は、リディアより爵位が上。できるだけ彼らとの接触を避けたい。
(端の方は人が多いわ)
人が密集している場所を避け、人の少ない広間の真ん中あたりを突っ切るコースをリディアは選んだ。
そこかしこで色鮮やかなドレスの花が咲き、リディアたちが通りかかると、花たちは興味深げに、あるいは物欲しげに傍らのジーンを見つめ、時にリディアを威嚇するような視線を投げてくる。
(怖い怖い怖いったら!)
眉を下げ、柔らかに微笑んでいるように見えても、ムーシュの上の瞳には値踏みするような、嘲笑うような色がある。孔雀の羽根で飾りたてた扇に隠れた口許は、醜く歪んでいるのかもしれない。
(ジーン様はとても綺麗な方ですもの。そんな方の隣に私なんて、そりゃあ目障りでしょうけど!)
そんなことを考えていたせいか、あるいは彼女たちと目を合わせないように俯いたのがいけなかったのか……。
「邪魔ですわ!」
「?! キャッ」
顔をあげたら、すぐ目の前に眉を吊り上げた黒髪の令嬢。
「ヴィトレシア様の御前よ。おどきなさい!」
彼女の取り巻きと思しき令嬢に、ドンッ、と背を突き飛ばされた。
「危ない!」
幸い、床に膝をつく前にジーンが支えてくれたものの……。
~~♪ ~~♪
間の悪いことに、楽団がワルツの序奏を奏で始めた。しかも、ダンスに集まってきた女性のドレスに取り囲まれ、ジーンともども離脱のタイミングを失ってしまったのだ。
(しまった! 広間の真ん中に人が少なかったのは、ダンスが始まるからだったんだ……)
今ごろ気づいたって、もう遅い。
「このまま一曲踊ろう。美しいお嬢さん、踊っていただけますか」
流れるような仕草で、ジーンがリディアの前でお辞儀をし、ファーストダンスが始まった。