Chapter03-4 フクロウは勇者の過去を語る
「あ、あれ?」
突然飛ばされた知らない部屋。円形の部屋の壁一面が天井まで届く本棚だ。天井からは瀟洒なシャンデリアが下がり、温かなオレンジ色の光を投げかけている。他にあるのは、錬金術に使いそうな天秤や本、羽ペンやインク壷でごちゃごちゃしたテーブルだけ。
リディアがキョロキョロと部屋を見回していると、
「リディア! いた!」
本棚の一部がボワンと揺らめいたかと思うと、そこからジーンが出てきたではないか! いったいどうなっている?!
「やあ、ジーン」
そこへ、どこから入ったのか一羽のフクロウがリディアたちの前に舞い降りてきた。フクロウはテーブルに積まれた本の山にとまると、
「まだ、決められないのかい?」
ジーンを見上げ、ヒトの言葉でそう尋ねた。
(フクロウがしゃべった?!)
それに、フクロウはジーンの名前を呼んだ。よく見ると、フクロウの灰色の羽を、真珠を砕いたような細かな光の粒が取りまいている。何より、フクロウを中心に肌がピリピリするほど濃い魔力を感じる――絶対、タダのフクロウではない。
リディアたちの前でフクロウは、
「人間は、愚かで恐ろしい。それでいて世界の覇者なんだよ」
噛んで含めるようにジーンに向けて言った。
「君は世界のために在るのに。なのに、彼らは君の命を奪ったばかりか、ひどいやり口でもう取り返しがつかないほど貶めた。なのに、なぜ〈勇者〉にこだわるんだい?」
(ひどい、やり口?)
ジーンはかつて、〈厄災〉――金の卵を産む鳥を巡って、かつての仲間と〈厄災〉から利を得ようとした人間たちにより命を奪われた。それだけでも十分にひどい話だが、フクロウの口ぶりから察するに、まだリディアの知らない事実がありそうだ。
「この子ばかりか、神をも冒涜する非道い話さ」
リディアの疑問を察したのか、フクロウは灰色の羽をパサリと広げてみせた。
「私は、争いばかりする愚かな人間たちのために世界の仕組みを作ったのに。アイツらはその要であるこの子を殺したばかりか、この子の遺骸にご立派な屍衣を着せてね、あろうことか祭壇に祀ったんだよ。この子の身体につけた無数の傷を隠し、遺体を調べさせないようにするために。この子を殺したのは、親友の戦斧だと言い張るために」
「そんな……!」
頭を殴られたような衝撃を覚えた。それが事実だとすれば、あまりにひどい。さらに人間側は、〈勇者〉は〈魔女〉に誑かされて聖剣を失ったと――ひどい虚構を真実として広め、今や大勢の者がそれを信じ込んでいるから。
〈勇者〉が受けた悪意は、心の傷はどれほどのものだろう。そんな過去があって、どうして以前のままの〈勇者〉でいられるだろう。
〈勇者〉の存在意義――。
彼が〈厄災〉を滅する存在なら。〈厄災〉と人間との衝突を防ぎ共存させる調停者なら。ひと言で言えば、それは『世界の平和のため』なのだろう。けれど、その『世界』とは誰のものなのだろうか。誰に都合のいい『平和』なのだろうか。
この世界に覇者然と君臨するのは、『人間』なのだ。
「このひどい世界を見限ると決めるなら、私は新しい別の世界にリボンをかけて君たちにあげるんだけれど」
沈鬱な表情のまま反応を返さないジーンに、フクロウは困ったようにコテッと首を傾げた。
「考えることだ、ジーン。何もせず、少しずつ忘れていく君を見るのはやはり忍びない。考えて、お選び。人間のために尽くすか――」
人間を滅ぼす存在になるか。
言い終わるや、フクロウは光の粒を散らすように消える。次いで、煙が晴れるように本棚に囲まれた部屋が空気にとけて……
気づいたときには、二人ともなぜか客室に戻っていた。あれはいったい……?
「〈魔女〉だ」
ジーンが言った。
「ずっと前にも言われたんだ。このまま、人間に尽くす――〈勇者〉として〈厄災〉を滅する役割を続けるか。それとも…………人間を滅ぼす存在になるか、選べって」
だから……。
何百年も生かされている。答えを出していないから。
「〈役割〉を果たさなきゃいけないとは、思うんだ。でも……その理由が空っぽなんだ」
そう、己の胸に手を当て、ジーンは俯いた。そこには何もない、と言いたげに。その様子はとても痛ましかった。
分厚い輝石窓にバラバラと雨粒が打ちつける音が聞こえる。風が濡れた森の匂いを抱えて、ひやりと部屋に入りこんできた。
「ジーンさん……」
雨の匂いの中で、何も言えずに佇むリディアにジーンは苦笑した。
「理由のない意思しか、残っていないんだ。それに俺はもう人間ですらない。翼が生えているし、目だって血みたいに紅い。おまけに、何百年も生きて。……バケモノなんだよ」
……人間と関わるのが、怖いんだ。
そう、ぽつりと最後に呟いた。
人間は『異分子』を嫌うし、攻撃するから。受け容れられる方がおかしいよな、とジーンは力なく笑った。
「そんな、バケモノなんかじゃ」
リディアは慌ててフルフルと首を横にふった。そんなこと、思ってもいない。
リディアが困ったとき、泣きそうになったとき、ジーンはいつも声をかけてくれたから。
たとえ身体に温度がなくても、彼の言葉はとても温かいし、頼もしくて――もうとっくに、リディアにとってジーンは「ただの異形」ではなくなっているのだ。
「一緒に、探しましょうよ。なくなった理由。ね?」
リディアは必死で笑顔を作った。そして、恐々と彼の手に触れた。
(……冷たい)
指先に伝わる冷たさ――ジーンが自分たちとはちがうと否が応でもわかってしまう。今は、それがひどく寂しくて、切なかった。彼との間に、越えられない壁を感じているようで。
(どうしたら……貴方の身体に温もりが戻ってくるんだろう)
そんな、夢みたいなことを思う自分がいる。自分は、ジーンのことなんかこれっぽっちもわかっていないくせに。知らないくせに。
指先が触れるだけだった手を、恐る恐るのばして大きな骨張った手を包んだ。こんなことで、ぬくもるわけはないと、わかってはいるけれど。
「私、」
トクリと、心臓が脈打った。
「私、もっとあなたを知りたい、です」
やや力を込めすぎて潤んだ瞳で、リディアはジーンを見上げた。
「私、ジーンさんのこと、ほとんど知らなくて。そんなんじゃ、あなたの探したいものを一緒に見つけたりなんか、できないってわかってるんです……」
言葉にしたら、キュウと胸が締めつけられて、リディアは声を詰まらせた。
王都を出たとき、彼の事情は聞いていた。でも、彼の悩みをどうにかしようと動いたかと聞かれれば、答えは否だ。
感情の動きが見えにくいから。
穏やかで、自己主張をしないから。
肌の冷たさを無意識に恐れたから。
踏み込む勇気がないから。
「ごめんなさい……私」
忘れていたわけではない。でも、いろんな言い訳をして、彼の事情から離れていたのは事実だから。
「り、リディア?」
ジーンが狼狽えた気配がする。でも、今言わないと……。謎の焦燥感にせき立てられて、リディアは口を開いた。
「だって……。私、あなたを人間に戻したい、から」
途端、頬が上気し、トクトクと鼓動が走りだす。
「人間、に?」
けれど、目を瞬くジーンを前にリディアはハッと我に返った。今、自分は何を……。
「あ、その」
急に恥ずかしくなって、リディアは口ごもった。耳が、頬がカッカとあつい。考えなしに胸の内を吐き出してしまった……!
…………。
…………。
フッ、と頭上から彼の吐息が降ってきて、ポンと頭に優しい重みを感じた。
「……ありがとう、リディア」
いつもの穏やかな声が言った。
「……ありがとう。でも、これは俺の事情だから。君が背負って悩まなくたっていいんだよ」
俺が君を巻き込んだから……。ごめんな。
ゆっくりと彼の手がリディアの手からすり抜けていき、体が離れた。諦めを含んだ声は、とても優しくて。
――なのに、なぜだろう。
トン、と肩を突き放されたようで。
他人同士だ、と言われたようで。
「リディア……?」
目許にひやりとした感触――こちらに伸びたジーンの腕がぼやけて見えた。
「どうして、泣いて……?」
言われて初めて、リディアはポロポロと零れる雫に気づいた。気づいたら、涙は止まらなくなる。
「リ」
狼狽えるジーンが今一度名前を呼ぼうとした、そのとき。
カチャリ、と部屋の扉が開いた。顔を覗かせたのは、カーミラ。彼女は灰色の大きな目をぱちくりさせて、部屋の中の二人を見つめた。
「あ」
ジーンが固まる。
カーミラは不思議そうに目をパチパチさせたものの、ジーンを見てニコッと笑った。
「〈勇者様〉、ご本読んでください」




