Chapter02-1 厄災と言葉を交わす人
単位はこの世界独自のものです。メートルぽくてもメートルではありません( ˇωˇ )
そして、一ヶ月後。
リディアが袖を通したのは、落ち着いたベリーレッドのシンプルなドレスだった。
上質なサテンの布地。白く滑らかな肩を彩るのは、総レースのエンジェルスリーヴ。デコルテやスカートの裾にも金糸で控えめな刺繍が施されたそれは、華美ではないものの、野暮ったさはなく、素材も一級品を使っていた。つまり、そこいらの派手に飾りたてたドレスより、実は製作費が高い。
リディアの家――コンコーネ男爵家は、国内外に多くの支店を持つ大商会を営んでいる。財力だけなら、公爵家と並んでも引けを取らないレベルなのだ。
がゆえに、王宮へ向かう乗り物は、貴族がよく使う馬車ではない。
グラン・コーチ――ミノタウロスという異世界種の大型魔獣に牽かせる車両は、幅約ニメトル・全長五メトルにも及ぶ。
内部には艶やかなサテンを張り、座席はふかふかのソファ。向かい合う座席の間には、貴婦人のドレスが窮屈に押し込められることのないじゅうぶんなスペースがあり、飲み物片手にカードに興じられる瀟洒なテーブルまで設えてある。大きな窓はガラス張りで、隣国から仕入れた繊細なレースカーテンが揺れていた。
夜会には、隣国の支店に行って不在の男爵夫妻の代わりに、ノートン子爵夫妻が保護者として同行する。マックスは、夜会当日も王宮に出仕しており、リディアを迎えに来られなかったのだ。それなら今までもあったことなので、リディアもいつものことだと油断していたのだが。
「リディ、今夜は私たちのお客様も同行するの。ブレントム伯爵家のジーン様よ。ご挨拶を」
笑顔のノートン夫人に紹介された人物に、一瞬息が止まりそうになった。
「やあ、お嬢さん」
紅茶色の瞳を柔らかく細め、穏やかな笑みを浮かべていたのは。
(冒険者崩れから助けてくれた……!)
漆黒の夜会服に同じ色のマントを羽織り、白いクラヴァットを留めるのはオーバルカットのピジョン・ブラッド。一ヶ月前、リディアを冒険者崩れたちから助けてくれたその人が、まさかの同行者だった。
♡♡♡
同じ時間……。
メリルはメリルで夜会へ向かう馬車に揺られていた。向かうのは姉と同じく王宮だ。
姉のリディアと同じく〈黒魔法使い〉で、さらに昼間活動できないメリルに、貴族の伴侶としての価値は実家の財力を除けば無いに等しい。
家族は、その体質ゆえに結婚しなくてもいいと言った。たとえ老いても家を出る必要はない、と。メリルたちには二人の成人した兄がいる。跡取りには困っていないし、とある理由から政界に近づこうとも考えていない。
だから、メリル自身は結婚や貴族との結びつきを強く意識したことはない。彼女にとって、夜会はただ華やかに着飾って楽しむものだ。
「お嬢様、一旦止めますぞ」
馭者が馬を減速させて、馬車を道の端に停車させた。数拍後、六頭立ての立派な馬車が真横を通り過ぎていった。あの馬車も王宮の夜会に向かうのだろう。
夜会は、より良い家を見極め、縁を結ぶ場所だ。中には、恋愛感情を先立たせる者もいるが……。
(お姉さまは今頃、マックス様とご一緒なのかしらぁ……?)
姉がバルテルミ伯爵家へ嫁ぐ話は、長らく結論を先延ばしにされてきた。第一に身分差が、第二に〈黒魔法〉がその理由と、愚かな姉は考えているようだけれど。
ほぼ毎日のように夜会に参加するメリルは知っているのだ。本当の理由を。
王国には、大きく二つの派閥が存在している。
一つは王侯派。またの名を女神派。
一つは保守派。またの名を魔女派。
それぞれに信ずるモノが異なる両派閥の溝は、決して浅くない。
王太子レグルス殿下――王族は前者。当然、レグルス殿下に側近候補として仕えるマックス、バルテルミ伯爵家も王侯派だ。
一方、コンコーネ男爵やノートン子爵は、明言こそ避けているものの、その心は保守派寄り。
だからこそ、派閥を跨いだ二人の婚約打診は、のらりくらりと躱されてきたのだ。かれこれ五年以上も。きっと縁が結ばれることはない。
(ウフフッ……そ、れ、に)
マックスはメリルから見ても整った顔だちをしているし、美男子の部類にも入る。レディーファーストで、可愛いところだってある。
でも、メリルは彼に近づくつもりはない。アレは願い下げだ。
(マックス様はとぉーっても素敵な方ですもの)
クフフッ、と妖精のように可憐な令嬢は肩をふるわせる。今夜の夜会が楽しみでならない。
◆◆◆
「そちらのミークはお嬢様付で?」
グラン・コーチの中では、ノートン子爵夫妻とリディアを助けてくれたあの人――ジーンが、和やかに会話を楽しんでいた。
ジーンの柔らかな眼差しは、今はリディアの隣にちょこんと控えるミークに向けられている。
「ええ、ええ。よく気がついてとってもいい子ですのよ? ね? リディア」
ニコニコと夫人が答え、リディアも「ええ」と答える。共に生活している彼らを褒められると、素直に嬉しい。
「…………」
「…………」
会話が途切れる。
ジーンの従者――立派な体格は『創世神話』に登場する〈戦斧使い〉を彷彿とさせる――がほうっとため息をこぼした。
「微笑まれると、まるで花が綻んだようですね」
「?!」
気づけば、車内の面々の視線が己に集まっている。途端、リディアの顔はボッと茹であがった。
(ふえぇ?!)
急になんてことを言いだすのか。
リディアはどちらかというと大人しめの性格。何より〈黒魔法使い〉と揶揄されることばかりなので、夜会をはじめ社交の場にはほとんど顔を出さない。
有り体に言えば、褒められることに免疫がないのだ。正確に言えば、マックス以外から褒められることに慣れていない。
(もうもうっ! 恥ずかしくて顔をあげられないわ!)
マックスと一緒なら自然体でいられるリディアでも、一歩彼のそばを離れると途端に無菌室育ちっぷりが露呈する。
(お化粧、変だったんじゃ……)
頭に浮かぶのは、あらぬ憶測。夜会に出るため、唇にひいた紅がいつもより鮮やかなのだ。目もやたら強調されている気がしてならない。ドレスだって……。何より恥ずかしさで耳まで赤くなっている自信がある。額にじわりと汗が滲むのもわかる――とても見せられる顔ではない。
「とても可愛らしいお嬢様ではありませんか」
「ええ、ええ、自慢の姪ですのよ?」
こういうとき、持ちあげられるのは逆効果だ。リディアの心臓がトクトクと走りはじめた、その時。
「君たちは、幸せ?」
不意に、その人がミークに尋ねた。柔らかくて低く、耳に心地よい声だ。
人間とミークをはじめとする異世界から渡ってきた種族は、言葉が通じない。でも、親しみから、彼らに言葉をかけることは別に珍しいことではないが……。
「(まあ! 私たちにも言葉がわかる!)」
けれど。
「(もしや、もしやあなた様は、いにしえより一族に伝わる 〈勇者様〉 なのですか? ああ……なんて光栄なんでしょう!)」
大きな目をウルウルさせたミークの声は、「キャワン、キャワワワン」としか聞こえない。普通なら。でも、今はその声にリディアたちが話す言葉が重なって聞こえるのだ。
(言葉がわかるわ?!)
思わずリディアは顔をあげて、驚きの表情で隣に腰かけるミークを見つめた。
「(ええ、ええ、私たちはとても幸せです。お嬢様も奥様も旦那様も、他の召使いたちも……人間はみんな良くしてくれますわ! ああ……かつて〈勇者様〉のご好意を断ってしまった我が一族を気にかけていただけるなんて)」
いつものミークたちの鳴き声に、確かな意味を聞き取れる。それに彼らはジーンを〈勇者様〉と……。
ブレントム(Blentom)はアナグラムです。並べ替えると……?