Chapter03-2 ジーンの説得
ジーン視点です。
ガラス張りの温室には、芳香が満ちていた。白く儚げな花弁が地を覆い、夜空の下に咲き誇っている。
晩餐のあと、ジーンはカーミラからここに呼び出された。
「俺は余計だったんじゃないか? ジーン」
アイアンレースの椅子に腰かけたパスカルが尋ねた。不安げな顔で佇む自分に、親友は渋面を向けた。
「適任はリディアちゃんだろ。なんで俺なんだよ」
ジーンは困ったように肩をすくめる。
「彼女は巻き込まれただけなんだ、パスカル。それに、〈勇者〉の役割は」
言いかけたところに、カーミラが姿を現した。誰も連れず、一人で来たらしい。それを見てとるや、パスカルは「俺は引っ込む」と姿を消してしまった。
白いドレスの上に、踝まで届く同色の長衣を羽織り、紗の腰帯でそれを留め――数百年前の貴人の姿で佇む様は儚く、人外じみたオーラを纏わせている。
「あ」
ジーンの前で足をとめた彼女は、灰色の大きな瞳に不安の色をいっぱいにして。
「テディーたちは、いなくなってしまうの?」
縋るように、そう訊いた。
♧♧♧
「テディーたちは、いなくなってしまうの? あの子たちを『あるべき界に帰す』の?」
吐息混じりの早口で――答えを急くようにカーミラは訊いた。
「それが〈勇者様〉のお役目……。でも、私たちはテディーたちが大好きなの。『おともだち』なの」
強く、目に力を込めてカーミラはジーンを見つめた。
言葉遣いは小さな女の子のよう。ストレートで少し拙い。けれど、語る声は紛れもなく大人のもので。どこか芯があるようにも感じられた。
しかし次の瞬間、
「……お願い」
凛とした声音を一転、今にも泣きそうなほどに震わせ。
(なっ?!)
両手を握られたかと思うと、カーミラとの間に人一人分空いていた距離が詰まり、微かな衝撃――柔らかさと仄かな温もりを押しつけられた。
「あの子たちを連れていかないで」
花の芳香とは異なる、甘やかな匂いが鼻を掠め――妙齢の美女に突然抱きつかれたジーンはびしりと固まった。一瞬、頭が真っ白になる。
ジーンの動揺を知ってか知らずか、カーミラは話を続ける。
「あの子たちはとっても賢いのよ? こわい魔物を飼いならしてね。とっても美味しい蜂蜜が採れる花を探して殖やして……」
愛おしさと慈しみの滲む柔らかな声が語る。
「ここに来る商人が教えてくれたわ。あの子たちの蜂蜜はとっても栄養があって、薬にもなるの。役に立っているの」
歌うような声は頭の芯を蕩かすような心地さえ……
(いやいやいや! 話をよく聞くんだ!)
理由はわからないが、この体勢は落ち着かない。考えることを忘れ、すべてに頷いてしまいそうになる。
「カーミラ嬢」
なんとか平静な声を保ち、そっとカーミラの肩を抱いて押し返そうとするものの。
「…………」
カーミラはジーンに縋りついたまま、離れない。力加減をどうしていいかわからず、ジーンは迷った挙げ句、カーミラの肩に置いていた手をおろした。
(……かたくなッ)
とりあえず、彼女のいちばんの心配事を解消しようと切り替えた。
「カーミラ嬢、俺は〈厄災〉たちを滅するつもりはないよ」
実際、〈厄災〉たちはこの世界に留まることを望んだ。だから、〈勇者〉の力は使わない。カーミラの前からいなくなったりしない。
それを話すと、カーミラは安心したのだろう。ほうっと息を吐いて、ジーンから身体を離した。
「でも」
気を引き締めて、ジーンは本題を切り出した。
「東の森――フュゼ側で、〈厄災〉の養蜂が問題になっているんだ」
確かに、キラービーの蜂蜜は栄養価が高く、薬にもなる希少な素材だ。求める人も多い。
だが、キラービーが吸蜜していたのはゴールデンロッド。そして……カーミラの話から、恐らく〈厄災〉たちは意図してゴールデンロッドを殖やしている。それは、フュゼ側には決して受け入れられないことだろう。
ジーンはできるだけ噛み砕いた言葉で、ゴールデンロッドとキラービー、フュゼの事情を話した。
フュゼの人々にとってゴールデンロッドは生活を脅かす植物だと。それと家畜化されたキラービーを巡って〈厄災〉と人間が対立していると。
「このままでは、どちらにもひどい犠牲が出てしまう」
カーミラ側に一方的にやめろ我慢しろと言うつもりはない。森全体を人間が掌握しているわけではない。だから、衝突しない範囲で養蜂を続けるのはできると思う。ただ、ゴールデンロッドを抜きにきた人間に矢を射かけるのはやめさせなければ。
「考えてもらえないだろうか」




