エピローグ
明けて翌日――。
「お? ディオさん、髪切ったのかい?」
「ええ」
「気をつけてな~」
門番に見送られ、リディアは再びフュゼの街に入った。
追っ手の紳士に見つからないように法衣を纏わず、ラームス村でリディアとして着ていた服を着て、長かったローズブラウンの髪は肩の辺りでバッサリと切り落とした。その髪も麻紐で縛り、ヨルクを真似て鼻から下を布で覆って隠せば、女顔ともわからない。荷物もすべて〈空間〉に運びこんでしまったので、手ぶらだ。
『リディア、髪……』
〈空間〉から、何度目かになる気遣わしげな声をかけてくるヘリオスに、『私のわがままだから』と返して。
『ヘリオスさん、お願い』
ひと目につかない路地に入って、ヘリオスの魔法を解いて女性に戻る。そして、やってきたのは。
(ここだわ)
砂漠の国の衣装を金貨五枚という高額で売っていた、あの服屋の前。今は、店の前にあるトルソーは別の服――ごくごく一般的な形のワンピースを着せられていた。
店の扉を開いて中に入り、顔を隠していた布を取り、髪を縛っていた紐も解く。誰が見ても『女の子』の姿になって。
ジーンが、鱗モグラの姿をした〈厄災〉を〈滅し〉て――彼らが元いた世界に帰して。
もう、リディアたちがフュゼに留まる理由はなかった。それなりに旅費を稼げたし、偽名のギルドカードもある。昨夜、ジーンの翼で別の街に移動することもできたのだが。
「どうしてもやりたいことがあるの」
ここにいるのは、ひとえにリディアのわがままだ。街中で女性として行動するリスクを冒すのも。
でも――。
「いらっしゃい」
呼び鈴の音に出てきたのは、あの日トルソーを表に運び出していた女性。他に店員の姿はないため、この女性が店の主なのだろう。
「あの……!」
勇気を出して、女性に声をかける。
「どうか私に、砂漠の国の服の縫い方を教えてください!」
妹のためとはいえ、金貨五枚なんてとても払えない。だから、作り方を教わろうと思ったのだ。布地だけなら、そこまで高くはない。
「針仕事ならできます。刺繍も……仕事を手伝いますから。給金はいりません。お願いします……!」
ヨルクの母親から教わった縫製は、リディアにもできた。だから、タダ働きを対価に――。
「ちょ、ちょっと頭をあげてちょうだい」
突然の腰を折ったリディアの申し出に狼狽したのだろう。女性は、リディアの両肩を押して顔をあげさせた。
「砂漠の国の衣装だなんて。どうしてその服が欲しいの?」
思ったよりもあっさりと、服屋の女性――ソニアさんはリディアを受け入れてくれた。
「レヴィさんみたいに、陽射しがダメな人はときどき聞くよ」
赤ら顔になるんだってねぇ、と、彼女は言いながら、リディアが針を動かすのを見てくれている。なお、念のためソニアさんにも本名は名乗らず、ミドルネームの『レヴィ』を名乗り、砂漠の国の衣装が欲しい理由として、自分が陽射しに弱いからと説明していた。ヘリオスによれば、そういう人は実際いるらしいから。
「ん。きれいな縫い目ね」
「これでいいんですか?」
「上出来よ」
ソニアさんの店は、主に女性用の服や雑貨を扱っている。ともあれ、縫ったものが「売り物にならない」と言われなくてホッとするリディアであった。
そんなリディアの与り知らぬところで、昨夜のジーンの魔法は思わぬ波紋を広げていた。
フュゼ――かつて狼煙台があった要塞から発展した小都市は、王都からほど近い位置にある。昨夜の天を衝く聖剣の光は、王都の城壁を護る兵士も目撃していた。
異変は夜間のことで、目撃者は見張りの兵士の他は多くいない。が、間違いようもなく大魔法が使われたわけで、王都からは近隣の都市に異変調査の早馬が出された。
フュゼは異変に最も近かったがために、調査使節の迎え入れやら、現地への人の派遣やらで大わらわになる。例の紳士が使節の前にしゃしゃり出て、開口一番異端がどうのといって空気を凍らせたのは些末なことである。
おかげで、『推定魔女派の貴族令嬢の親類で、女顔の聖職者ディオ』のことはすっかり騒動の波に押し流されてしまった。
そして――。
「出来上がりだよ。よく頑張った」
「本当にありがとうございます。お部屋まで貸していただいて」
縫い上がった砂漠の国の衣装を手に、リディアはソニアさんにペコリと頭を下げた。
あれから十日間、店の仕事を手伝いながら型紙を写し、裁断から縫製まで――。
ヨルクの家で教わった修繕と違い、一から布地を縫う作業は時間も何倍もかかったし、型通りに作ってもそのままではダボダボだったりパツンパツンだったり。丈の詰め方や、芯の使いどころ、補強の仕方――短い時間で教わったことは数限りない。
「いいよ。私も助かったし、アンタ刺繍上手いし」
褒められて、頬を染める。貴族令嬢の嗜みでやっていた刺繍が、こんなところで評価されるなど思いもしなかったのだ。
「それからこれ、持って行きな」
別れ際、笑顔のソニアさんから手渡されたのは。
「これ……!」
淡い緑に染めた布地、ドレープをたっぷり取ったローブ。素朴な色糸で裾や袖に花を模った刺繍が施され、可愛らしい印象のそれは……。
(金貨五枚の!)
思い出して、慌ててソニアさんの手にお返しする。
「い、いただけません! 金貨五枚の高価な服なのに」
面食らうリディアに、ソニアさんは目を丸くし、次いで「あっはははは!」と笑い出した。
「ソニアさん?」
「ごめんごめん。でも貰って? この服も、ただ飾られているより、誰かに着てもらった方が嬉しいと思うの」
洗い替えも必要でしょ? と、ソニアさんは片目を瞑ってみせた。
「売りたくなかったんだよ、その服。私の意地みたいなものだから。だから、法外な値段をつけたんだ」
聞けば、ソニアさんはフュゼではなく、もっと田舎の出身らしい。
「王都に自分の店を出すのが、若い頃の夢でね」
仕立屋に弟子入りして修行し、針子をしてお金を貯めて――。
「でも、王都はとても厳しいところでさ。実力の無さを思い知らされて」
店を出すのを諦め、流れ着いたのがフュゼ。そこで、たまたま縁があって自分の店を持った。
ちょうどその頃、フュゼに立ち寄った砂漠の国の隊商が持ってきた衣装に目を奪われ、型紙も一から作って試行錯誤の末に縫い上げたのが、あの金貨五枚の服。
「あちらの服は、ビーズや宝石を目いっぱい縫いつけるでしょう? そんな服を一度でいいから縫ってみたかったの。宝石もビーズも買えないのに、もう意地でね」
フフフッと笑って、ソニアさんは愛おしげな眼差しをリディアの手にある服に向けた。
「そんな! なおのこといただけません。だってこれはソニアさんの」
夢が詰まったものだ。彼女は『意地』と言ったけれど。
「型紙はあるんだもの。また作れるわ」
だから、持っていってと。さっぱりした顔でソニアさんは服をリディアに押しつけた。
「その代わりと言っては何だけど。頼まれてくれないかしら」
なんでしょう? と身を乗り出すリディアにソニアさんは苦笑し、小さく折り畳んだ紙を寄越してきた。
「レヴィは東へ行くんでしょう? ここからは遠いけど、国境近くにアントルメって街があってね。私の師匠がいるの。これは師匠への手紙」
オクトヴィア王国に、『郵便』の制度はない。貴族なら金を出して飛脚を雇えるが、いち庶民が遠方に個人的な手紙を届けるには、届け先方向へ向かう旅人なり商人なりに託すのである。道中何があるかわからない――手紙はとても不確かな通信手段なのだ。
「それからこれはギルドへの紹介状よ。同じギルドに加盟している仕立屋なら、きっと針子の仕事をくれるわ」
冒険者ギルド以外にもギルドは数多く存在する。貰ったのは、針子などが属する職人ギルドへの紹介状。冒険者ギルドと同じく、職人として登録すればギルドカードが発行される。身分証として通用する他、ギルド登録の職人は、傘下の仕立屋で修行を兼ね住み込みで働かせてもらえるのだ。宿代と食事代に困らないのは、とてもありがたいことである。
何より。
紹介状の名前は、きっとミドルネームでも本名のレヴィだから。
(私の、身分証……!)
ニセモノでもなんでもない、正真正銘、リディアの身分証なのだ。
自分には何にもないと思っていたから。
でも、そんなことはなかった。できることはあった。それが胸を震わせる――嬉しい。
「言っとくけど、職人の修行は厳しいよ。顔が変わっちゃうんだから」
こーんなふうにね! と、ソニアさんは両手で目と口の端を吊り上げて見せる。が、その顔は怖いと言うよりなんだかおかしい。
クスクス笑うリディアに、ソニアさんは苦笑し。
「でも、夢を持ち続けることは悪くない。それがあるから、前に進んでいける。今の気持ちを忘れないで」
その顔は苦笑いから、優しい眼差しに変わっていた。
◆◆◆
「気をつけてな~」
見送ってくれるフュゼの門番に手を振り、リディアは前を向いた。足取りは、王都を出たときより格段にしっかりとしたものに変わっている。
(もう、いいかしら)
フュゼが遠く見えなくなってから。
「【放て】」
十日間以上、ほとんど〈空間〉から出せなかった仲間たちを解放する。
「あ~~~! やっっと出られたぁ!!」
「シャバの空気はいいねぇ!」
「ほんっっと!」
ウィル、ヘリオス、メリル、それぞれが薄暮の中で身体を伸ばす。ジーンはいつも通り穏やかな眼差しで彼らを眺めていた。
「ゴメンね。私のわがままで」
十日間の『籠城』はなかなかに大変だったし、食糧などの買い物でお金は使う一方。自分で縫った財布がずいぶん寂しくなってしまった。ちょっと、いや、かなり無計画の無謀である。
「いいじゃんいいじゃん! メリルちゃんが昼間も出てこれるようになったんだし!」
それをウィルが笑い飛ばす。
「そ! 必要経費だって!」
ヘリオスも言って、
「あ、ダメだ足痛い腰痛い疲れた。リディア、やっぱ運ん」
「歩け、へなちょこ聖者」
ちょっと懐かしい弱音を吐いて、ウィルに背中を叩かれた。「うげー」と鳴くヘリオス。
空にはいつの間にかすっかり太った月が浮かび、笑いさざめく一行を見下ろしていた。




