Chapter06-3 勇者の力
長らくフュゼを悩ませている外来種、ゴールデンロッドの駆逐作戦の夜になった。
森に近い側の城門から、この日のために組まれた駆逐部隊と、〈厄災〉をギュウギュウに詰めた檻が出発し、ゴールデンロッドの群生地へと向かった。
その少し後ろ――蝙蝠の群れと化したジーンと小さなカニの姿になったリディアが、上空から一行を追う。
ヘリオスとウィルは、一足先にラームス側の森へ迷子の〈厄災〉を迎えに行っている。しかし、真っ暗な中で別行動をして果たして無事合流できるのだろうか。
(ウィル君だし、きっと大丈……)
身体能力の高いウィルならきっとなんとかなる。……いやまて。一人ならともかく、あの運動音痴のヘリオスも一緒なのだ。リディアの脳裏にポーション瓶の袋を抱っこして地べたに転がる情けない聖者様の絵面がよぎった。
(…………不安)
『部隊が止まった! 降りるよ、リディア』
夜目のきくジーンによると、部隊は停止して陣形を整えだしたようだ。急がなければ!
暗闇にまぎれ、夜の森に降りたったジーンが人型に姿を変える。黒いマントに身を包んだジーンはほぼ周囲の景色と同化している。
ヘリオスたちは?
「いた! ジーンさん!」
ガサガサッと草をかきわける音がしたかと思うと、真横から人の気配――暗くてよく見えないが、この声はウィル。次いで、
「フゥ。着いたぞ、聖者様」
「ハッ?! グエェ」
ヘリオスを担いだパスカルが現れた。なるほど、彼がいたからウィルのペースに着いてこられた――小さな謎が払拭できた。
「ギッ」
足許からも鳴き声と気配……お馴染みの腐敗臭。迷子の〈厄災〉も無事たどり着いたようだ。
一方の駆除部隊は、煌々と灯りを灯し、わざと大きな声で指示出しをしている。
「アピールしてるね」
「妨害者ってのを刺激して、誘い出そうとしてんじゃないか?」
ヘリオスとパスカルがヒソヒソと話し合う。ヘリオスによって人型に戻してもらったリディアも、音を立てないように部隊の様子をうかがうが……
「?!」
突然、部隊側から光魔法の光球が飛んできて、近くを照らし出す。ヘリオスたちが急いで身を伏せ、
「リディア」
ジーンが自身の纏う黒いマントの内側に、素早くリディアを抱きこんだ。
真っ黒な視界――ひやりと温度のないシャツ越しに触れたジーンの身体は思いのほか逞しく。頬に集まる熱と早まる拍動をリディアは持てあました。
「じゃ、こっちも仕掛けよっか」
ニシシシ、とウィルが悪そうな笑みを浮かべ、地面に手をついた。
「アニキ、頼むぜ! 【Elevate】!」
ウィルを起点に、魔力が波動のように広がる。ズゥン……と地鳴りのような音がしたかと思うと、駆除部隊の方でガシャン、と何か大きな物が倒れる音がした。
「敵襲ー! 警戒せよー!」
部隊が牽いていた台車の一つ、ゴールデンロッド駆除に使う魔道具を積んだそれが横転したのだ。ひと抱え大の泥団子が、さっきまではなかった坂をコロコロと四方へ転がっていく。
ウィルがモルドレッドの大魔法で、台車の真下の地面を隆起させ、魔道具の台車を倒したのだ
「ワームか?!」
部隊の冒険者たちが放った光球が、こんもり隆起した地面を照らし出す。そこへ……
「森から来るぞ!」
「あれは……ゴーレムか?!」
森の方角からわらわらと押し寄せる人型――泥人形たち。すべてウィルの魔法によるものだ。
「クソッ! 今までこんなことは……」
駆除部隊は面食らっていた。なぜなら今まで、駆除を妨害してきた襲撃者は魔法など使ってこなかったから。
「領兵は魔道具を拾え! 冒険者はゴーレムを討伐!」
想定外の事態に、駆除部隊の隊長は冒険者たちにゴーレムの相手を命じ、領兵に急ぎ魔道具を拾う指示を出すが。
「キャアアッ?! なんなのよコイツら!?」
ゴーレムときたら、攻撃をしようとした女性冒険者に抱きついて動きを邪魔してきたり。
「こら! それを返せ!」
領兵が拾おうとした魔道具を横からかっ攫い、明後日の方向にぶん投げたり。
「【ウィンド・カッター】! なに?!」
かと思えば、冒険者が術者へ放った攻撃をその身を盾にして防いだり、攻撃はしてこないくせに、実にさまざまな動きで部隊を攪乱する。
ゴーレムの対処に右往左往する部隊を、森の暗がりからジーンは申し訳なさそうに眺め、次いで眼差しを夜空に向けた。
スゥと息を吸いこむ――。
「眼に居ますいにしえの〈魔女〉よ」
凛とした詠唱。スッと伸ばした彼の手から、キラキラと眩い光の粒がこぼれ、迸る。
一見神々しい魔法の気配とは裏腹に、晴れていた夜空に黒い雲が集まり、星空を覆う。
「汝の定めし〈勇者〉はここに!」
光の粒は天へ伸ばしたジーンの手に収束し、やがて白銀の刀身を持つ美しい聖剣に姿を変えた。
稲妻が雲を伝い、ゴロゴロと唸る。嵐に似た風が吹き荒れ、ジーンの纏うマントとリディアのローズブラウンの髪をもてあそび、はためかせる。
「我が願いは、人と仔の願いなり!」
聖剣の発する光に照らされたジーンの姿が色彩を取り戻し、オークブラウンの髪に秀麗な横顔の青年が闇に浮かびあがる。まっすぐ天を見据える瞳は、色濃い魔力を反映して煌々と紅く。彼の魔力を含んだ声が、呪言を紡ぐ。
「今こそ異界の扉を開き
落とし仔らをあるべき界に帰したまえ!」
聖剣から一条の紅い光が夜空に迸った。
『きゃあ?! な、なに?!』
普段は静か過ぎるくらい静かな〈空間〉が、なぜかグラグラと音を立てて揺れ始め、一人でいたメリルは慌てて頭からブランケットを被った。その横で、〈空間〉内にあるカップやランプシェードがぶつかり合ってガチャガチャと音を立てる。
(これが……〈勇者〉の)
吹き荒れる風に森の木の葉が吹き飛ばされ、舞いあがる。初めて目の当たりにするジーンの魔法――彼の腕に抱かれたリディアが見つめる先で。
聖剣の光が吸いこまれた夜空に、一拍遅れて紅い光を放つ巨大な魔法陣が現れ、それを中心に雷雲が怪しく渦を巻く。感じるのは、背が粟立つほどの膨大な魔力。時折雲を奔る紫電は、魔力の奔流によるものだ。
「な?! 何が起きている?!」
フュゼの駆除部隊も、それを感じ取ったのだろう。誰もが何もできず、天変地異にも似た空の異変を見上げていた。
「檻が!」
誰かが叫んだ。
見れば、〈厄災〉を縛めていた鎖も檻も木っ端微塵に砕け散り、凄まじい風が〈厄災〉たちを空へ舞いあげて……あの熊のように大きな体躯を。
「うわっ!」
「ギャッ」
森の中にいた迷子の〈厄災〉もまた、不思議な力で空へ吹き飛ばされ、紅い魔法陣――渦巻く雲の中心に引き寄せられるように飛んでいく。突風に煽られたウィルとヘリオスが、すんでのところでパスカルに引っぱり戻されて地面に転がった。リディアを抱くジーンの腕にも力がこもり、リディアもまたジーンに必死にしがみつく。そうでもしないと吹き飛ばされそうで。
なんと凄まじい魔法なのだろうか――。
烈風に舞い上がった葉や小枝が雨のように降り注ぐ。ビュオオオッと風がうなり声をあげ、リディアの足が地面を滑る。
「フッ……くっ!」
(すごい、風……!)
身体が持っていかれる!
――と。
不意に身体にぶつかる風が消えた。代わりに感じたのは、ひやりとした感触。恐る恐る目を開けると、リディアは漆黒の帳の中――ジーンがリディアを守るように片翼の内に閉じ込めていた。
(ジーンさん、手が……!)
聖剣の光に一瞬照らされた彼の手は、人間より大きくゴツゴツした鱗のようなモノに覆われ、黒く鋭い爪が生えた怪物のそれ。びっくりして見上げた彼は、リディアと目が合うと紅い目でふわりと微笑んだ。
『大丈夫。もう、終わるから』
翼がリディアを包み込み、また視界は漆黒に染まる。そんな中、〈厄災〉たちは次々とその雲に吸いこまれて――。
やがて、すべての〈厄災〉が雲の彼方に吸いこまれて消え、吹き荒れていた風もおさまった。
後に残されたのは、呆然と夜空を見上げる駆除部隊と、檻と鎖の残骸。さんざん悪戯をしてくれた泥人形たちも、溶け崩れてただの土塊に還っていた。
すでに魔法陣は光を失い、紅色の残滓がわずかに、ちぎれた雲に滲んでいるだけだった。




