Chapter06-2 逃亡の顛末
『ヨルク君?!』
門に佇む衛兵に話しかけたのは、他ならぬ彼で――。
「あのお貴族様ってカストラムの人なのか?」
「ああ。そうらしい」
カストラムはフュゼから馬で半日ほどで行ける大きな城塞都市で、街道の分岐点に位置する。領主はカストラム伯爵。王侯派の代表格だ。
『少なくともカストラムまでは俺たちの手配がいってるって認識でいいと思う』
ウィルが〈空間〉から囁いた。
『カストラムは関所でもあるからなぁ。リディアのギルドカードが使えないとなると厄介かも』
ギルドカードを作ったのは、この関所を通過するためでもある。早くも目算が狂ってしまった。
「街の中にいるんだろ? まだ見つからないのか?」
問うた衛兵に、ヨルクは険しい眼差しを門に向けた。
「イーノックさんが冒険者に依頼出して街を探してる。でも、まだ……」
(……え?)
門だけでなく、街の中でも捜索が行われているのだろうか。思った以上に『お尋ね者』になってしまっている。
(これじゃ人間の姿に戻れないわ……!)
人型を取れなければ、寝床どころか食糧の調達もままならない。
(どうしたらいいの……)
途方に暮れるリディアの頭上で、衛兵がヨルクに言う。
「そろそろ寝とけよ。明日は壁の修復やるんだろ。寝ぼけて落ちちゃいけねぇ」
「……うん」
篝火にオレンジ色に照らされた横顔が、今一度門の向こうを見つめる。
「ディオさん、捕まらないよな? 俺、あの人にはすっげぇ恩があるんだ。俺がソロでもやっていけるように薬草と薬作り教えてくれて、今日は街の薬屋に俺のこと紹介してくれて。その薬屋のおばちゃんから聞いたんだ。普通、薬のレシピは門外不出なんだって。それをあの人、惜しげもなく……」
(ヨルク君……)
そういえばそんなこともしたっけ――。
長くフュゼに留まるわけではないからと、今日はヨルクが作った傷薬を持って街の薬屋を訪れ、彼を紹介し、後を頼んできたのだ。ついでにヘリオス秘伝のレシピもいくつか渡しておいた。
『後輩の育成を中途半端にしたくないし、薬は商売のためにあるんじゃないからね!』
とは、ヘリオスの言。
「大丈夫だって。大きな声じゃ言えねぇが、僧侶様を見つけてもあのお貴族様には突きださねぇよ。イーノックさんが身銭切って依頼出して探させてるんだろ? じきに見つかるさ」
(ええっ?!)
衛兵の言葉に思わずカニの姿で仰け反るリディア。あの恐ろしいゴリマッ……イーノックが、自腹を切ってまで?! それも、きっとリディアを助けるために。
『人間に戻っても大丈夫じゃない? こんなところで嘘はつかないよ』
〈空間〉からウィルが明るく言う。
『弟子を疑うなんてどうかしてるさ!』
ヘリオスも言った。
シャカシャカと来た道を戻り、門を通過し、ジーンの待つ路地の暗がりへ戻る。そこでヘリオスの魔法を解いて人間に――聖職者ディオに姿を変えて。
「ふぎゅふっ?!」
……予想外に路地が狭かった。
「にゅ、けニャい~~!」
路地に挟まりジタバタするリディアの脇を、
『待ってて』
狼に姿を変えたジーンがすり抜け、
「あ! ディオさんの犬!」
「ワフッ(犬じゃないよ!)」
感動の再会劇は、壁に挟まった間抜けな僧侶様救出劇に。安堵のため息は、笑い含みの声援に変わったのだった。
◆◆◆
ヨルクたちの計らいで、リディアはひとまずヨルクの家に一晩泊めてもらうことになった。翌日は一人で薬草採取に行き、ポーションを作ってギルドに納品する予定だったが……。
「雨……」
未明から降り始めた雨は、ザアザアと勢いを落とさず、止みそうにない。壁の修復も中止、農作業もできない。よって、図らずもヨルク一家と共に過ごすことになってしまった。
武器や農具の手入れに勤しむ彼らを前に、リディアだけやることがない。
(いつも雨の日は何をやっていたっけ?)
時間だけが無為に過ぎていく。
ザアザアと雨音は絶え間なく、明かり取りの格子窓からは、湿気と雨の匂い。視界は白く霞み、雨樋からバチャバチャと水が落ちる音――。
何気なく目をやった先では、ヨルクの母親が縫い物をしている。それをぼんやりと眺めた。
(刺繍はよくやったのよね。でも、縫い物はやったことなかったなぁ)
令嬢の自分には必要なかったから――縫い物は下女の、『卑しい』仕事だったから。
「ディオさんの法衣も繕いましょうか」
見つめていたからか、ヨルクの母親がリディアに柔らかな声で尋ねてきた。
「袖のところ、少しほつれているわ」
言われてみれば、昨日は追いかけられたり壁に挟まったりで、王都を出たときにはきれいだった法衣もあちこちがほつれ、ずいぶんヨレヨレになってきた。
「あの、やり方を教えていただいても?」
その時はぼんやりと「今後必要になるのかもしれない」と思って。リディアはヨルクの母親に教えを請うた。
…………。
…………。
「ディオさんは器用なのね。飲み込みも早いし」
刺繍とちがって縫い枠がないことに戸惑ったものの、縫製は思ったよりも簡単だった。複雑な図案を刺す刺繍よりも、縫い方が単純なのだ。
あっという間に作業は終わってしまい、また何もすることがなくなる。雨はやや勢いを落としたが、まだ降り続いている。
『リディアー、お腹減ってない?』
〈空間〉からヘリオスが聞いてきたが、朝からほとんど動いていないせいか、空腹を感じない。
『アハハ。僕らもだよ』
〈空間〉にいる面々も同じようだ。リディアに比べて、ここ何日かはウィルでさえほとんど外に出ていない――動いていない。ウィル当人は「身体が鈍る~!」と動きたがっているが。
ふと、思う――。
メリルはどうだったのだろうか、と。
陽に当たれないメリルは、他のメンバーと比べて、外に出られる時間も回数も少なかった。食べる量も減っていて、ただただ心配だったけれど。
ずうっと〈空間〉にいて、リディアの目から外を見るばかりで。
彼女の心境は、今の自分に似ていないか。
出られない。
何もできない。
『お、お姉さま! その服!』
『値段見て! 早く早く!』
街で、なぜあの店の服にあんなにも興味を示したのか。
なぜ、リディアに成りすましてまで、ニーナの家に押しかけたのか。
(あ!)
――砂漠の国の衣装!!
ようやく、リディアは気づいた。妹が欲しがった理由を。
砂漠の国の衣装は、もっぱら強すぎる陽射しから肌を護るために、目もとを僅かに除いて頭からつま先までをすっぽりと覆う。つまり、あれさえ着れば肌を陽射しに晒さないで済む。メリルも昼間外に出られる。
(外に出たかったんだ……)
『アンタになんかわかんないわよ!』
あのとき投げつけられた言葉の意味を、ようやく悟る。なんてことだ。メリルの身になって考えていれば……。メリルが悪さをしたのは、メリルが悪人だからではなかった。妹の事情をおざなりにし、彼女のことを考えなかった自分に非があったのだ。
何日もほとんど閉じ込められた状態は、きっとストレスだったにちがいない。なのに、メリルは目立った癇癪も起こさず――我慢していたのだろう。状況が状況だけに。
ラームス村を追い出されて以来、メリルはひと言も喋らない。
『メリル……ごめんね』
ポツリと〈空間〉に投げかけた謝罪。
返事は、なかった。




