Chapter01-4 限定パルフェと小さな不安
「へぇ~、へぇ~、お姉さまったらメリルの知らないところで素敵な殿方と逃避行……」
「ち、ちがうわ。お礼も言えなかったし、お名前も聞けなかったから」
王都の人気カフェ『幸せウサギの尻尾』亭の二階。個室にて、マックスとリディア、そしてリディアの妹、メリルがテーブルを囲んでいる。
姉と同じローズブラウンで、柔らかくウェーブがかかった髪を緩く編み込み、茜色の瞳を悪戯っぽく細め。ほんのりルージュをひいた口で華やかな笑みを浮かべる妹。
無表情でいれば、リディアと鏡合わせのようにそっくりな妹だが、こうして二人並ぶと、纏う雰囲気がずいぶんちがうことに気づく。
子供の頃のお茶会以来、メリルは昼間の移動手段として姉の魔法を利用している。もちろん、陽に当たらないよう細心の注意を払い、個室は彼女のためにぴっちりとカーテンを閉めきり、部屋はランプの灯りに照らされていた。
テーブルには、本日お目当ての季節限定パルフェ――バニラアイスのまわりに薄くスライスした水蜜桃をまるで薄紅色の花びらのように盛りつけ、アイスの上にはホイップクリーム、黒く瑞々しいベリーと爽やかな翠のスターフルーツが彩りを添える。
「早口になっちゃってぇ。動揺しまくりですぅ」
「ふみゅぅ?!」
ウサ耳飴細工を喉に詰まらせかけ、リディアはむうっ、と肩をふるわせる妹を睨んだ。
「メリル嬢。俺がいること、忘れてない?」
コーヒーを片手に、マックスはややジト目。しかし、リディアが眉をハの字にしていると気づくと、
「大丈夫だよ、リディア。伯爵家の人間なら、俺の方が探せるから。そんなに落ちこまないで」
苦笑しながらもそう請けあってくれた。しかし、メリルは不満顔だ。艶やかな唇をプクッと突きだして、文句を言った。
「そんなことよりぃ、お姉さまを襲った冒険者崩れを捕まえてくださいぃ~。怖いじゃないですかぁ」
(メリルったら。マックス様は私が怖がるからその話題を避けているんでしょうに)
彼は敢えてそのことを口にしない。たぶん、気を遣っているのだ。
「もちろん。手配はしておくよ。ごめんな……。俺が一人にしてしまったから」
今度はマックスの眉がハの字に。垂れ目と相まって、とても申し訳なさそうな顔。リディアが思っていた以上に責任を感じているようだ。
「たぶん、物盗りだよ。この辺りは裕福な人間が多いし、治安がいいから護衛をつけない人間も珍しくない」
そこにつけこんだんだろうな、とマックスは言う。
(ちがう……物盗りじゃないわ)
冒険者崩れは、リディアの髪を切ることを『依頼された』と言っていたから。ということは、
(髪を切る……きっと、依頼人は貴族)
たぶん……リディアとマックスの婚約をよく思わない依頼主がいる。リディアの見た目を損なわせれば、婚約を壊せると思ったのだ。
(それで、きっと女性)
こういう陰湿な嫌がらせを、しかも自分の手は一切汚さずに仕向けてくるのは、男性ではない。
(いったい誰が……?)
考えても答は出ない。視界の端では、メリルが桃のコンポートを幸せそうに頬張っている。
一瞬、ほんの一瞬だが脳裡を過った顔は……。
「私、お姉さまが大きらい!! アンタなんか幸せにならなきゃいいんだ!!」
(まさか、まさか)
メリルとは家ではあまり口をきかない。生活時間がズレているとかではなく、二人きりのときはリディアが話しかけても妹は反応を返さないから。
……理由は、わからない。
家にいるとき、メリルは文字通り、『鏡合わせのようにそっくりな妹』なのだ。
ふと、視線が絡んだ。
「お姉さま?」
「リディア?」
不安が顔に出ていたのだろうか。メリルとマックスが気遣わしげな眼差しを向けてきた。リディアは淡く笑んで、紅茶のカップに手を伸ばす。
「ううん。なんでもないの」
(いけない。動揺したら。このことは黙っておきましょう)
ぎこちない笑顔を貼りつけたまま、リディアはカップを置いた。カチャリ、とソーサーとカップがぶつかって微かな音を立て、メリルが怪訝そうにこちらを流し見た。
「そ、そうだリディア。今度王宮で、第二王子殿下の婚約を祝う夜会が開かれるんだけど、参加してみる気はないかい?」
気まずい空気を感じ取ったのか、マックスが話題を変えてきた。
「大きな夜会だけど、お見合いめいたモノじゃないから。参加しやすいんじゃないかな?」
その後は、夜会の話題に花が咲いた。
◆◆◆
「お姉さま、そろそろ夕焼けですかぁ?」
パルフェを食べ終え、メリルがそわそわとカーテンをしめた窓の外を気にし始めた。
「見てこようか?」
メリルがいる部屋に日差しを入れるわけにはいかない。日光を浴びると体調を崩す妹を気づかって、別室から空の様子を見てこようかと提案した姉に、メリルはふるふると首を横に振った。ローズブラウンの後れ毛が、白い首筋で揺れる――妹は本当に美しい。
「いいですよぉ。食後の紅茶も飲みましたしぃ。お姉さまの魔法越しに見ますぅ」
人形のような愛らしい笑みを浮かべ、メリルはパタパタと手を振った。
メリルは、このカフェの窓から見える夕景を楽しみにしていた。日中はたまにしか出かけられない彼女にとって、光満ちた世界は殊更美しく感じられるのだろう。昼のお出かけを持ちかけたときだけは、妹は言葉少なだが「行きたい」と言うのだ。ならば、姉としては叶えてやらなくては。
「わかった。じゃあ、【隠せ】!」
個室に一瞬オレンジ色の光が舞い、すぐに消えた。メリルの姿と共に。
メリルもまた、姉と同様に〈黒魔法使い〉だ。
彼女の〈黒魔法〉は、本人曰く〈分けっこの魔法〉。メリルは、自分の近くにいる生き物の感覚――対象の視覚や聴覚などを体感できる。他人の視覚や聴覚を〈借りられる〉と言えばわかりやすいだろうか。
よって、メリルに関してはリディアの〈生き物を隠す魔法〉で、音も光もない空間に放り込まれても、リディアと〈感覚を共有〉し、リディアを通じて外の様子を見聞きできる――陽の下を歩けない体質でも、姉の感覚を借りて、昼間の世界を体感できるのだ。
そして……。
不思議なことに、メリルは〈生き物を隠す魔法〉で放り込まれる〈音も光もない空間〉をなぜか〈視る〉ことができる。メリルによれば、そこはガランとした暗い空間らしい。が、その空間が具体的にどこにあるのかは、メリルにも使い手の姉にも、やはりさっぱりわからないのだった。
カーテンの開けた窓の向こうは、リディアにとっては何の変哲もない夕焼け空だ。オレンジから紫紺への、珍しくもないグラデーション。
『ふわぁ。屋根までオレンジ色に染まって見えますぅ。綺麗ですねぇ』
でも妹にはきっと、目に焼きつけたいほど美しい光景なのだ。うっとりとした声が脳裡に直接響いてくる。メリルの魔法は、対象と声を出さずに会話――〈念話〉もできる。
『お姉さまは、素敵な殿方にお姫様抱っこされたんですよねぇ。見たかったですぅ』
揶揄い含みの声に苦笑する。今日の妹は機嫌がいいらしい。
『もう、マックス様には黙っておいてね』
そう。あの人に横抱きにされたことは、マックスには黙っているのだ。言ったところで、誰もいい気分にはならないし。
『うふふ~。横顔とかぁ、いろいろ~♪ いいなぁ。クフフッ』
無邪気に笑う声は楽しげに聞こえた。
念話部分は『』にて表記しています。