Chapter01-3 リディアの黒魔法と翼の生えた青年
(私の魔法、役に……たった)
リディアの〈黒魔法〉――〈生き物を隠す魔法〉の対象は、リディアが目視できる範囲にいる生き物。そして、〈隠した生き物〉を〈放つ〉場所もまた、リディアが目視できる範囲なら可能だった。
「すげぇ! それ、瞬間移動じゃん!」
いつかのお茶会で。〈黒魔法〉のことを打ち明けたリディアに、目を輝かせてそう言ったのは、他ならぬマックスだった。
彼のおかげで、リディアの〈黒魔法〉の有効範囲が〈術者が目視できる範囲〉ということがわかって……。
「お嬢さんは魔法使い?」
我に返ると、目の前には穏やかに笑む美貌の男性。まだ空は暗く、足元もよく見えない。
「戻ろっか。歩ける?」
コクリと頷くと、その人はそっとリディアを地に下ろしてくれた。
「足元、気をつけて。よかったら手を」
差し出されたのは、白い手袋をはめた手。リディアは素直に彼の厚意を受けることにした。雨を吸ったスカートは重く、また足元もよく見えない中で、一人で歩いたら絶対に足がもつれそうだったから。
「へぇ。その人に魔法の使い方を?」
「ええ、そうなの。彼、『君の魔法を僕に使ってみてよ』って言ってくれて、二人でいろいろ試して」
リディアの〈生き物を隠す魔法〉が気味悪がられた理由は、まず、〈隠した生き物〉の行方がわからないから。
対象を透明にするわけではないのだ。
ただ、術者であるリディアが、何らかの形で〈運んで〉いるらしく、魔法を発動させた地点からリディアが移動しても、魔法を解除すれば〈隠した対象〉は彼女の目の前に姿を現す。
「それに、私が〈隠した人〉は、真っ暗で音も光もない場所に突然放り込まれるらしいの」
気味悪がられる最大の理由が、これ。
突然音も光もない真っ暗闇に放り込まれるなど、恐怖以外のなにものでもない。
それをマックスはためらいもせず「自分に使って」と。
そして、〈隠し〉てもすぐに〈出し〉てくれれば怖くない、と言ってくれた。
「マックス様はね、私の〈黒魔法〉は応用すれば『人を助ける魔法』になるよって。火事で取り残された人や、川に流された人だって、この魔法なら助けることができるって、言ってくれたの」
彼の教えてくれた使い方を、ちゃんと役立てることができた。それが誇らしい。
「あらやだ、ごめんなさい」
嬉しさのあまり、つい足を止めて長話をしてしまっていた。「行こうか」と差し出された手を取り、見上げた空はまだ夜のような黒灰。
「まるで真夜中みたいな空ですね……」
急に暗くなってから、どれくらい経ったのだろうか。
「雲の上に島がいるんだよ」
不意にその人が言った。
「風にのって空を飛ぶ島さ。見てみるかい?」
「え?」
瞬き一つの間に、視線がグーンと上昇する。そして次の瞬間、トン、と足が硬いところについた。
(屋根の上?! 嘘……どうやって?!)
驚きのあまり口をパクパクさせるリディアに、
「見て。あそこが境目だよ」
その人が指さした先は。
「まあ……!」
黒々と連なる屋根の向こう、黒灰の空にくっきりと境目があるではないか! 境目から先には、明るい曇り空が広がっている。
「少しずつ、こっちに進んでいるんだ。だから、もう少ししたらここの空も元の明るさに戻るよ」
「そう、なの……」
それにしてもあんなに遠くまで影ができるとは……。空を飛ぶ島とはどれほど大きいのだろう。国どころか王都からも出たことのないリディアにとって、空飛ぶ島はおとぎ話にも出てこない――まさしく未知の世界だ。
と。
「……ィアー! リディアーー、どこだー!」
耳に届いたのは、よく知った声。
屋根の向こう、広場で小さな人影が走り回っている。暗さで髪の色まではわからないが、マックスだ。リディアを探しまわっている。
「君の連れかい?」
「! そうなの。私がいなくなったから……」
早く戻らなくちゃ、と呟いたリディアは再びの浮遊感に目を瞬かせた。
風が頬を撫でる。
足が、どこにも着いていない。
「広場に降ろしてあげる。つかまって」
(え? え?)
その人を振り仰いだ一瞬、目に飛びこんできたのは、闇に溶けそうな漆黒の翼。それが大きくはためいて……。
(と、飛んでいるのーー?!)
翼を使って空を飛ぶ――そんな魔法、聞いたことがない。
(まさか、貴方も……)
音もなく、彼は広場の端に着地すると、リディアをそっと降ろした。
「さ、彼が待っているよ」
いつの間にか雨は止んでいて、雲の切れ間から天使の梯子が、光の筋を伸ばしている。
(あれ? 空が……)
見あげた空は、灰色から白へのグラデーション。徐々に、徐々に明るさが戻ってくる。
(境目は、近くから見ると曖昧なのね。不思議……)
やがて、空はすっかり元の明るさを取り戻し、島の影は少しずつ遠ざかっていく。その様子をリディアはぼんやりと見送った。
「リディア?!」
必死な声に、リディアは我に返った。見れば、一目散にマックスが走ってくる。
「時間がかかってごめん! 戻ってきたらリディアがいないから……無事か?」
リディアを腕に囲い、髪を撫でていたマックスは「濡れているじゃないか。寒かったろ?」と、自分のジャケットを脱いでリディアに羽織らせた。
「まさか漂流島が通るなんて思わなかったんだよ。急に暗くなって……怖かったよな」
白黒の境界線はもうはるか遠くにある。思っていたよりずっと速い速度で動いていたようだ。
ふとリディアは路地を振り返った。
「マックス様、私、冒険者崩れに襲われたところを親切な方に助けていただいたの。まだお名前を聞いていないわ」
「え?」
目を丸くするマックスをよそに、キョロキョロとその人の姿を探すリディアだが。
(え? いらっしゃらないわ)
広場に黒いマントの姿はなく。まわりを見回してもそれらしき人は見られない。
「困ったわ。伯爵家の方だったのよ。でもお名前が……」
「伯爵家……?」
困惑する二人の前には、狭い路地が口を開けているが。まるで初めから誰もいなかったかのように静まり返り、雨の名残の靄がうっすらとたなびいているだけだった。
主人公の扱う魔法がモン○ターボールっぽい( ´艸`)