Chapter03-1 謎の魔物
夕暮れ前に、リディアたちはラームス村に帰ってきた。
村とフュゼ間の距離はさほどでもないが、徒歩となるとそれなりに時間がかかる。加えて、リディアしか身分証を持っていないため、荷物の出し入れのたびに人のいない場所へ移動するとなると……。
「次はロバを借りた方がいいかもォ」
「そう、ですね……」
リディアとヘリオス、げっそり。見えていないが、〈空間〉にいるメリルもげっそりだ。少し前まで文句を垂れ流していた彼女も、今はウンともスンとも言わない。
それもそのはず。
なにせ、朝食を食べたっきり何も腹に入れていないのだから。冒険者登録試験も想定外だったが、荷物の扱いにこれほど時間がかかるとは思わなかったのである。
「リディア一人で帰ってきたら不自然だからって、僕も歩かなきゃいけないとか……ウゥッ」
……それはどうにもならない。ちなみに、リディアは既に女性に戻っている。
二人がヘロヘロと歩いていると。
「おかえりーー! あれ? どしたの? 二人とも」
村で留守番をしていたウィルが駆けよってきて、悲壮感漂う二人にこてんと首を傾げた。
◆◆◆
『ジーン、昨日ポーション煮た鍋洗った?』
教会に戻る道すがら、ヘリオスが僅かに顔をしかめた。なんというか土臭さと腐敗臭をうっすら感じるのだ。
『洗ったけど?』
と、〈空間〉からジーンが答える。
しかし、教会に近づくにつれ、悪臭ははっきりと感じられるようになる。リディアも鼻をつくモワッとした臭いに思わず鼻と口を押さえた。
「何の……臭い?」
「あー。換気したけどまだ臭うかぁ。実はさ」
並んで歩くウィルが説明したところによると。昨日村を襲ったワームが掘った穴から、見たこともない魔物が出てきたのだという。臭うのはその魔物の強烈な体臭らしい。
「そいつ、ワームを食ってたっぽいんだ。ヘリオスが尻尾切りしたから、穴の中にワームの死骸が残ってたでしょ?」
昨日、ワームの襲撃時――。
ウィルがトドメを刺す前に、地面に突き刺さったヘリオスの【双剣】が、ワームを僅かながらに切断していたのだ。そのため、死骸を片づけるとき、死骸の一部がワームの掘った穴の奥に残ってしまったのである。
「クマくらいデカかったけど、見た目はモグラっぽかった」
その謎魔物は、全身が硬い鱗で覆われており、手足には鋭い爪が生えていたという。口の周りにはワームの死骸カス。
それが一匹だけ、突然村のド真ん中に現れた。全体的に黒々とした体色だったこともあり、村人がクマと勘違い。駆けつけたウィルが討伐すべく鎖鞭を構えた途端、謎魔物は地面に穴を掘って逃げてしまったのだとか。
「それっきり出てない。村の人たちは今夜見張りを増やそうとか言ってる」
ウィルの指さした方では、村長と武器を持った男たちが集まって話し合いをしており、ピリピリとした雰囲気が漂っている。
「ワームを食べたってことは、肉食か」
つまり、人間も襲う可能性もある。一匹しかいないと決まったわけでもない。
ワーム対策の甘い村で、地下からやってくる未知の魔物に、寝ずの見張りを増やそうという考えは別に大げさなものではない。下手に警戒を怠れば、大惨事を招く。
「さあ……。あんな魔物見たことないし、ヘリオスも知らない?」
「クマ並みの大きさのモグラで鱗……知らないなぁ」
首を傾げる二人に。
『〈厄災〉かもしれない』
緊張を孕んだ声音でジーンが言った。
◆◆◆
『もし、〈厄災〉なら、俺は役目を果たさないといけない』
〈セカイノヘイワノタメ〉――その目的に邁進する理由がわからないと言いながらも、ジーンの声に迷いはなかった。
『ヘリオス、寝ずの番に俺も参加できるよう取りなしてくれないか』
そして、夜。
「聖者様がお力を貸してくださるとは……!」
感激に目を潤ませる村長に、ヘリオスはやや引き攣った笑みで自らの傍らを指した。そこには、黒い狼(犬、ということにしている)の姿になったジーンがいる。
「犬の使い魔を貸すだけですから……コソコソ(で、いいんだよね?)」
「コソコソコソ(俺はウィルみたいに戦えないから、いざ出たのが厄災以外だったら無理)」
「狼でしょ?! あ……コソコソ(戦えないの?!)」
聖者様が狼に「フリだけでもしよ?」「とりあえず吠えとこ?」などとコソコソ言い聞かせている一方で。
リディアたちが滞在している教会には、またニーナが遊びにきていた。
「見て見て! 似合うかな?」
ニーナがくるりと回ると、青藍の裾がフワリと広がり、縫いつけられた硝子のビーズが月明かりを受けてキラリと輝いた。一拍遅れて、サラサラした白金色の髪が肩を流れる。
この国では見ない形の衣装――詰め襟のドレープをたっぷり取ったローブは、ドレスと違ってスカートを膨らませないストンとしたシルエット。随所に花や蝶を刺したビーズ刺繍が銀糸で施され、キラキラと華やかな印象を受ける。白金色の髪のニーナが纏うと、まるで異国のお姫様のようだ。
「砂漠の国の衣装だね。似合う似合う」
ウィルが褒めると、ニーナは「きゃあっ」と言わんばかりに嬉しそうに笑った。
「私、砂漠の国に行くの! 大商会の旦那様がね、私を気に入ってくださったの!」
(花嫁衣装、なんだ……)
つまり、この衣装は紛れもなく花嫁衣装で。ニーナは近々、砂漠の国の商人のもとへ嫁ぐのだろう。
こことは比べものにならない陽射しと砂嵐が吹き荒れる砂漠の国――。かの国では、それらから身を守るため、頭には裾の長いヴェールを被り、目許以外は肌をいっさい晒さない服を着るのだと、リディアは聞いたことがあった。
「ヴェールもとっっても綺麗なんだけど、そっちは宝石がついているから、母さんが持ち出しちゃダメって。でもでも、合わせるとすっっごく素敵な衣装なんだよ!」
「そう……。よく似合うわ、ニーナさん」
キラキラと笑うニーナに、リディアはそう返すので精一杯だった。
(祝福すべき、なのに……)
相手は違えど、ニーナはリディアが欲しがっていた幸せを手にしていたから。
まるで、もう取り戻せないモノを目の前にぶら下げられている――しっかりと足を着いたはずの地面が急に消えてしまったような、放り出される闇を目の当たりにしたような、そんな心地に。
『クソ筋肉の言ってた身売りって、あの子のことなのね』
『ッ、メリル!』
謎魔物の悪臭を嫌がって〈空間〉に逃げこんだメリルが、白けきった声で言ってきた。
「ラームスのヤツらは、どこの馬の骨とも知らねぇ外つ国の商人に身売りしたんだよ。んなことやってみろ、森で採れる獣肉も魔物の素材も薬草も、みんな連中に盗られて、こっちにゃ入らなくなる。代わりに、その商人んとこの傭兵に村を守ってもらうんだとよ」
『あの子と森の恵みを お代 に、外つ国から用心棒を 買う。ああ? お姉さまはあの子が妬ましくてしかたがない?』
『そ、そんなことは』
言い淀むリディアを、『マックス様はとぉ~ってもお優しかったものね』とメリルは嘲笑った。
『ッ、それはもう……どうにもならないことよ、メリル。だから、新しい幸せを探すことに決めたわ』
何とか言い返したリディアだが、メリルはフフンと鼻で笑った。
『フッ……なぁに言ってんだか。お姉さまはただ言うことを聞いてただけ。自分で何一つ考えちゃいない。何一つできちゃいない。全部他人任せだわ。なのに新しい幸せ? バカじゃないの?』
『ひどいわ! メリル!』
『なによ、被害者ぶって。真実を教えてあげただけじゃない』
言うだけ言って、メリルは気配を消してしまった。たぶん〈分けっこの魔法〉をオフにしたのだろう。
(私……)
グラグラと揺らぐのは、言われたことが当を得ていたからで。思い返せば、何をするのも遅くて、力になれていなくて、誰かに頼りっぱなしで。何も考えていないのも、そうだ。流されて従って……それに甘んじて。
でも、どうしたらいい?
(私がいちばん、役に立っていない……。何にも、知らないんだわ)




