Chapter01-2 冒険者崩れと美貌の青年
マックスはなかなか戻って来ない。広場では、乗合馬車が二度、客を拾って走り去っていった。
(もしかしたら、忙しいのに無理してスケジュールを空けたのかしら?)
あり得ることだ。王太子殿下の元で側近候補として頑張っているのだと、誇らしげに言っていたから。今日も仕事を抱えていたのかもしれない。
「あ」
ポツ、ポツと、ついに空から雨粒が落ちてきた。すぐにサァサァと幾千もの白くて細い雨糸がヴェールを作る。
広場にいた人々も、蜘蛛の子を散らすように建物の中に避難し、陽気な演奏も途切れてしまった。
雨の音だけが、広場を満たす……。
急に心細くなった。
白い靄のかかる広場を、キョロキョロと彼の姿を探す。
(あ!)
白いヴェールの向こうから、こちらへ近づいてくる人影が、一人、二人……あれ? 五人も?
(マックス様じゃないわ。雨やどりの人かしら?)
はじめのうちこそそう思っていたリディアだが、近づいてくる彼らの格好がどうにも物騒――薄汚い格好に、これ見よがしに腰に鈍器やナイフをぶら下げている――なことに気づいた。
(まさか……冒険者崩れ?)
冒険者崩れは所謂ならず者。金になるなら誘拐でも殺人でも引き受けると言われている。
(どうしよう!)
助けを求めなければ! でも、探せど探せど、頼りのマックスの姿は見当たらない。そうこうする間にも、五人の冒険者崩れがリディア目指して近づいてくる。
怖くなったリディアはスカートを掴み、冒険者崩れたちに背を向けて走りだした。
「追え! 逃がすな!」
背後で野太い声、バタバタという足音――追いかけてくる!
(いやだわ、私が狙いなんだ)
上等な服を着た娘が一人っきり――いい獲物だと思ったのか。ドキンドキンと心臓が暴れ始めた。
リディアのいる広場は、そこここから石畳の道が延びている。道幅の広いメインストリートはともかく、住人だけが使う細道は一度入り込むと大人でも迷子になるほど入り組んでいる。
(ど、どっちに?!)
焦ってすぐそばの細い道に駆けこんだリディアだが、どこへ続く道かさっぱりわからない上に、階段や行き止まりが多い!
加えて、普段走ることと無縁のリディアの足は遅い。雨で湿気を含んだ白いロングスカートが足に絡みつき、余計動きが遅くなる。
あっという間に追いつかれ、背後に気配! と思った直後、むんずと腕を掴まれた。
「きゃあ?! 放して!」
腕を捩って「イヤだ」と主張しても、男の手はビクともしない。細い路地を塞ぐように仁王立ちした男は、ヤニで黄ばんだ歯を見せてニタリと笑った。
(きゃあ~~! し、しっとりしてるぅ~)
腸詰めのような太い指は、脂でもさわったのか、テカテカぬめぬめしているのだ。それが自分の腕に……リディアの背中にボボッと鳥肌がたった。
「大人しくしてりゃあ怪我はしねぇよォ」
そう言いながら男は、リディアのもう片方の腕もつか
「きゃあぁ~~~!!」
(こっちもしっとりィィ~~~)
しかし、悲鳴が抵抗になるはずもなく。いやだと身を捩ったら、ひょろひょろの別の男にナイフを突きつけられて凍りついた。
燻し銀のような鈍い光沢を放つ刃。きっと自分の薄い肌など簡単に切り裂く。
恐怖に、身が竦む。
「リーダー、つまみ食いしていッスかぁ~?」
すえた臭いが鼻をつき、リディアは我に返った。
いつの間にかナイフは首元から外れており、ヒョロ男がリディアの頬を指で突っつきながら――ヤツの真っ黒な爪から悪臭がしていたのだ! 不潔! ――何か言っている。ヤツの視線はすぐそばの石造りのアーチが作る暗がりとリディアの身体を行ったり来たり。
「フンッ。この嬢ちゃんの髪をバッサリ切って届けろ、ただし他に傷はつけるなってご依頼だ。余計なことしたらカネが貰えねぇだろ」
それをリディアの両腕を拘束した腸詰めしっとり男が制したが。
「てことはひん剥くのはぜんぜんアリってことじゃないッスかぁ~!」
ひょろ男はぱあっと顔を輝かせて、とんでもないことを曰った。
(ひんッ?!)
リディアが目を剥いた、その時だ。
突然、狭い路地に濃い影が差した。
「おおう?!」
リディアを捕まえた冒険者崩れが、怪訝な顔で空を見上げる。リディアもつられて顔をあげ、
(な、なに? 雲が真っ黒だわ)
我が目を疑った。
ついさっきまで、空は明るめの白だったはず。それが、まるで黒い絵具を大量に混ぜこんだような黒灰に色を変えている。
「あるええ??」
異常に気づいた残りの冒険者崩れたちも空を見上げ……。
バサバサバサッ
キキキキキキキキ!!!
突如、上空から大量の影が!!
「うわっぷ?!」
「じぇじぇじぇじぇじぇ!?」
矢のように舞い降りた大量の鳥(?)に顔を突かれ、堪らず腸詰めしっとり男の手が、リディアを放した。
「お嬢さん、こっちへ!」
次の瞬間には、リディアは黒いマントの誰かに手を引かれて暗い路地を走っていた。
「クソッ! 追っかけろ!」
しかし、すぐに冒険者崩れたちも体勢を立て直し、猛然と追いかけてくる。振り返ると、数メトル後ろにあのひょろ男!
(いやぁ~~~~!!)
奴の無駄にきらめく笑顔を思い出した途端、リディアの靴がスカートを踏んづけた。コケるッ?!
「よっと。失礼、このまま走るね!」
「え? え?」
靴の下を、漆喰塗の壁が流れていく。走るリズムに合わせて、白いスカートの裾がフワフワと揺れ……。
顔をあげると、至近距離にその人の顔。
弓なりの凛々しい眉、鮮やかな紅の瞳。暗い中でもわかる、見とれるほど整った顔立ちに、リディアは状況も忘れて見いってしまった。
(誰……?)
マントの襟元からチラ見えたクラヴァットを留めているのは血のように紅い宝石――ピジョン・ブラッド。ルビーを身につけることを許されているのは、リディアの知る限り伯爵家以上の身分だ。
そんなことより。
(わ、私、お姫様抱っこ、されてるーー?!)
今さら横抱きにされていることにあわあわするリディアに、
「大丈夫! 逃げきってみせるさ!」
明るくて、力強い声でその人が言った。
「ッ……!」
見あげた横顔にはキリリとした笑み。瞳の色が煌めくような紅色だからだろうか。まるで逃亡を楽しんでいるかのような、どこか不敵な光を宿す眼差しが、彼の妖しげな美貌を際立たせ――。
(だ、ダメダメ! 助けてくださったし、運んでくださるのはとってもありがたいわ。でも私にはマックス様が……)
不可抗力とはいえ、他の男性に横抱きで運ばれるのは、マックスに対して非常に悪い気がする。かといって、自分の足では秒で捕まるし……。それに髪を切られるのは嫌だ。もしそうなったら、彼との婚約がきっとダメに……。
(そんなっ! そんなのはイヤ!)
それだけはイヤだ。彼を失うなど考えられない。
闇の蟠る街路を逃げ回る――石造りのアーチが連続していた細い路地の両側は、徐々に漆喰壁からひび割れだらけの粗末な土壁に、頭上のアーチもいつの間にか、洗濯物が揺れるロープに置き換わっていた。そして、そのロープが途切れたところは……。
「ッ! 行き止まりか!」
路地の石畳が途切れた先は、まるで夜のような黒灰の空。その下には、庶民街の屋根が黒々と連なっている。途切れた道の下に屋根はなく、飛び降りたら間違いなく怪我をする。
「残念だなぁ、兄ちゃんよ。大人しくその嬢ちゃんを渡しな? 怪我ァしたくねぇだろ?」
リーダー格の男の手には抜き身の剣。少し錆びているが、刃は鈍い銀光をまとい、切れ味を誇っているように思えた。
縮こまるリディアを抱えたその人が、一歩、崖っぷちに近づく。こくり、と唾を呑み込む気配を感じた。
「掴まって」
囁かれてハッとする。まさか……。
(飛び降りるなんて無茶よ! この高さじゃ)
建物の二階より高いのだ。風魔法で補助したって、きっと怪我ではすまない。
リディアの恐怖心を煽るかのように、ざわりと空気が揺らめく。
剣を構えた冒険者崩れの片眉がピクリと跳ねる。
「…………」
リディアが冒険者崩れの言うことを聞けば、助けてくれたこの人は怪我をしないで済む。でもその代わり、リディアはマックスと婚約を諦めなければならない。
(マックス様……)
きっと今ごろ、いなくなったリディアを探し回っている。
少し強くなった風が、頭上のロープをゆらゆらと揺らす。雲が雷を抱えてゴロゴロと唸る。
「野郎ども 〈黒魔法使い〉かもしれんぞ。油断するな!」
冒険者崩れたちがじり、と距離を詰めてくる。
「リディアの魔法は悪いものじゃない。人を助ける魔法なんだ」
ふと脳裡に響いたのは、溌溂とした声。
(そうだわ!)
おかげで閃いた。
「ほら、言うこと聞きゃあ怪我はしねぇぜ? 観念しな!」
じりじりと迫る冒険者崩れは、五人。一度にこの人数に魔法を使ったことはないけれど。
(幸せな未来を壊されたくない!)
「【隠せ】!」
短い詠唱とともに、オレンジ色の光の帯が冒険者崩れたちを取り巻いて、
「?!」
フッ、とその姿が忽然と消えた。
「【放て】!」
続く詠唱で彼らが再び現れたのは。
「な?! うおっ?!」
「じぇじぇじぇじぇじぇ!?」
崖っぷちの下、庶民街の屋根の上。突然転送された冒険者崩れたちは状況がわからないらしく、右往左往。あそこからここに戻ってくるには、大きく回り道をしなければならない。その前に、屋根から降りるだけでも大変なはずだ。
危機は、回避できたのだ。
(わ、私の魔法、役に……たった)




