Chapter04-1 追う者 追われる者
「翼の生えた男?」
執務室に戻って面会したバルテルミ伯爵子息――マックスは、いまだ夜会服のままだった。袖や裾の焦げ痕……燭台の火にでも当てたのだろうか?
「そうです! その男がリディアを……コンコーネ男爵令嬢を連れ去ったのです!」
偶然にも、マックスはリディアがジーンと飛び去るところを目撃していたのだ。
「それからこちらを」
マックスがポケットから取り出したのは、雫型に加工された水晶――〈聖女ヘレネ〉の髪を飾っていたラリエットの一部。
「その男がリディアを連れ去るとき、落としたものです」
……嘘である。
実際は、エミリアーヌの魔力暴走から復活したとき、廊下に落ちていたのを拾ったのだ。だが、マックスはそれを利用した。
「リディアは巻きこまれたのです! 恐らく、その男に不都合な何かを見てしまった……そう! 〈聖女様〉を拐かすところ」
「ゴロニャーーン!」
「うぼぁ?!」
マックスが皆まで言い終わる前に。シャルロッテが飛びかかり、マックスを押し倒した。そして、
「フンフンクンクン……ニャッ! 泥棒猫の臭い!」
マックスに馬乗りになったまま、レグルスに向き直ってドヤ顔を決めた。
◆◆◆
リディアが目を覚ましたのは、ヤンの店を経って半日が経過した頃だった。ゴトゴトと振動が身体を揺さぶる。
(ここは……?)
リディアは、隠れていた床下から這いだした。床板をずらした途端、むわりと濃い草の臭いが鼻をつく――薬種の臭いだ。
「お嬢様、起きられましたか。バスケットに軽食買ってありますんで」
馭者台からの声にあたりを見回すと、積み上げられた木箱の隙間に布をかけたバスケットが一つ。
「しばらくは人のいねぇ田舎道でさぁ」
幌の隙間から見えたのは、日暮れ前の長閑な田園風景。もう王都の外に出たようだ。
(ああ……。本当に私は)
普通の生活から、居心地の良かった家から離れていく。
自分の意思でどうこうできないことはわかっている。
〈聖女様〉が絡んでいる以上、追われることは必至。身を隠し逃げるしかないのだ。ノートン子爵夫妻に頼れば、かえって彼らの立場を危うくする。そう、ヤンから滔々と諭されたではないか。
もう、居心地のよい家で、ミークたちや召使いたちと笑いあえることはないのか。
窓辺でゆったりと本を読んだり、恋人と……。
胸の奥がツキリと痛む。
(……そうね。もう、マックス様とはお別れしたんだった)
これも、済んだことだ。こんなことになった以上、彼と今後顔を合わせることはない。
(忘れ、なきゃ)
――そう。忘れたい、のに。
彼の声や顔、仕草――彼がいなくなると、途端に心にぽっかりと暗闇が口をあけそうで。ただただ、心細い。寂しい。
ヤンは国を出るまでの辛抱だと言った。両親のいる隣国にさえ入れば、追っ手はつかなくなると。
でも。
箱入りで世間知らずのリディアは、王都さえ出たことがない。外の世界なんて知らない。隣国までどれくらいかかるのかも見当がつかない。
『メリル……』
唯一頼れる妹に縋るような思いで呼びかけると。
『起きたの? なら私たちを出して。いろいろ我慢していたんだから』
『え、う……、ん。そうね』
……なんだろう?
妹の声が苛ついているような……?
「【放て】」
ともかく、リディアが魔法を解くと、メリルに〈聖女ヘレネ〉、そして殿下、ジーンが姿を現した。途端に「ヒヒーン……」と、前方で二頭の馬が弱々しく嘶いた。突然四人分も荷重が増えて驚いたのである。
「ッ、と、ドウドウ……。しゃぁねぇなぁ、道のど真ん中だけど休憩すっかぁ」
ゴトン、と馬車が停止し、ガチャガチャと留め具を外す音がする。
「ごゆっくりどーぞー」
馬に水飲ませてくるんでぇ、という声が遠ざかる。
「……すごいニオイ」
メリルが薬種の臭いに顔をしかめた。
「しかたないって! 検問には密入領を防ぐために犬がいるんだしさー。誤魔化すにはこの方法が一番なんだって!」
「そうな……ぇ?」
メリルが相槌を打ちかけてギョッとふり向く。
この声は殿下だ。だが……なんとなく、雰囲気がおかしい。
(きゃぴきゃぴして……る?)
違和感は皆が感じたらしく、視線が王子様に集中する。
「…………」
「?」
荷馬車に何とも言えない沈黙が落ち。
「あ! あ……そのッ、昨夜はモルドレッドのアニキがごめん! その、この通りッッ!」
突然、王子様が土下座した。




