Chapter03-6 逃亡のはじまり
「阿呆か! 誰があの場で睦み合えと言うか。バカなのかおまえは?!」
短い話し合いを終えて。リディアと顔を合わせたモルドレッドは、彼女が刃向かった原因を聞くなり怒鳴りつけた。傍目には、年下の少年が肩を怒らせ、年上のお姉さんに噛みつく図……シュールだ。
「服を裂けと言ったのは、ならず者に襲われた態をよそおい店の人間の憐れみを誘い、物資を補給するためだ! 身内の店なら、詳しく事情を言わずとも相応額の金子を渡すだろう。そんなことも考えつかんのか!」
第一! チャラチャラしたドレス着たオマエが、真夜中に見ず知らずの男と一緒に元気よく訪れても、不審者以外の何者でもないだろうがっ!!
若干頬を朱に染めて怒鳴り、不貞腐れた顔のまま、モルドレッドはボフンと客室のソファにふんぞり返った。
「まあ……やってしまったことはしかたない。少なくともオマエの着替えと相応の金子を店から引き出せ。コレを盗られた国王が黙っているとは思えんからな」
ベッドで熟睡している銀髪の少女をチラと見やり、モルドレッドは眉間に皺を寄せた。
(やっぱり……この人が〈聖女様〉なんだ)
無防備な寝顔を晒す少女は、薄暗がりの中であっても、他とは一線を画す神秘的なオーラを纏わせている。その肌は白く白く、十重二十重に守られ、日焼けとは無縁の世界にいたことをうかがわせた。
「待ってくれ。リディア嬢とメリル嬢はもう解放してやってくれないか」
ジーンが真剣な眼差しをモルドレッドに向けた。
「俺は貴方の弟探しを手伝う。逃げるつもりはない。だから……彼女たちを巻きこむ必要は……」
「残念ながら大ありだなぁ、〈勇者〉」
ジーンの言葉を遮って、モルドレッドはソファから立ちあがった。羽織っていた上着を脱ぎ、ポイッとベッドに投げる。装飾で重そうな上着は、眠っているメリルの顔の上に落ちた。
「んにゃ~~……むむぅ……」
メリルは眠ったまま眉をひそめ、上着を顔にのせたまま丸くなった。
「なぜなら貴様は」
窓辺に歩み寄ったモルドレッドはニヤリと笑い、不意打ちでカーテンを全開にした。朝日が部屋に……。
「?!」
途端にジーンの姿が黒く解れた。
キキキキキキキ!!
バサバサバサバサッ!
先ほどまでジーンだった黒い靄は無数の小さな蝙蝠に姿を変じ、朝日から逃げ惑うように部屋中を飛びまわる。
「貴様は陽の下に出られない」
モルドレッドがカーテンを閉めると、蝙蝠たちは闇の蟠る部屋の隅に集まり、黒々とした塊が人型を形作る。
「この娘たちがいれば、昼夜関係なく動ける。このクソ目立つ聖女も隠せるしな」
異論はあるまい?、モルドレッドは暗がりから己を睨む紅い瞳に問いかけた。
◇◇◇
「お嬢様、どうかお気をつけて」
それから。
リディアはモルドレッドの意向で下働きの少年のような格好に身をやつし、王都から地方の支店へ向かう荷馬車に乗った。国境を目指すのだ。
ヤンは馬車を見送ると、すぐに行動を開始した。まずはリディアとメリルの置いていったドレスの処分。
「バーリントンの店へ運び、店頭に飾らせろ。それから娼館から適当な女を」
デザインこそ派手派手しくないドレスだが、素材は一級品。すぐに売れるだろう。それから、その二着と色味の似たドレスを娼館から連れてきた若い娼婦に着せ、店先でわざと仰々しく馬車に乗せ、明後日の方向に走らせた。その他、言い逃れのきく偽装工作を手早く済ませる。
ヤンは、リディアと共にやってきた銀髪の少女――〈聖女ヘレネ〉を見ていた。ならば、ヤンのやるべきことは決まっている。彼は敬虔な魔女派だから。彼女を連れ去ったのが怪物王子なことに一抹の不安は覚えるが……。
リディアたちを乗せた馬車には、王都から最も近い北の国境へは向かわず、わざと遠回り――東へ向かい国の中央部を突っ切るルートであるエルナト街道を走るよう指示してある。追っ手の裏をかくことを狙ったルートだが、田舎へ行けば行くほど道中の安全は不確かなものになる。あとは旅の無事を祈るしかない。
◇◇◇
その頃、王宮では。
「シャルロッテは間違えてないのニャ! あの赤い女が〈聖女〉を持ってるのニャァ」
まるで竜巻が通り過ぎたかのような大広間――今は大勢の使用人や騎士たちが片づけに勤しんでいる――で、屈強な騎士に首根っこを掴まれて拘束された化け猫が、身体をよじよじ捻りながら釈明していた。もうその顔は、少しだけ猫っぽさは残れども、あどけない少女に戻っている。
「シャルロッテさん、貴女の“にゃ~る”とちがって、〈聖女様〉はドレスのポケットには入らないのですよ?」
駄々っ子のようにイヤイヤをする化け猫をため息交じりに諭したのは、黒いメイド服のスラリとした女性。フリル付ヘッドドレスで飾った水色のサラサラした髪の下、銀縁メガネの奥から、冷めた眼差しで化け猫を見下ろしている。
「おおかた、食べ物に目が眩んで、任務を忘れていたのではありせんか?」
彼女はシャルロッテのエプロンにくっついた食べカスを見逃さなかったようだ。
「ちがうニャ! 〈聖女〉と泥棒猫を追っかけてたのニャ!」
黒メイド服の女性――アイスローズにブンブンと首を横にふって否定する化け猫。
「シャルロッテ」
そこへ、低くて落ち着いた声が割り込んだ。騎士がパッと手を放し、化け猫――シャルロッテは矢のように声のした方へすっ飛んでいく。
「〈聖女〉の通ったルートはわかるか?」
化け猫を呼びつけたのは、黒髪の涼やかな目許の青年――王太子レグルスである。
彼は、魔女派貴族によって〈聖女〉が教会へ引き渡されたのを知ってすぐ、化け猫を放った。すべては母、アグラヴェインのために。
「ハイにゃ! 教会の壁からお庭に降りて、その後大っきい暖炉のあるお部屋に入って、それからずーっと廊下を進んで、ここまで来たニャ!」
「〈聖女〉の近くにいた者の臭いは追えそうか?」
「もっちろんニャ!」
「よし」
レグルスに褒められて、シャルロッテはゴロゴロと喉を鳴らした。
「ウニャ~ン」
化け猫がスリスリとくっつくと、レグルスの白いシャツに赤い汚れが点々と散り、思わず彼は顔をしかめた。よく見ると、片手の爪が無惨にも折れて血が滲んでいるではないか。これは痛かったにちがいない。
「シャルロッテ、その手は?」
傷ついた手を掬い上げて、レグルスは優しく問いかけた。
「ニャ~ン、泥棒猫をやっつけようとしたら、お魚色の変な硬い壁で邪魔してきたのニャ」
蟹の甲羅みたいな形だったニャ、とシャルロッテは言って、もっと撫でてくれとばかりにゴロゴロと喉を鳴らす。
「そういうことだ、アイスローズ」
ヨシヨシとバサバサの金髪を撫でてやりながら、レグルスは立ち上がってアイスローズへ冷ややかな眼差しを向けた。
この猫は確かにおバカだが、嘘はつかないのだ。要は訊き方、扱い方なのだ、と、その目は言いたげであった。
「殿下」
そこへやってきたのは、甲冑で完全武装した騎士。王宮内は今、厳戒態勢である。
「取り次ぎですか?」
素早く前に出たアイスローズの問いに、騎士は「ハハッ」と頭を垂れる。
王宮主催、それも第二王子の婚約祝いの夜会での狼藉とあり、大勢の招待客が巻きこまれた。現在、安否確認やら問い合わせやら、もしくは抗議等が王宮側に殺到しているのだ。
「バルテルミ伯爵子息殿ですが、いかがなさいますか?」




