Chapter03-5 魔族モルドレッドの事情
「メリル、走って!」
咄嗟に身体が動くのは、人生経験ゆえだろうか。
安っぽい言葉しか吐かなかった姉が、身を犠牲にして自分を逃がした。
メリルの人生――コンコーネ家に引き取られる前の幼少期は厳しいものだった。メリルはコンコーネ家の血は入っているが、メイドの子だ。いわゆる庶子。生まれた時は底辺の身分で、母親が亡くなるまでの数年間、王都の庶民街で過ごした。
昼間は暗がりに身を潜めるしかなかった当時、食べ物さえ満足に得られず、いつもお腹はぺこぺこだった。かといって、夜の街が小さな少女に優しいはずもなく。そんな環境にいたせいで身に迫る危険に敏感になったし、いざというタイミングで身体が動く。
今だって、足は迷いなく走っているのに。
(お姉さまなんて嫌い嫌い嫌い嫌い!!)
そう、あんな女、大嫌いなはずなのに……。
♧♧♧
「リディア嬢?!」
あの少年にいったい何を言われたのか。
彼女の足首の痣が赤く浮かび上がり、じりじりと白い肌を焼く。
「呪いが発動してる!」
それを見た銀髪の少女――〈聖女ヘレネ〉が咄嗟に魔法を使う。
「勇敢なるカルキノスよ
陸の我らに息吹を与え給え!
【水泡】!」
青銀の輝きの後に、痣に対抗するかのように白い泡がリディアの足首を包む。しかし、熱によってあっという間に蒸発して消えてしまう。
「これくらいじゃ効かないか。早く、どこか水のあるところへ!」
「ッ!」
迷っている暇はなかった。ジーンはリディアを抱えて走りだした。メリルの消えた路地の向こう、光のこぼれる建物がある!
「すみません! 誰か、誰か水を!」
「お嬢様?!」
メリルが先に行ったからだろう。すぐに侍女服の女性たちが水を張った大きな水甕を持ってきて、中にリディアの足を突っ込んだ。
♧♧♧
「なるほど。事情はわかりました。お嬢様が『怪物王子』から……」
幸い、リディアの呪いは水甕いっぱいの水で働きを抑えられたらしく、彼女の足に火傷が広がり続けるのは防げている。今のところは。
ここは、『ヤン・アゴスティノ商会』の応接室。
深緋の布張りの壁。床に敷かれているのは、砂漠の国から仕入れた珍しい柄の絨毯。壁には、どっしりとした額縁に納まる精巧な地図が飾られ、天井からぶら下がるランプは、繊細なガラス細工。
まるで貴族の館にでも招かれたかと錯覚してしまうような豪奢な室内――そこに店主のヤンと、ジーンで膝をつき合わせているのだが。
「『怪物王子』……?」
なんとも物騒な呼称に、ジーンは眉を顰めた。ジーンの見た王子は少年と言っても差しつかえない――小柄で愛嬌のある顔立ちはまだあどけなさが残っていたから。
「第二王子殿下は、『赤き悪魔』を宿しておられますから。ご存知でしょう? 古代魔族の遺物を飲んだ王族の末裔。それが殿下であらせられます」
古代魔族は〈厄災〉の中でも最も姿形が人間に近く、それでいて人間よりも強大な魔力を持つ種族だった。何百年も昔に討伐され、今は遺物――角や牙などを残すのみの。
「遺物を……飲んだ?!」
それは彼らの遺骸を食した、ということなのか。自分たちと変わらない容姿をした者たちの遺骸を。
(俺が眠っている間に滅びた種族はいくつもいる。でも『飲まれた』とは……)
困惑するジーンにヤンは首肯する。
「お若い貴方様が昔話を存じなくとも無理はありませんな。もう何百年も前のことですゆえ。古代魔族の遺物は、飲めば魔力を増強できると、その昔は角や牙に留まらず、髪や皮膚を砕いたモノまで広く出回りましてな。求める者が大勢いたのですな」
ヤンはそう言って、テーブルに置かれた天秤の皿をちょんとつついた。「遺物の粉末は、砂金と同じでした」と。
ヤンによれば、主にそれらを求めたのは貴族。古代魔族の角は美しさから珍重され、王族や貴族たちはこぞって買い求めた。その中で最も業物とされたのが、『赤き悪魔』と渾名された古代魔族の角。当時のオクトヴィア王は、王族の血にさらなる魔力を求めて、角を砕いて息子に飲ませたのだという。
「最初にそれを飲んだ王子は、見違えるほどお強くなられたそうです。戦では一騎当千、お一人で百人の部隊を壊滅させたとか。ですが、副作用も現れましてな」
ある日唐突に、王子は国から姿を消し、何年も戻って来なかったという。そして、父王の知らないところで勝手に平民の妻を娶り、子を為し……。国に戻ってきた時には、かの王子は遺物の力を失っていた。
「その力は子を為すと子に受け継がれる。殿下はその末裔でおられますゆえ」
『怪物王子』――戦では一騎当千の働きをするがゆえにそう呼ばれ、同時に突然放浪の旅に出て王族の役割を放棄することから『放蕩王子』とも揶揄される。
(なんてことだ。俺の知らない間に……)
「リディア嬢と話すことはできますか」
モルドレッドをこのままにしておいては、ダメだ。ジーンは〈勇者〉なのだから。
♧♧♧
「殿下と話、ですか?」
リディアとメリル、そして〈聖女ヘレネ〉は商館の奥にある客室で休んでいた。元々貴人を泊めることを想定していない商館のため、三人とも同じ部屋だ。狭苦しく感じないのは、彼女たちが既にドレスや法衣から身軽な服装に着替えているからだろう。
リディアはソファに腰かけ、呪いを抑えるためにまだ片足を水甕に浸したまま。メリルとヘレネは疲れたと見え、ベッドですぅすぅと寝息をたてていた。
「うん。彼……モルドレッドは古代魔族――厄災だから。彼の話を聞きたいんだ。君の呪いも、解くように説得する」
真剣な眼差しで言ったジーンは、次いで水甕に目を落とし、表情を曇らせた。
呪いは抑えられても、火傷した足の治療はできていない。水から足をあげられないのだから。きっと痛みもあるし、冷えるのだろう。リディアは冬用のガウンを羽織っていた。
「中庭で話そうと思っている。君は彼に見えない場所に隠れて、俺の前にモルドレッドを出してくれればいい」
もう夜明けまであまり時間もない。急がなければ。
♧♧♧
ジーンが商館の中庭に出てみると、ヤンが待ち受けていた。彼の横には猛獣用の大きな檻がある。
「ここは倉庫でもございますゆえ、何卒ご容赦を」
中庭にはポツポツとローブ姿の魔法使いが立っている。万が一モルドレッドが魔法で暴れたときに備えて、ということか。
「檻はしまって欲しい。代わりに椅子を用意してくれませんか」
ジーンは古代魔族のことをほとんど知らない。けれど、檻は……。きっと彼の逆鱗に触れるから。
「しかし……」
一方のヤンは眉間に皺を寄せている。倉庫を預かる責任者として、万全を尽くしたいのだ。
「万が一の時は、リディアお嬢様の魔法で彼をここに入れていただく。ただの魔封じの檻ですゆえ、殿下が傷つくことはございませんが……」
渋るヤンに、ジーンは「しまって下さい」と再度頭を下げた。
「彼を怒らせる。お願いします」
ジーンは一応貴族の格好をしている。そのジーンに正面から頭を下げられて、ヤンはようやく使用人に命じて檻を片づけさせた。
「リディア嬢、」
背後の窓に向かって合図を送れば。
「【放て】」
オレンジ色の光の帯が頭上を舞い、瞬き一つの間に、椅子に不貞不貞しく足を組む殿下が姿を現した。金ボタンにモールのついた軍人を示す礼服――年齢に似つかわしくない豪奢な衣装が、今は彼をより威圧的に見せていた。
「なんだ? 〈勇者〉か」
口の端を持ち上げ、彼は薄く笑った。光も音もない空間に放りこまれていたにも関わらず、ずいぶん落ち着いている。
「あなたは古代魔族、異世界から来た種族で間違いないのか?」
ジーンの問いに、モルドレッドは「ああ」と短く返した。やはりそうか!
「この世界に、留まりたいか?」
ゴクリ、と唾をのみ込む。人間の身体に取り込まれてしまったモルドレッドをどうやったら……。
「愚問だ、〈勇者〉。俺の望みは貴様に滅してもらうことではない。我らは望んでこの世界に来たのだからな!」
しかし、返ってきたのは予想外の答え。望んで……来た?
「確かに人間には負けた。我らは敗者だ。しかしそんなことはいい。強い者が勝った、それだけのことだ。俺がおまえに望むのは弟の探索だ。パールだけは……アイツだけは人間に討ちとられた形跡がなかった……!」
語気を強め、モルドレッドは訴えた。
人間に討伐された後、王族の血を渡りながら、彼自身で弟の痕跡を調べ尽くしたのだという。そんなときに見つけたのが、〈勇者〉という存在。〈厄災〉の元を訪れる〈勇者〉なら、弟を探し出せるのではないか――それからは〈勇者〉の痕跡を探し続けてきた。
「今、生きているとは思えん。仮に人間どもから逃れたとして、とうに寿命など尽きている。だが、もし! 俺のように人なり動物なりに取り込まれているならば……」
再会できる! とモルドレッドは胸を張った。
メインクエスト:古代魔族モルドレッドの弟さがし




