Chapter08-1 帰還と姉妹の企み
夕陽が森の館をオレンジ色に染める頃、飾り気のない庭園と森の境目の茂みがガサガサと揺れた。
「つ、着いた……着いたぞー!」
泥と葉っぱ塗れの剣士が夕陽に向かって万歳をする。
「ハアッ、ハアッ……こ、コレは幻覚ではないのであるな? 現実でフゴホッ」
次いで出てきたヨレヨレの魔法使いが、後から出てきて倒れ込んだ盾持ちに潰され。
「邪魔だ、貴様ら」
行く手を阻まれたモルドレッドがやや元気のない罵声を浴びせた。さすがの彼も疲れたらしい。
「ウフッ、ウフフッ♪ お、う、ち、だぁ~♪」
『……お姉さま』
最後に出てきたリディアに至っては疲労が限界を突破し、危ない薬をキメたような状態になっていた。
何しろ大変だったのだ。
植魔から離れたはいいが、完全に迷ってしまい、途方に暮れたリディアたち。それを打開したのが、メリルの提案――リディアの〈生き物を隠す魔法〉でメンバーのうちの誰かを上空に瞬間移動させて、上から館を探す――だった。
興味本位で名乗り出た剣士が、打ち上げと同時に通りがかりの怪鳥にお持ち帰りされかけ、慌てたリディアがうっかり怪鳥ごと〈空間〉に〈隠し〉て、〈空間〉の中で怪鳥が大暴れして大パニックになったり……。
最終的に「某は高所恐怖症ゆえ」とゴネる魔法使いを上空に打ち上げ、なんとか館を発見。その後も道なき道を進みながら、位置確認のため交代で空にジャンプし、怪鳥に以下略――。
ともあれ、ボロボロのヨレヨレになりながらも、リディアたちはなんとか森の館に帰還を果たした。
〈空間〉から出てきた商人たちは、それぞれのアイテムボックスから大量の物資を出し、召使いたちがそれらを館の中へ運び込んでいく。
商人たちは、定期的に森の館に外部から物資を運び込みにくるのだという。蔓食みの森はあの通りの悪路なので、荷車が使えない。個人のアイテムボックス――人力で運搬するしかないのだ。
「……私、帰ってきたの?」
『お姉さま、しっかりしてくださいィ』
ようやく笑いが治まって、ボケーッとその様子を見ていると、荷運びをしていた召使いの一人がやってきて、ペコリと潤んだ目でお辞儀をして、またパタパタと去っていった。カーミラがいなくなったことがかなり堪えたのだろう。初めて、館の住人たちに人間らしい感情を向けられた気がする。
なお、カーミラは〈空間〉から出て早々に灰色髪のダーリアに連れていかれた。
(カーミラさん、オクトヴィア人じゃなかったわね)
植木鉢を掘り返したり、森や大蜘蛛とのあれこれで落ちたのだろう。陽の下で再会した彼女は、見せまいと顔を俯けていたけれど。
プラチナブロンドの髪の陰、チラと見えた顔は、薄く白粉が残っていたものの、黒い素肌が透けていた。きっと、あれが彼女の本来の色なのだろう。
(アスワド族の奴隷……)
砂漠の国からさらに南に下った地域に住む民族は、肌が夜闇のように黒く、彫りの深い顔立ちと大きな目、ぽってりした唇が特徴の美男美女が多いときく。見目の良さゆえに、奴隷の産地だとリディアの知識にはある。
浮き世離れした美貌――エルフのようだと思えたのは、彼女の骨格がオクトヴィア人とまるで違うから。そして――
「メリルッ!」
物思いを遮ったのは、リディアを地下へ蹴り落とした男。
(ハサン……)
彼は早足にやってくると、ガシリとリディアの両肩を掴んだ。爪が肌に食い込んで、リディアは顔をしかめた。
「夜の森に入るなど何を考えている! ましてや〈厄災〉をそそのかし、カーミラ様まで巻き込むとは。貴女にいったい何ができる? 非力で何も知らない、何もできないというのに。なぜ館で大人しくできない!」
感情的に喚くハサンだが、まるで怖くなかった。森で出くわした魔物に比べれば、人間の癇癪など大したことはない。
代わりに、冷めた心地で彼を見上げる。
(何も知らないのは、あなたの方でしょう?)
ハサン自身がカーミラとメリルを閉じ込めたことも。密輸の証拠を取られたことも。今向かい合っているのがメリルではなくリディアであることも。
ああ……。リディアが〈どんな生き物も閉じ込める牢獄〉を操ることも、知らない。
何にも知らない、何にもできない、と決めつけて。思いこんで。
『ねぇ、メリル』
ハサンに向ける表情はそのままに、まだ〈空間〉にいる妹に話しかけた。
『せっかくだし、捕まえない?』
森を歩きながら、ベレニケや商人たちとたくさん会話をした。疲労や不安を紛らわせるためだったが、そんな中で決まったことがある。この男の処遇だ。
知らなかったとはいえ、『カーミラ』を地下に閉じ込め、森を彷徨わせたのは、他ならぬハサン。
『私、あの商人が怖いわ』
さらに『カーミラ』自身の口からハサンを拒絶する言葉が出れば、もはや彼に館の管理者は務まらない。
結果、ハサンはベレニケたちが砂漠の国に連れ帰ることになった。館の管理者は、とりあえずナージーが引き継ぐらしい。
『人質にどうかしら?』
商人たちは、植魔のことを知らせに早急に拠点に戻りたがっている。標石が使えない今、交代で休憩が取れるリディアの〈黒魔法〉も、〈厄災〉と話せるジーンやヘリオスの存在も、商人たちは是非とも利用したいはずだ。リディアたちにとっても、彼らと共に行く方が魔物に遭遇したときのリスクが減る。
利害は一致する。でも、『保険』はかけておきたい。
森を出た後も、ベレニケたちが味方でいてくれる保証はない。リディアたちは、森の館を知る存在でもあるのだから。
『……お姉さまが言うと違和感が半端ないですねぇ』
やだ怖~い、と科を作ってみせたものの、『好きにすれば?』と答えた声は愉しげだ。
『さんざんな目にあわされたんだもの。これくらい……』
いいわよね? と問えば。
『珍しく気が合うじゃない』
ご機嫌な声が返ってきた。
◇◇◇
ハサンは苛立ちを隠せなかった。
〈厄災〉をそそのかし、アディサを連れて夜の森に入った。見てはいないが、そうにちがいない。アディサは忌々しい亡霊に操られていて、拒否できなかったのだろう。
「ひとつ間違えば、死んでいたんだ! わかっているのかッ!」
いったい誰のおかげで、ドレスを着れたと思っている?
いったい誰のおかげで、陽射しの届かない安全な館に寝泊まりできていると?
食糧も水も服も館も、すべて自分の管理下にあるのだ。ハサンの意思一つで、メリルの生活などどうとでもしてしまえる――それを当の本人は理解できていないようだ。
ああ、奴隷どもの態度も気に入らない。なぜ、馬鹿をやらかした女に頭など下げるのか……
「非力で何も知らない、何もできないおまえたちは館で大人しくしていればいいんだ! 私に従っていれば」
女は男に従うものだ。何もできないのだから……
「本当に?」
不意にメリルが口を開いた。こちらを見上げる瞳は、夕陽のせいか血のように赤く見えた。
「そうだ! おまえはただの」
怒りのままに言いかけて、ふと違和に気づく。何か……
「ひっ」
足元から金色の細い鎖の網目が巻きつき、まるで意思があるかのように、身体を這いのぼってくる。
(魔法?!)
そう、思い至った時にはすでに遅く。
全身に絡みついた鎖がぎりりと締まり、ハサンは直立した姿勢のまま地面に転がった。
「フフッ。捕まえたわ」
ハサンを見下ろし、赤目の少女が愉悦に唇を歪める。
「なっ! ぐぅっ!」
危機感を感じたハサンは、拘束を逃れようと必死に腕や足を動かそうとした。なのに、手も足もピクリとも動かない。異様なほどの力――初めて、恐怖を覚えた。
(なんなんだ、この魔法……!)
目の前にいたのは、非力で何もできない少女であったはずだ。なのに……。
ここにいる女は、いったい『何』なのだろう。
(ああ……そもそもがおかしかったんだ)
アンデッド彷徨う危険な蔓食みの森からやってきた客人。見た目は、か弱く没落貴族を思わせる美しい少女。
しかし、本当にただのか弱い少女が、蔓食みの森を抜けられるだろうか?
――答えは「否」だ。
どうして気づかなかったのだろう。
何かしら武器となるモノを持っていて当然だったのに。
(能力を……隠していたのか?)
夕陽の下、美しい顔をオレンジ色に染めて少女は酷薄に嗤う。それはまるで……
(…………魔女、だ)
そう悟った瞬間、ハサンの視界は真っ黒に塗りつぶされた。
ハサン、苛立ちのあまり、陽の下にメリルがいる不自然さを見落としてしまったようです(´・ω・`)




