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侵入者



「さすがに…、疲れた…」


 夜の闇が一番深いころになってようやく、ナタリアは自室のベッドに倒れ込んだ。


 無礼講としたので、まだ酒を飲みかわして盛り上がっている者たちもいるが、女主人がいつまでもそばにいては内輪の話もできないだろうと、引き上げた。

 引き留められはしたが、久々に休みなしでヴァイオリンを弾き続けたため、さすがに身体がガチガチだ。


 存分に、もてなしが出来たと思う。

 充実感めいたものを感じて、ほうと息をつく。

 ただ、その代わりもう服を脱いで寝間着へ着替える気力もない。


 今夜はもう特別だ。


 己に言い聞かせてそのまま毛布の中に潜り込む。

 すると、ティムが耳元でにゃあと鳴いた。

 顔に頭を擦り付けねだるのでなんとか力を振り絞り入り口を作ってやると、するりと入り、喉をごろごろ鳴らしながら横向きに伏すナタリアの腹のあたりに収まる。

 じんわりと暖かくて気持ち良い。

 手のひらで彼の呼吸を感じながら、ナタリアは深い眠りの中へすとんと落ちた。


 しかし。


「―――」


 手のひらの下のティムの身体がぴくりと動いたのを感じ、目を閉じたままゆっくりと少し力を入れて沈ませる。


(大丈夫だから。じっとしていて。今は)


 心の中でティムに話しかけた。


 ぎし…と、微かにベッドの端が音を立てる。

 誰かが膝で乗り上げてきた。


 さん。

 に。

 いち。


「―――っ!」


 ナタリアは突然起き上がり、毛布ごと相手にとびかかる。


「ぐほっ」


 顎の下と思われる場所に前腕をしっかりと突っ込み、不埒者の喉を攻撃した。


 それと同時にティムは反対方向へ飛び降り、安全な場所を目指して一目散に逃げだしたのを聴覚で拾う。


 体格は自分よりかなり大きな成人男性。


 しかしあっけなく毛布に囚われ、寝台から転がり落ちて背中から床に沈んだ。

 そのまま馬乗りになって腹に一発拳を叩き込む。


「ぐあっ!」


 もっとも、腹筋はそれなりにあるがなまくらだと解っているから、ナタリアとしてはかなり手加減して軽くお見舞いした程度だ。

 吐かれるほどではない。



「いったい、どういうつもりでしょうか、ローレンス様」


 ミノムシ状態になっているのを、乱暴に毛布を掴んで引き下ろし、顔を出させた。


「ナタリア…。ひどいじゃないか」


 灰色がかった青い目の目尻がとろんと垂れさせ、甘ったるい声で抗議する。


「きしょ…」


 思わず本音が口から零れ落ちそうになるのをぐっとこらえた。

 運のよいことに腹の痛みを思い出したローレンスは小さく呻き、ナタリアの失言は届かなかったようだ。


「質問に答えてください。貴方様が今いるべきなのは臨月間近の愛する妻の元でしょう」


「いや…。それはそうだが。侍女が、本館がずいぶんにぎやかだと羨ましそうに言うものだから、何があっているのかと…。ちょっと覗きに」


「日頃懸命に働いてくれている使用人たちを少しねぎらっただけです。それでなぜ、地下の会場から上って私の寝室に忍び込む必要が?」


 男の上に乗ったまま、ナタリアは氷のような冷たい声で問いただす。


「それは……」


 もじもじと上目遣いで口ごもる男の吐息から酒の匂いがすることに気付いた。

 ついでに太ももに感じる体温が異常に高い。


「それは?」


 まさかまさかと思ったが。


「タリアが、ヴァイオリンを弾いている姿がとても綺麗だったから……」


「……は?」


 この男は、ただの酔っぱらいだった。


「あの……」


 酒を飲んでもザルと呼ばれるナタリアだが、頭痛を覚えてこめかみに手をやる。


「なあ、タリア。年が明けたな」


 タリアと。

 この男はまだ呼ぶつもりなのか。

 せっかく良い気分でベッドにもぐりこんだのに、台無しだ。


「はあ。そうですね」


 おざなりな返事も気にすることなく、ミノムシ男は目を瞬かせる。


「こと初め、しないか。今夜は無礼講なんだろう?」


「こ……」


 この男。

 このまま雪の中に日の出まで放り出すのはどうだろう。

 殺意がナタリアの脳裏をかすめたその時。



「奥様……っ! ナタリア様! 大変です!」


 どんどんどんと、私室の扉を激しく叩く音が響いた。


 声は執事のセロンだが、それ以外にも慌ただしく廊下を走る音が聞こえる。


 ナタリアはローレンスをそのままに寝室から駆け出した。


「どうしたの」


 ドアを開けると、服も髪も少し乱れたセロンが息を切らせて立っていた。

 彼も、年越しの宴に少し参加して、早く就寝していたはずだ。


 後にはトリフォードとアニーが慌てて身なりを整えた様子で控えていた。

 彼らにも休みを取るよう指示していたため、ナタリアの部屋の周辺は手薄の状態だったのだ。


「実は……」


 続けようとして、寝室の床に転がる物体に気付き、三人とも目を丸くする。


「あれは良いから。それで?」


 ナタリアはセロンへ続きを促した。



「東の館から火急の知らせです」


 嫌な予感しかしないが、それを振り払いたくて拳をぎゅっと握りしめる。


「マリア様が……破水されたそうです」


 セロンの声がどこか遠くに感じた。


「……え?」


 どこからか、吹雪を思わせる激しい風の音が聞こえてくる。

 夜明けはまだ遠い。


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