◆2
「それが本心なんじゃねぇの」
不意に届いたジェイドの言葉に、目を見開いた。
予想もしてなかった内容に、呆けた声が出る。
「……は」
「本心。混じりっけのないお前の本音」
「なんで」
「なんでって、無意識でしたくねぇことするわけねぇだろ。やりたいから考える前にやってるんじゃねぇの」
あの城に行くことが、俺の本心?
危険を冒して尚、あの子と関わり合いになることが?
なんで。
──ティアが、放っておけない気がする、から?
「……そんな訳ない」
思い浮かんだ考えを、俺は即座に否定する。
だって、俺がティアに抱いている感情は、同情でも、好意でもない。
「仮にそうだとして、なんで俺は自分の本音も分かんないの」
「外面ばっかり取り繕ってるからだろ」
帰ってきた言葉に眉を寄せる。
だから、なんだ。
それが悪いとでも言うつもりか。
俺だって、できるなら、こんな。
「自覚ねぇのか。お前は昔からあんま変わってねぇよ。小細工が上手くて小狡いし要領もいい。大抵は器用に立ち回る癖して変なとこだけ不器用だ。特に身内とお前自身に関しては」
「……」
「疲れてんだよ、お前」
「はぁ?」
「愛想笑いばっかりしてるからだろ。元々得意でもねぇくせに」
「……いつの話してんだよ。俺だって成長してる」「成長? 今のお前を見て本当にそう言えんのか。笑わせんな」
ジェイドの言葉に、ぐっと詰まってそっぽを向く。
「なんも変わってねぇよ。現にここに居る方が楽なんだろ」
ああ、そうだよ。楽だよ。うるさいな。
笑顔取り繕って人に紛れ込んでいるより、全部かなぐり捨ててゴミ溜めに座っている方が、清々しくて堪んないよ。
舌打ちする。悪いかよ。だからなんだってんだ。
「二面性を保ってられる程お前は器用じゃねぇんだ。精神が疲れてるから自分の本心も分からなくなってる。それだけだ」
「……分かったようなこと言うなよ」
「お前自覚してねぇことに関しては割とダダ漏れだぞ」
「うるさい」
「表面だけへらへら笑ってるお前は心底気持ちわりぃ」
「うるせぇって」
「だから、その猫被りやめちまえよ」
立てた膝に額を押し付けて、思いっきり息を吐き出した。両腕が弛緩し、だらりと地に投げ出す。
猫被り。
言われてみれば、俺は確かに猫被りだ。
ありのままの俺が、イーストエンドの外で受け入れられる自信がなかった。
だから笑顔を取り繕った。その内意識しなくてもできるようになって、それが本物か嘘か分からなくなった。
ずっとこの場所から離れなかったら、こんなことに悩ませられることも無かったのだろうか。
ああ、本当に。
普通の暮らしって、やりにくくて、生きづらい。
「……今日はやけに優しいんだな」
膝に顔を埋めながら、ぽつりと零す。
いつもは口論ばっかりしてるからか、たまの優しさがやけに染みる。
「……弱ってるお前を放っといて、ろくな事があった試しが無いからな」
「そーですか。そいつはどーも」
投げやりに返してから顔を上げる。
「つまり」
横目でジェイドを見上げる。
「俺は俺らしく、好き勝手してろってことですか」
「そうなるな」
「ふはっ、いいのかそれで」
常々俺の態度に眉を寄せて突っかかってるのはおまえだろうに。
まあ、うん、いいか。ジェイドが良いなら、それで。
「あ、もののついでにもう一つ聞いときたいんだけど」
「まだあんのかよ。めんどくせぇ」
「危険を顧みずに人に会いに行くのって、どういう心理状態だと思う?」
「は? お前が? 」
「俺が」
「似合わねぇ……。どういう状況だそれ」
少し迷った結果、魔女や城の下りだけ省いてティアについて話した。
俺の話を聞き終わったジェイドは、たいそう微妙な顔をしながら一言零した。
「惚れてんじゃねぇの」
「……」
あまりに予想外のその言葉に、俺は絶句した。
惚れてる? 誰が。俺が?
ティアに?
「ない」
その考えに思い至った瞬間、俺は言いきった。
首を振る。
ない。ありえない。絶対に。
しかし俺の反応を見てもジェイドはその微妙な顔を崩さなかった。あまつさえため息をついた。
「理由は?」
「始めは同情や好意もあったかもしれない。でも、俺が今あの子に抱いている感情は、そうじゃない」
脳裏にティアの姿を思い描く。その表情、その反応、その言葉を思い出して、俺は眉を寄せた。
「見てると苛々するんだ」
あの自己を放棄したような言動を見ていると、無性に苛々する。
原因は分かってる。俺はきっとあの子に、昔の自分を重ねている。その言動じゃない、その境遇を。
「あの、全部諦めて受け入れてますって態度が気に入らない。好き好んであそこに来た訳じゃないだろうに。逃げたくないのかよ、開放されたいはずだろ、普通」
諦念は全ての可能性を潰す。それを身をもって知っている。
どんな逆境も、行動しなければ何も変わらない。
なのに、自分を殺しているティアは、奴隷でいることに甘んじている。抜け出したいとさえ思えないなら、これ以上状況が好転することは、絶対にない。
昔、何度か奴隷商に売られかけたことがある。
あのまま奴隷になっていたら、俺もティアの様に何もかもを諦めていたのだろうか。
そう考えると、言い様のないもやもやした何かが湧き上がってくる。
「んなに嫌なら放っとけ。関わんなきゃ良いだけだ」
「それが出来たらとっくにしてる」
嫌なことには関わらなければいい。息をするように出来ていた事が、ここ最近満足にできない。
無視できない。忘れられない。ちらちらと、頭の片隅にいつでも居座っている存在が。
ジェイドが面倒そうにため息を吐いた。
「やっぱり惚れてんだろ」
「……だから」
「少なくとも好意がないってのは嘘だ。お前はどうでもいい奴を気にかけるようなお人好しじゃねぇ」
「……」
「惚れてねぇってんならそれでいい。自分で分かんねぇ感情に無理に名前付ける必要はねぇよ。ただ」
そこで一度言葉を切って、ジェイドは俺を見た。
視線が交差する。
「強い理由がないならそのまま本心には従っとけ。じゃなきゃ絶対後悔すんぞ」
話は終わりだとばかりに、ジェイドはイーストエンドの街並みに背を向けた。
その背を、俺は黙って目で見送った。
本心。
本心ね。
未だに余りぴんと来ない。
ジェイドはああ言っていたが、どうすれば良いのかは分からない。
事情を説明する時に魔女の下りを省いたのは、そこを話せばまともな回答は得られないだろうと思ったからだ。
開口一番に関わるなと言われて終わりだったろう。
それが分かっているから、ジェイドの助言を素直に聞く気にはなれない。
……けれど、このまま無視し続けたところで、この居心地の悪さは消えてくれるのだろうか。
──あ。
ふと、ここに来る前のことを思い出して、今にも階段に消えそうなジェイドに視線を向ける。
「ジェイド」
声をかけると、ジェイドの足はぴたりと止まった。面倒くさそうに肩越しに顔だけ振り向く、その金の目を見る。
「別件なんだけど、もう一つ聞きたいことがある」
そういえば、一つ気になることが残っていた。
たまり場で感じた、小さな違和感。『ジェイドに聞いて』と言っていた、ノルの暗い顔。
「いつもの場所に居るチビ達の数が、いつもより多かったんだけど、何かあったのか」
「……」
聞いた途端、ジェイドの目が眇められた。普段から不機嫌そうな顔がより一層凶悪になる。
「何人か殺された」
聞いた直後のその一瞬、思考が止まった。
誰が。
チビ達が?
「誰に」
「お前も知ってんだろ」
言われて眉を寄せる。
知ってる? んな事言われても、俺に殺人鬼の知り合いはいない。その話自体初耳だ。分かるわけない。
いや、でも待て。
俺が知っている事と言ったら。
「……イースト区の、通り魔?」
「ああ」
半信半疑で出した答えを、ジェイドはあっさりと肯定した。
「キーラとミゲルとテディが死んだ。稼ぎに出てそのまま帰って来なかった。そんで翌日になって、死体を見つけた」
「……どうしてそれで、通り魔の仕業だってわかんの」
言っちゃなんだが、イーストエンドの治安は最悪だ。常にどこかで誰かが死んでいると言っても過言じゃない。
人による殺人行為だってここではそこまで珍しいものじゃない。ガキ一人殺すのは簡単だ。
運悪く機嫌の悪い大人に捕まれば、嬲り殺しにされることも珍しくは無い。
「分かるさ。死体を見ればな」
だがそれをジェイドは否定した。
屋上入口の壁に背を預けたジェイドは、腕を組んで宙を睨みつける。
「どうして治外法権のイースト区にしか出没しない奴が、他区にまで噂されてると思う」
普通ならよくある事だ。ここには犯罪者がごろごろ居る。殺人鬼なんて特段珍しいものじゃない。
でも、例の通り魔は例外だった。
「ただの快楽殺人鬼じゃねぇ可能性があるからだよ」
その言葉に眉を寄せる。
俺の顔を見て、ジェイドはそこまでは広がってねぇのか、と呟いた。
「死体はいつも同じような状態だ。身体のどこかの太い血管が傷つけられてる。頸動脈がやられてることが多いな。にも関わらず、その場に残ってる血痕は極微量だ。死体自体を見りゃ、血が抜かれてることがよく分かる。──どっかの浮浪者がたまたま物陰から見たんだと。フードを深く被った奴が、死体の傷口に口付けて、その血を啜ってたってな」
ジェイドは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「奴はただの人間じゃねぇかもしれない。もしかしたら、吸血鬼の可能性がある」
吸血鬼。
人の血を啜る化け物。
どこかで聞いたような話だな、と思ったら、そういえば森の魔女も同じようなことを言われてたっけ。
出逢えば腹を引き裂かれ、心臓を抉り取られ、その血を啜られる、魔女の話。
「人間相手ならともかく、人外相手じゃ何がどう出るか分からねぇ。だから餓鬼共は固まって自衛してんだよ。死んだら元も子もねぇからな」
ジェイドの話に、ため息をついた。
なんだか途方もない話になっている。
「魔女に吸血鬼ねぇ。いつからこの街はお伽噺の舞台になったんだよ」
もう、勘弁して欲しい。
一生に一度、会うことも稀な希少種に、どうしてこんなに振り回されないといけないんだ。