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我が愛しの化け物へ  作者: 砂原樹
【第一部】 魔女と奴隷
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◆掃き溜めの故郷

 足は獣ほど早くはないが、気配を読むのは得意だ。視界さえ効くのなら、危険はそれほど多くない。


 朝日が出るのを待って森を進むと、朝露が葉の上に煌めいていた。

 日が差し込む森の中は、静けさに満ちている。まだ、木々も獣も寝ているのだろう。あるいはこれから眠りにつくのか。

 以前貰った匂い袋を腰に結んで、澄んだ空気の中を突き進む。


 急ぎ足で辿りついた魔女の城は、未だ夜の眠りの中に居た。

 いつもの崩れた石塀から敷地内へ侵入を果たし、戸締りのされていない扉から、城の中へと入る。

 周囲はあまりに静かで、人の気配はない。

 ティアはまだ寝ているのだろう。

 そうだといい。

 そのために、これ程早くここに来たのだから。


 足音を殺しながら、ひたすら城の中を歩く。

 途中、幾つもの扉があった。

 見たところ、どの扉にも鍵穴はなく、少しドアノブを捻るだけで、簡単に開けられそうだった。

 けれど気が乗らず、中を確かめる気にはなれなかった。


 何処かの廊下の端で、ふと足を止める。

 先日ティアといた時に見た壺が、台座の上に置いてある。


「……」


 改めて見ても、見事な意匠だ。

 繊細な筆遣いと色遣いで描かれた絵に、所々金箔が乗っている。売れば相当な値がつくに違いない。

 そうは思うのに、それを見ても、この前程の高揚感はない。

 ゆっくりと手を伸ばす。


『っ駄目』


 この手を止める声の持ち主は、今この場にいない。

 触れた壺の表面は凹凸がなく、吸い付くほどに滑らかだった。

 この壺は価値があるものだ。

 評価を下してから、手を引いた。


「……」


 壺を視界に捉えながら、すっと目を細める。

 目の前の物の価値がわかりながら、何故か興味は微塵も湧いてこなかった。


「……俺、おかしくなったかな」


 静まりかえった古城に一つ、小さな呟きが解けて消えた。




 ◆




 この街は、たいして大きくも小さくもない、ごくありふれた規模の街だ。


 突出した特徴も特産もなく、観光で来る人はあまりいない。王都への街道が通っているせいか、外からの流入は行商人や、宿場町として利用するような人が大半だ。彼らのおかげで、中央部に多くある宿屋や市場はいつも賑わっている。逆に言うと、それ以外の地域に外の人が来ることは滅多にない。


 この街は中央にある噴水広場を境に、分かりやすく東西南北の四つの区に分けられている。

 領主である伯爵の屋敷は(ノース)区にあり、西(ウェスト)区と(サウス)区には一般住宅が立ち並ぶ。そして(イースト)区には、歓楽街が存在する。

 中央のほど近くに設けられたその歓楽街を除けば、残るのは貧者の多い寂れた住宅街だ。それはさらに東へと行く程に悪化していき、最東端の張り出した場所には、バラックの立ち並ぶ貧民窟が存在している。


 通称、イーストエンド。浮浪者や犯罪者で溢れる掃き溜めだ。

 そしてそこからさらに東へしばらく進んだところが、魔女の噂のある、森の端になっている。







 雨風に晒され変色した木の扉は、如何にも崩落しそうな建物に取り付けられている。

 他区で見たなら十中八九廃墟だと思うだろうが、こんなものこの区では珍しくもなんともない。

 見慣れたその扉を開くと、中にいた数人の目が一斉に俺に向いた。


「あ、アルテだ」

「久しぶりーアルテ」

「おかえり!」

「今日はどうしたんだ?」


 思い思いに声を上げる声の主は、いずれも齢十に満たない子供ばかりだ。

 この建物の中に大人は居ない。

 ここの子供には親は居ない。

 それぞれの事情で独りになった子供たちが、身を寄せあって暮らしている。それがこの場所だ。

 子供は無力だ。一人で出来ることは限られている。一人だけで日々を生き抜くのは困難だ。だから自衛のために、助け合いながら暮らしている。


 見渡した室内の様子に、小さな違和感を覚えた。

 だけど、不思議そうな視線がいくつもこちらを向いているから、先に用事を済ませてしまおうと思い立つ。

 視線の集中する最中、もったいぶった素振りで腰に手を伸ばし、ポーチの中から皮袋をひとつ取り出す。それを軽く振るとじゃらじゃらと中から音がする。

 袋を顔の高さまで掲げて、こちらをじっと見つめる少年少女ににやりと笑ってやった。


「臨時収入のお裾分け」


 途端、子供達は一斉に沸いた。


「ほんとに!? やった、ありがと!」

「わぁ、重そう」

「アルテ最高!」


 わらわらとやって来ては目を輝かせる子供の一人に、皮袋を渡す。受け取った子供は、周りの子達と「いっぱい入ってる!」「しばらくご飯に困らないね」と話し合って笑っていた。それを尻目に、もう一度室内をぐるりと見渡した。

 入ってきた時にも思った小さな違和感が、やはり変わらずそこにあった。


 いつもより、子供の数が多い。

 いや、全体数が多くなった訳では無い。見渡す顔は見知ったものばかりで、新顔は見かけない。ただ、いつもならほとんどの者は小銭稼ぎのために外に出かけ、この場所には数人しか残っていないはずなのに。


 何かあるのだろうか。

 訝しく思っていると、歳の割に落ち着いた雰囲気を持つ少年が近づいてきた。それを見て、思わず瞬く。目に慣れると気にならないが、たまに見ると、改めて白いという印象を抱く。

 白金の髪に銀の瞳。全体的に色素が薄い彼は、確か今年で十二歳だったか。力仕事は苦手だが頭が良く、金銭面の管理を担っている少年。ノルだ。


「またどっかから盗んできたの?」


 呆れたような表情を浮かべるノルに、悪びれもなく返す。


「盗みが俺のライフワークだから」

「……相変わらずだね」


 他の子供は既に渡した皮袋に夢中のようだ。

 初めに自分達がいた場所へと持ち帰って、きゃっきゃとはしゃいでいる。俺の周囲には、今はノルしか居ない。


「あれ、取り返さなくていいの?」


 ノルは俺が示した皮袋の方を見やると、首を振る。


「あの喜びようを邪魔するような無粋な真似はしないよ。最終的に僕に渡してくれればそれでいい。僕の目の届く場所でネコババするような馬鹿は、……少なくともあそこには居ないし」


 どこかの誰かさんと違って。ぼそっと呟いてから寄越される視線に、笑みが引き攣る。視線で水も凍りそうだ。容赦のない絶対零度の眼差し。怖。

 いや、言い訳をすると俺はノルからネコババをしたことは無い。

 ただちょっと、手持ち無沙汰が過ぎて、手慰みにノルが管理している硬貨を掠め取ったことがあるだけだ。別に何が欲しいわけでもなかったからすぐ返した。

 しかし好き勝手されたノルは大層怒り、それをいつまでも根に持っている。


「まあ、あの金は盗んだって言うか拾ったものを売り払ったやつだから。放棄された荷馬車なんて、ご自由に中身をお持ちくださいって言ってるようなもんでしょ」

「じゃあ、今は盗みはしてませんって?」

「いや、まぁ、……ぼちぼち」

「結局やってるんじゃないか」


 ノルがため息をつく。ノルは物言いは冷たいが結構な心配症だ。こちらのことを心配しているのが分かるから、昔からどうも頭が上がらない。

 首元のストールを引き上げて顔を隠しながら、視線を逸らす。何となく気まずい。


「せっかくここから出たんだから、もっと真っ当に生きなよ。そんな感じだとまた戻ってくることになるよ」

「いや、理屈では分かってるんだよ。でも、真面目に働いても給金が割に合わない」

「子供か? 僕より四つも年上のくせに……」

「それになんか、身体に染み付いちゃってるんだ。こうしないと飯が食えないって。だから、やらないと落ち着かない」


 そう、昔からこれで食ってきたから、最早習性になってきてる。今更簡単には変えられない。

 親のいない孤児の稼ぎ先なんて、大抵ろくなもんじゃない。それはこんなふうにより集まっていたって変わらない。


 ここはイースト区だ。

 悪名高いイーストエンドの一角。

 イーストエンド育ちの小汚い子供を、親切心で雇おうなんて考える善良な一般人はそう居ない。

 まともな仕事は肉体労働位で、大抵は窃盗や売春など、犯罪の片棒担ぐようなものでしか稼げない。

 ゴミ溜めを漁って使えそうなものを拾い集める屑拾いや、時々自分の髪を売りに行く子や手製のガラクタを売り捌く子もいるが、実入りは微々たるものだ。

 孤児院にでも入ることが出来たならそこそこマシな生活が出来たのかもしれないが、あいにくこの街にはそんな高尚なものはなかった。


 俺の生家はゴミに溢れた路地裏だ。

 ゴミを漁って、パンを盗んで、どうにか死なずに生きてきた。それからいろいろあって、助けられて、今ここに立っている。


「他が生きにくかったら、いつでも戻ってきなよ」


 声につられて視線を向けると、ノルは静かに子供たちを見ていた。

 この掃き溜めの中で、無邪気に笑い合うその笑顔を。


「いつまでもここで、傷の舐め合いはしてられない。それは分かってる。僕としては底辺(ここ)から巣立てるなら巣立って欲しいと思うし、出来るならまともな生活を手に入れて欲しいと思う。でも、焦って無理してまで貫き通すことでもない。……僕達ははじめから、普通とは違う生き方をしてきたんだ。すぐに『普通』に馴染めなくても仕方がない」


 ノルがこちらを向き、目が合った。

 真っ直ぐに見つめるその瞳には、ただ真摯な色が宿っている。


「ここは行き場をなくした子供の集まりだ。たとえアルテが戻ってきても、誰も拒んだりしないよ」

「……さんきゅ」


 本当に、かなわないな。

 もう何度も思ったことを、再び心中で呟く。

 ノルはこんな薄汚れた場所には勿体ない程高潔で優しい。生きにくそうだと思うこともある。でもどんなに泥にまみれても、ノルは自分を曲げたことは無い。

 きっとこんな人が為政者だったなら、さぞ良い世の中になるのだろう。


 どうしたらこんな風に育つのだろうと、時々思う。

 ノルがここに来た四年前より以前のことを、俺は知らない。一体どんな環境にいれば、幼くして地獄を見ても揺らがない、芯のある人間になるのか。

 そこまで考えて、その先をかき消す。

 過去の詮索はタブーだ。昔のことを思い出したくない子供は沢山いる。自分から言わないなら、こちらから探るべきじゃない。

 過去がどうであろうと、重要なのは今とこれからなのだから。


「そう言えばノル、ずっと気になってたんだけど」

「何?」

「今日はやけに皆ここに集まってるけど、これから何かあんの?」


 そう聞いた途端、ノルの顔が曇った。


「何かあるって言うか、あったって言った方が正しいね」

「あった?」

「……、この場で話すことじゃない」


 ちらと子供たちの方向を見て首を振る。その様子を見て、何となく察した。

 あの子供達に聞かせられないこと、もしくは聞かせたくないこと。

 きっと楽しくはない何かがあったのだと。


「気になるならジェイドに聞いて。どうせこの後会いに行くんでしょ」

「あ、うん」


 そうだった。昔からの悪友を思い出す。今日はチビ達への小遣いの他に、もう一つ用事があってきたのだ。


「じゃあ俺、そろそろ行くよ」


 言いながらもう一度奥の子供たちを見る。あそこまで喜んでくれるなら身銭を切った甲斐があると言うものだ。多少懐は寒くなったがまぁ良いか。無くなればまた盗……稼げばいいんだし。


「多分いつもと同じ場所にいるから。……僕から言えるのは一つだけ」


 扉に手をかけたところで振り返る。視線の先のノルはいやに神妙な表情を浮かべていた。


「しばらくイーストエンドには近寄らない方が良いよ」


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