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我が愛しの化け物へ  作者: 砂原樹
【第一部】 魔女と奴隷
5/41

◇2

 雨の中、外に留まっていれば濡れる。

 体が濡れたままでは、次第に体温が奪われる。

 そして、人によっては風邪をひく。

 そんな当たり前の事実を思い出すのに数秒を要する程度には、頭の回転は鈍っていた。

 ……いや、違うか。

 長らく自分とは縁遠い事実であったから、咄嗟に思いつかなかっただけだ。

 そもそも、どうして私は今、こんなにも何かを考えているのだろう。


「この城って外観は酷いけど中は綺麗だよね。広いし。ティアが掃除してるの? いや、1人では無理か。魔女の城だし魔法かなんかでちゃちゃっとやってるのかな」


 しっとりと濡れた髪をして辺りを見渡すアルテは、一人で喋り倒していた。そう言えば、どことなく声が弾んでいるような気もする。


「こんな時でもなければ、きっと城なんて一生入る機会なかったんだろうな。ねえティア、雨が上がるまでここ探検してていい? いいよね?」

「……駄目です」

「え、ケチ。いいじゃん。どうせ魔女は居ないんだろ?」

「居ないけど、駄目です」

「えー……。あ、壺がある。本当に金持ちの家には壺があるんだな。金持ちっていうか城か」


 アルテが壺に手を伸ばす。

 一瞬遅れて、どくりと、心臓が高鳴った。


「っ駄目」


 気づけば、咄嗟に手を伸ばしていた。

 掴んだ手首は温かくて、視界の端に目を丸くするアルテの横顔が映る。

 でも、そんなことも気にならないほどに、頭の中では言葉が、記憶が回っていた。


 無邪気に笑いながら、炎の中に佇むあの人。純真に呪詛を紡ぐあの人が。

 見つかる。

 根拠もないのに、妙な確信があった。

 ここは魔女の城。

 この中の物は、全て美しく残忍なあの人の持ち物。


「……死にたくないなら、無闇に触らないで」


 絞り出した言葉は、奇妙に掠れていた。

 呼吸が乱れている。心臓の音がする。それを自覚して、どうすればいいのか分からなくなる。

 どうして、こんなに心が乱れているのか。

 ……心?

 違う。

 違う。錯覚だ。そんなものは持っていない。

 要らない。必要ない。


「……了解」


 もっと食い下がるかと持っていたアルテは、思いのほかあっさりと引き下がった。

 それを聞いて、手から力が抜ける。いつの間にか詰めていた息が、ひとりでに抜けていく。

 何故か再び力は入らず、直ぐには顔をあげられなかった。


「じゃあ、ちょっと話をしようよ。雨が止むのをただ待っているだけなのも退屈だし」

「……私は、何も話すことはありません」

「まあそう言わずに。俺もっとティアのこと知りたいんだけど」

「どうして」

「友達だから?」


 思わず顔を上げると、アルテはこちらを見てにこりと笑った。


「友達はいらないと、言いました」

「うん、聞いた」


 でも、と続けて悪びれなく言う。


「諦めたわけじゃないから。ティアが折れてくれるまで、引く気はないよ」


 決して強く言っている訳でもないのに、その言葉からは確固たる意志を感じた。

 アルテと言葉を交わしていると、心中が波立つ。

 拒絶をしても、聞き入れようとしないのはどうして。

 彼は何を考えて居るのだろう。

 森の奥、魔女の城に居る得体の知れないものに、どうしてそこまでこだわるのか。


「この前聞いたこと、もう一度聞いてもいい?」


 分からない。

 どうして、私に構おうとするのか。


「君は、自分で望んでここに居るの? ここに居たいの?」

「……私の意思は問題では有りません」

「あるよ。大あり。俺が知りたいんだから」

「……どうして」

「……あー、これだと堂々巡りだね」


 そう言うと、アルテは何かを考え込むかのように俯いた。


「いつまでも、ティアはここにいる訳では無いんだよね」


 それは、問いかけと言うよりは独り言のようで、答えが欲しいという様子ではなく。ただ、自らの中で状況を整理しているかのような、そんな言い方をしていた。


「ある日ここに来ても、君はもう居なくなっているのかもしれない。会いたくなっても会えないのかもしれない。それがいつかは分からない。でも、君が君自身の意思を持たない限り、その時は前兆もなく訪れるんだろう。……それは、嫌だ。せめてその前兆だけでも知りたいっていうか、さ。だから」


 探るように言葉を紡いでいたアルテは、ふとそこで口を噤んだ。少し眉根を寄せて、諦めたように息を吐く。


「ごめん、言葉が上手くまとまらない。とにかく、ティアの思っていることが知りたいんだ」

「……私は」


 何かを言いかけて、口を噤む。

 自分でも、その先に何を言いたかったのか、分からなかった。


 私に意思はいらない。心もいらない。感情はいらない。

 要らないのだ。

 そんなものを抱えていても、何かが変わる訳でもない。望んだ結果が得られる訳でもない。

 ただ諾々と主人の命令を受けるしか許されない身分で、そんなものがあったところで、ただ悪戯に苦しみを覚えるだけだと、もう知っている。

 この境遇から逃れることが出来ないのなら、せめて苦しまずに居たかった。


 だからずっと前に、心は捨てた。

 それを再び欲しいとは思わない。

 所詮私は、人の形をした物なのだから。


「どうして」


 私は物でいい。物のままでいい。

 私を人として、認識しないで欲しい。必要以上に興味を示さないで欲しかった。……それなのに、どうして。


「あなたは、そんなにも私に構おうとするの」

「……どうして、か」


 初めて見る顔だった。

 一瞬覗いたその表情に、見慣れた笑みの片鱗はなく、ただ困惑だけが色濃くあった。


「そんなの、俺にだって分かんないよ」


 呟くように発せられたその言葉は、あるいは本当に独り言だったのかもしれない。

 一瞬見えたその表情はすぐに塗り替えられて、アルテの顔にはまた笑みが浮かぶ。


「どうして、どうしてって、ティアはそればっかりだね」

「……、いけませんか」

「ねえティア、まだ自分が物だって思ってるの」


 口を引き結ぶ。そのまま黙っていると、アルテは続けて口を開いた。


「自覚してる? 物は意思も思考もないんだ。良くも悪くも、ただ受け入れることしか出来ない。持ち主がどんなに非道でも、乱暴に扱われても、壊されても文句も言えない。だから、『どうして』なんて言葉、物からは出るはずがない」


 真っ直ぐな視線に射抜かれて、息が詰まる。この間と同じ言葉が、どうしようもなく私を揺さぶる。


「君は人だろ、ティア」

「やめて」


 耳を塞いでしまいたかった。

 これ以上、『私』を掻き乱さないで。

 分かっている。そんなことは、言われるまでもなく分かっている。

 それでも、私は物なのだ。

 物と思っていたかったのだ。

 何があっても、どんな扱いを受けても、何にも心動かすことがないように。


「……私は物です。人であったことなんて、ない」


 人が自由に物事を考え、行動出来るものならば、私の存在は、常にその下位にある。

 この世に生を受けてから、私の所有権は、いつも私以外の誰かが握っている。

 私はいつも誰かの物だ。

 私が私のものであったことは、ない。


「そう、分かった」


 やけに静かな声だった。

 私を見るアルテの目は真っ直ぐで、でも口元に笑みはもうない。

 纏う雰囲気がどこか違っているような気がした。今まで見せていた明るいものは、なりを潜めている。


「ティアは望んでここに居る訳じゃない。そんな問題以前に、選択する自由もないこの状況を受け入れているってことだね? 何されても抵抗せず、何を命じられても黙って従う、そんな意志なき物でいるのを望んでいるんだね?」


 ひとつ呼吸を置いて、吐き捨てるように言う。


「そんなに奴隷でいたいのかよ」


 怒っているのかもしれない。漠然とそう思った。

 けれど、どうしてアルテが怒るのか分からない。だから間違いかもしれない。


「そんなに自分が物だって言い張るんなら」


 不意に、アルテが距離を詰めてきた。腕を掴まれて、それに反応する間もなく、ぐいと引かれる。


「俺が君をここから盗み出したら、魔女じゃなく俺を新しい主と認識して、黙って着いてきてくれんの」


 何を言われたのか、一瞬分からなかった。

 思考が白く塗りつぶされたまま、呆然とアルテを見上げる。交差した視線は、今までの彼とは別人のように強いものだった。

 それはそれ程長い時間ではなかった。ほんの数秒でしかなかったのかもしれない。


 アルテの力が抜ける。その顔に見慣れた笑みを張りつけて、アルテは私から目をそらす。


「……冗談だよ」


 その声音は、どこか乾いているような気がした。

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