insane or innocent ◇6
「まだなんか用事?」
未だ部屋に留まっている私を見て、アルテが微妙に眉根を寄せる。
ケイシーさんが出ていったせいか、怒りはだいぶ収まったようだが、まだ若干余韻が残っていた。
「あの、謝りたくて」
「今聞いたけど」
「そう、だけど、それだけじゃないの。ごめんなさい。何も知らなくて、迷惑かけました」
「……いや、何が?」
呆れたように聞き返されて、ハッとする。
そうだ。考えすぎて、私の中では最早普通になってしまったことだけど、確かに言わなければわからない。
「あの、初めアルテが寝られなかったの、私のせいだよね。ごめんなさい、人が近くに居ると寝られないって知らなくて。私が何度も部屋に入り浸ったせいで、」
「ちょっと待った」
唐突に静止をかけられ思わず顔を上げると、アルテは目に見えて困惑の表情を浮かべていた。
「え、待って何の話? 誰かにそう言われたとか?」
「アルテに聞いたよ」
「…………は、俺? 嘘」
そんなこと言ったっけ。小さく呟いてから視線を下にずらし、黙り込む。思い出そうとしているような仕草だったが、少ししても眉根が寄ってくるばかりで、あまり表情は芳しくない。
「聞き間違いじゃねぇの。言った覚えないんだけど」
「間違いじゃないよ」
「いつの話?」
「ケイシーさんが来る前、くらい?」
「前……」
具体的な時を言ってみても、アルテは変わらず難しい顔をするだけだった。
「いや、まじで記憶にねぇんだけど……前? 前って俺そもそもティアに会った? つか寝て、……ないんだっけ、そうだっけ……?」
本気でよくわからなそうな表情をされて、言葉に詰まる。
覚えていないのだろうか。
ああでも、あの時は確かに酷い状態だった。
目も虚ろだったし、だいぶ朦朧としているようだったから、覚えていなくても仕方がないのかもしれない。
少しして諦めたように息をついたアルテが、他になんか口走ってた? と顔を上げる。
他に。
他には。
「特に、なにも」
「あー、そう……」
歯切れ悪く相槌を打つと、アルテは気まずげに目をそらした。
「まぁ、覚えてないけど……たぶん、寝ぼけてただけだから。忘れて」
言われた言葉が、すぐには理解できなかった。
まさか、ここで否定されるとは思わなかった。
一瞬言われるままに信じかけそうになったのを堪えて、数日前のことを思い返す。でも振り返ってみてもやはり、あの時聞いた弱音は、明らかに本物だった。嘘なんかじゃなかった。
それにジェイドも、ケイシーさんも、同じようなことを言っていた。だから間違ってはいないはずだ。
そのはず、なんだけど。
「……人が居ると、寝られないんじゃないの?」
私の伝え方がおかしくて、上手く伝わらなかったのだろうか。
そう思い確認してみても、アルテは、違うよ、と呆気なく否定するだけだった。
「なんでも、ないの?」
「ないって。病人の戯言真に受けんな」
「……ないなら、ずっとここに居るよ?」
「どーぞご勝手に」
即答だ。
段々面倒くさそうになりながら否定をするその様子は、あまりにも自然体で、そのまま信じてしまいそうになる。
疑問を差し挟むことすら、おかしなことに思えてくる。詮索なんてもってのほかだ。
でも、そっちの方が、嘘なんじゃないの?
私がそれを信じてしまったら、困るのはアルテの方でしょう?
どうしてそんなに、頑なに否定をするのだろう。
『基本誰にも弱味を見せようとせんの。自分の状態最悪でも頑なに強がって頼らんし、ギリッギリまで意地でも折れない』
態度が普段に近づいていても、変わらずその頬は仄かに赤いまま。別に熱が下がったわけではない。
今はなんでもなさそうにしていても、少し前まで気だるげにしていた事実は変わらなくて。
誰にも頼らず、弱みを見せず、意地を張って。それで自分の首を絞めたとしても、構わずに。
それが、あなたなの?
私が気づいてなかったアルテなの?
彼が人間不信と評されている訳が、今初めてわかった気がした。
この態度が意図的だと言うならば、これは確かに、拒絶だった。
『心の壁がね、高くて分厚くて固ったいの』
ああ、そうか。私はまだ、心を許せるほど信用されていないのだ。
考えてみれば当然だ。私は今まで、助けられてばかりだった。
自分の事だけで頭がいっぱいで、アルテの事情まで深く考えていなかった。客観的に見ても、私はとても頼りになんてならない。なるわけがない。
「……わかった」
小さく頷いて、一度強く目を閉じる。
そうだ。例えアルテが、こんな性格じゃなかったとしても。
あなたを殺すくらいなら死ぬとまで言った相手に、確かに弱音なんて吐けるわけがなかった。
「ごめんなさい」
「また謝ってる……もういいよ」
出会った頃は、強引で勝手な人だと思っていた。でも、きっと違うのだろう。
何もかもを綺麗に隠してしまうこの人は。自分が忘れてしまう程に追い詰められないと、弱音のひとつも吐き出さないアルテは。
私が思っているよりずっと、色々なことを我慢しているのかもしれない。
「アルテ」
「何」
「おやすみなさい」
「え? ああ、おやすみ……?」
虚をつかれたように瞬くアルテに小さく手を振って、私は彼の病室を出た。
閉めた扉に背を預け、細く息をつく。
わかっている。今の私は、まるで役立たずだ。
長らく人形に甘んじ、思考停止していた。そのせいで、今ツケが回ってきている。些細なことにすら自信が持てず、不安だらけでどうしようもない。非常識で、謝ってばかりで、誰も彼もに迷惑をかけて。何もかもが足りないなんて、わかりきっている。
でも、アルテが一緒にいてもいいと言ってくれたから。自分のことだけで一杯になって、アルテ一人に負担を負わせたくはなかった。
「……ねぇ、あまり一人で抱えこまないでね」
扉の向こうにいる彼へ、聞こえるはずもない言葉を紡ぐ。
綺麗に貼り付けられたその仮面を、そこに込められた拒絶を、私はまだ崩せないけれど。
私があなたに救われたように、私もなにか返したいの。
だから今はあなたが望むまま、見ないふりをしておくね。
頑張るから。絶対、変わるから。支えられるようになるから。……いつか信じられるようになったら、その時は。
どうか、私を頼ってね。