表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/41

insane or innocent ◇2

 蒼天の下の街並みは殺伐としていて、夜の静けさとは違って見える。

 私はこの街を、よくは知らない。

 外から前の主人に連れられて来て、その後はずっと森の古城に居た。時々訪れることはあっても、夜の間だけだった。血を求めていた、その間だけ。

 ここがどの辺りにあるのか、どんな街なのか、街の名前はどうなのか、そういった基本的なことさえ、何一つ知らない。

 それでも今いるこの場所が、いわゆる普通の住宅街では無いことは、さすがに分かっていた。


 倒壊の目立つ廃墟の街並みは、一見して異様だ。

 道には瓦礫が散乱し、見上げれば建物は大なり小なり壊れているものが多い。天井が崩れ壁がえぐれ、所々煤けている。深くヒビの入った箇所からは軋むような音がし、些細なきっかけで崩れ落ちて来そうな怖さがあった。

 まるで、戦火の後かとでも言うような有様だ。

 一体、どうすればこんな風になるのだろう。

 ここが街の一区画にすぎないというのが更に疑問を煽る。壊れているのはこの区画だけなのだ。


 かろうじて開けられた道の端を足早に歩くも、ひとけは少ない。しかし、全く居ない訳でもなかった。

 こんな場所でも、人は住んでいるんだ。

 よれた服装や暗い表情から、いい環境でないのは明らかだけど。

 かき合わせたクロークの前を握りしめ、被ったフードの下で思案に暮れる。


 市場って、どこに行けばあるんだろう。

 そもそも道を知らないから、この先どこに通じているのかも分からない。こちらで合っているんだろうか。とりあえず、無難に一番広そうなところを通っているのだけど。

 それとも、こういう所では横道の方が安全だったりするのだろうか。どう歩けばいいのか、いまいちよく分からない。

 こんな広い場所を通っていると、むしろ目立って絡まれたりする?


 近くの路地を覗き込む。道は暗いが、思っていたより狭くはない。瓦礫もそんなに落ちていないから、危険は低そう。

 見た目は倒壊した建物が多いけど、元々は整備されていた街の一区画のはずだし、そこまで入り組んでは居ないはず。

 少しだけ行ってみようか。

 思いながら、路地の方へと足を向けた。





 ◇





 結局、迷った。


 瓦礫で行き止まりになった路地の果てで、肩を落とす。元々道は把握してないけど、自分が向かっている方向くらいは分かっていた。今はそれすら分からない。

 進む道は所々瓦礫で埋まっていて、そのたび無事な道へ方向を変えた。人影を見かければ隠れて、道を変えて、そんなことを繰り返している内に、方向感覚がおかしくなってしまった。

 ここ、どの辺りなんだろう。

 何度目か分からないことを思いながら、知らない暗い道を歩く。そのまま進んでいると、不意に路地を抜けて開けた場所に出た。


 微かに、血と硝煙のにおいがした。

 とっさに口元を手で覆う。心臓の鼓動が激しい。動揺を抑えこんで、慎重に息を吸って、吐く。

 大丈夫。渇いてこない。確認してから、口元から手を離す。

 血自体は一度、破棄される予定だった輸血用のものを貰った。あれでどれくらい持つのか、私にも分からない。でもとりあえず今は大丈夫だ。

 フードでかろうじて身体に引っかかっていたクロークが脱げそうになって、慌てて前をかき合せる。


 建物の合間にできた、小さな空き地だった。

 向こう側に本来の道が見えるが、道幅はそう広くない。更に向こうの建物が高いせいか妙に圧迫感があり、一見四方を壁に囲まれているような錯覚を覚える。

 初めに居た場所よりも、周囲の損壊は酷くないようで、この辺りはあまり瓦礫がない。というより、初めに居たところが一番酷かった。そこから離れる程に被害は小さくなり、比例して人の気配が増えているように感じた。


 少し先の地面に、弾痕と血痕が見える。

 血痕は地面に染み込んでいて、近づいて確認すると、既に乾いていた。直近のものでは無いようだ。辺りには人の気配がなく、ただ不穏な空気が残り香のように漂っている。


 あまり良くない場所に出てしまったのかもしれない。

 そう思い腰が引けていた時、唐突に向こう側の道から、小さな足音が聞こえた。

 引き返そう。

 焦って振り返った瞬間、足がもつれて、血の気が引いた。


 地面に倒れた音は、やけに大きく響いた気がした。

 打ちつけた箇所が痛む。その痛みをやり過ごすのもそこそこに、急いで起き上がろうとすると、思った箇所に力が入らず、バランスを崩して再び沈む。視線を巡らせた右腕は、だらりと垂れ下がった白骨が嵌っていた。

 そうだ。右腕、無いんだった。

 本来の腕を失ったのはだいぶ前とはいえ、ここしばらくは両腕があったから、とっさの動作には未だに慣れない。


 何とか左腕だけで起き上がった時には、初め遠かった足音は、すぐ近くまで来ている。とはいえ、この空き地に隠れる場所はない。

 どうしよう。

 少し考えても一向に改善策は見当たらず、足音は近づいて来る。苦し紛れに隅によって身体を縮める。当然、そんなもので隠れられるわけはない。

 それでも、足音の主が通り過ぎるだけなら、やり過ごせるかもしれない。

 そう思ったものの、その人はこの場所にこそ用があるらしかった。


 視線を感じた。

 距離のある場所で足音が止み、しばらく沈黙が落ちる。でも私が動かずにいると、そのうち興味は失せたようで、再び足音が響く。よく居る浮浪者の一人と思ってくれたのかもしれない。

 身じろぎさえするのを躊躇い、息を詰めて去るのを待つ。


 深く被ったフードの下からちらりと見たその人は、何かを探して居るようだった。

 警戒はしているのか、こちらに完全に背を向けている訳では無いので、私が動けば直ぐに気付かれるだろう。

 ふと、背格好に既視感を覚えた気がして、目を凝らす。よくよく見ると、その顔は数日前に見た、知っているものだった。


「あ、の」


 声をかけると、彼の視線がこちらへ向く。

 初めは怪訝そうな目をしていた。それが私と合った途端、明確な敵意に歪む。


 服から覗く飴色の肌と、金色の瞳が印象的だった。

 眼光の鋭い三白眼にばかり目がいくが、乱れて少し黒髪のかかった左の目元には、よく見ると小さな泣きぼくろが乗っている。


「なんでいんだよ」


 棘のある声が開口一番に掛けられる。あの時アルテと一緒に居た、アルテの知り合い。そこまで考えて、一向に出てこない名前に気づく。

 私、この人の名前知らない。

 どの道嫌われているだろうから、呼ぶことは出来ないけど。


吸血鬼(ヴァンパイア)には昼夜関係ねぇのか。噂もあてになんねぇな、他も試してやろうか。心臓に杭でも打ち込むか? ないからナイフでもぶっ刺してやろうか」


 言った後には、いつの間にかその手にはナイフがあった。


「お前にやるもんはなんもねぇよ。さっさと消えろ。じゃなきゃ消すぞ」


 私に切っ先を向けながら、彼は剣呑に吐き捨てる。

 正面から向けられた剥き出しの敵意に、とっさに反応できず固まる。


「う、……えと、違、そうじゃなくて、」


 間違えたかな。声はかけないほうが良かったのかもしれない。

 じわじわと後悔が湧いてくる。こちらへの拒絶は明らかで、弁明も謝罪も的外れな気がした。きっと、大人しく立ち去る方が賢明だろう。

 それに、この場所も。弾痕と血痕の残る空き地に、偶然訪れた訳でもないだろう。何か関わりがあるのかもしれない。

 でも、それにしては違和感がある気もする。


「あの、ここ、あなたが?」


 少し迷ってから尋ねると、彼は一瞬眉を寄せた。ずれた視線が地面の有様に辿り着き、ああ、と納得したような声が上がる。

 間を置いて、彼は皮肉げに口の端をあげた。


「そうだっつったら?」

「銃、持ってるんですか?」


 持ってるなら、なんでナイフを脅しに使ってるんだろう。

 思いながらその手元を凝視すると、それに気付いた彼は小さく舌を打つ。


「…………持ってねぇよ」


 その言葉に首を傾げる。ということは、今のは嘘だろうか。

 少なくとも主犯ではないだろう。

 その事に安堵すると同時に、どうして声をかけたのかを思い出す。迷っていたから、道を聞きたかったんだった。


「あの。ここ、どこですか」

「なんでお前に教える義理が」

「困ってます」

「勝手に困ってろよ。それか他当たれ、適任いんだろ」

「でも、アルテが」


 言いかけてどこから説明するか迷い、言葉に詰まる。不自然に切った言葉を訝しんだのか、彼はふと気づいたように周囲を見渡し、そういや居ねぇな、と呟いた。


「ってこた、今お前一人か」

「はい」

「で? 血を求めてふらふらと、こんな場所まで来たと」

「違、」


 言いかけるも途中で説得力がないことに気がついた。実際この間はそうだった。あれから何日経っただろう。四日か五日?

 また来たと思われても仕方ないのかもしれない。血の残り香もあるし。


 未だ睨まれたままだし、このままだと堂々巡りになりそう。というより、見捨てられる方が先か。

 そう気づいた瞬間、引き止めるように、思ったよりも大きい声が出ていた。


「あの、 市場ってどこに行けばありますか!」

「あ? 市?」


 勢い込んで尋ねると、彼は一瞬目を丸くした。脈絡がなかったせいかもしれない。眼光が少し緩んだその隙に、畳み掛ける。


「アルテが今診療所に居るんですけど、熱出たまま治らないので、何か買っていけたらと!」

「熱だ?」


 おうむ返しをしてから、つーかまだあそこに居んのかよ、と小さく呟くのが聞こえた。その言葉に少し引っ掛かりを覚える。

 アルテを運んだのはこの人で、直ぐに居なくなったとはいえ、怪我の状態も血が足りてないのも知っているはずなのだけど。

 なんだか、アルテが抜け出したがるのを知っているように聞こえる。


「はい。あんまり寝られてないみたいで、悪化して」

「……ほんっとにめんどくせぇな、あいつ」


 苦々しげに言いながら、彼はため息をついた。


「ほっとけ、いつもの事だ。あいつはたまに熱出すと大抵拗らす」

「……いつも?」

「人が居ると寝ねぇし、居ねぇとまともに飯食わねぇからな……クソめんどくせぇ。飯食ってんならそのうち治る。そうそう構ってられっか。俺は世話係じゃねぇんだよ」

「あの、でもご飯、食べてないです」


 言うと、彼は怪訝そうに眉根を寄せる。


「まだ診療所居んだろ?」

「居るんですけど、食べてないです。あと、薬も飲んでくれなくて」

「はぁ? んなわけ、」


 不意に、彼はそこで口を噤んだ。

 見ると、何かを考えるように視線が下にいっている。


「ひとつ聞く」

「はい」

「診療所に、女は居たか」

「……私?」

「ふざけんな、お前以外だ」


 女。

 思い返してみるも、あそこで医者以外には会わなかった。言わずもがな医者は男だ。


「いなかっ、た?」

「あんのヤブ医者……!」


 恐る恐る言った途端、目が据わった。


「~~~~あークソッ! 揃いも揃ってめんどくせぇな畜生、自分のケツぐらい自分で拭きやがれ阿呆共が!」


 隠しきれない怒りを湛えて吼える様に、肩が跳ねる。驚いた。

 反応が追いつかずぼんやりとその様子を見ていると、不意に矛先が私に向いた。


「だいったいお前もお前だ何日経ったと思ってやがる! さっさと気づけよつーかあいつこそ気づけよ、鈍感も大概にしろ何仲良く自分の首絞めてんだ馬鹿か!」

「え、と」

「マジで付き合いきれねぇ。なんだあいつほんっと、学習しやがれクソが!」

「……ごめんなさい?」


 勢いに押されて思わず謝る。けど、これ、誰に怒ってるんだろう。


「今まで気づかないとか有り得ねぇ。自分の飯食う時くらいに気づけよ、節穴」

「私も食べてないです」

「…………は!?」


 何気なく返すと、予想外に驚かれた。その反応に逆に驚く。

 この人、意外と感情豊かなのだろうか。場違いに思う。思ったより無関心ではない。


「なんで食わねぇんだよ」

「忘れてました」

「……腹すかねぇのか」

「空いてるみたいで、困ってます」


 正直空腹感は一周してほとんど気にならないが、あまり頭が働かないのは実感している。


「最後に食ったのは?」


 聞かれて目を瞬かせる。気にしてなかった。

 思い返せば古城で何かを食べた記憶はない。ということは、最後に食べたのはここに来る前ということだ。それはつまり。


「数ヶ月前?」

「法螺なら切るぞ」

「ほら? …………あ、嘘じゃないです」

「ざけんなだったらその間どうやって生きて、」

「魔法?」


 薄々思っていたことを口に乗せる。

 それ以外に考えつかない。だから言ってみたのだが、変なものを見たとでも言うような表情で絶句された。


「あの?」

「……信っじらんねぇなんだお前、常識ねぇで済む範囲じゃねぇぞ。頭ん中お花畑かよ」

「頭に花は咲かないんじゃ?」

「もういい喋んな頭が痛くなる」


 言われて口をつぐむ。そんなにおかしなことを言っただろうか。

 ……あ、比喩だ。

 数秒遅れてから気がつく。やっぱり頭が回ってない。


 彼は難しい顔をして押し黙っていた。それを言われたまま口を挟まず、じっと見る。

 しばらくして深いため息をついた彼の顔には、疲労感や煩わしさや、色々なものがない交ぜになっているような印象を受けた。


「……分かった。着いて来い。案内する」


 不本意そうに発せられたその言葉に、首を傾げる。どんな心境の変化だろう。

 初めあった敵意は、綺麗にとは行かないまでも、ある程度消えていた。代わりに、なんとも言えない視線を向けられている。上手く当てはまる言葉が思い浮かばない。

 とりあえずなんだか、凄く微妙そうな顔をされているのは分かる。


「はい」


 よく分からないけど、彼の気が変わる前に大人しく着いていこう。





 空き地を出る前に、今いる場所を思い出す。

 結局、ここはなんなのだろう。

 迷ったものの、どの道言いたくないなら言わないだろうと、聞くだけ聞いてみることにした。


「あの、ここは?」


 彼は一瞬背後を見ると、極めて投げやりに言い放った。


「俺が知るか。殺し合いでもしたんだろ」


 全然答えにはなっていないけれど、なんだか本当に、他人事のようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ