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我が愛しの化け物へ  作者: 砂原樹
【第一部】 魔女と奴隷
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我が愛しの化け物へ

 真っ暗な空間にいた。

 見渡す限りの闇が、どこまでも続いている。

 音はない。

 見下ろせば自分の身体だけが、淡く光っている。


 夢なのだと思った。

 最後に眠りに落ちたのを、ぼんやりと覚えている。


「魔法って、なんだと思う?」


 不意に、後ろから声がした。

 振り向くと、何も無い宙空に腰掛けるように、真っ赤な人が座っていた。

 足を組み、何も無い場所に頬杖を着いて、目を眇めてこちらを見る。


「魔女っていっても、何もかもできるわけじゃないのよ。個人の素質によって、出来ることは決まっているの」


 白くたおやかな腕が上げられ、立てた指先が私を捉える。


「あなたの呪いは消せない、消えない。私が死ぬまで、ずっとそのまま」


 ねぇ、ブルネット。私を呼んだその口が、緩く弧を描いていく。


「私を殺したい?」


 愉悦を含んで細まった瞳が、強い光を湛えている。

 声をあげようと口を開く。でも、その口からは何も出なかった。声帯が震えない。喉の奥に力を込めても、何も。

 喉を抑えて、目を伏せる。代わりに小さく首を振る。


「……つまらないのね」


 彼女は笑みを引っ込めると、退屈そうにそっぽを向いた。


 かつてその横顔に、私は恐怖以外の感情を抱けなかった。

 炎に巻かれた古城で出会った、残忍と名高い畏怖の象徴。

 生も死も投げ捨てて、何も無かった私の心を一番初めに動かしたのは、彼女への恐れだった。


 ずっと、聞きたかったことがある。

 あの日、あの炎のただ中で、私を生かしたその意図を。

 喉を抑えながら、もう一度声を出そうと試みる。でも何度やっても無駄だった。喉からは息が漏れ出るばかりで、意味のある音は出てこない。

 いや、関係ないか。この人は、心だって読めるのだから。


 魔女様。心の中で呼びかける。

 あなたはそんなに恐ろしいことを言うくせに、どうして私を救ってくれたの。


「どうだと思うの?」


 私の心を拾い上げた彼女は、目線だけで流し見る。

 言葉に詰まる。

 何度考えてみても、私にはその答えを出せなかったから。

 未だによく分からない。彼女の行動も、その理由も。彼女があの時否定をした同情くらいしか、私の発想では出てこない。

 そう思った直後、彼女は淡々と否定の言葉を紡いだ。


「違うわ。同情なんてしていない。だって、そういった類の感情を、私はそもそも持っていないの。献身も慈愛も、同情も憐憫も、何も」


 人は魔女に堕ちる際に、代償に感情を支払う。

 いつか聞いた言葉が、頭をよぎる。


「私は、憎み壊すことしか知らないの。だから、私はあなたを救ってなんかいない。私に救えるわけがない。──いったい、何を勘違いしているのかしら」


 空いていたはずの距離は、気づけばすぐ傍まで詰まっていた。

 伸びてきた指が私の(おとがい)を掬い、そのまま顔を上向かされる。


「私があなたにあげたのは、呪いなのよ?」


 口元に笑みを湛えた彼女の瞳の奥は、どこか悲しげで、ちぐはぐな印象を受けた。


 無意識に動いた左手が、彼女の手にそっと添う。彼女の表情は変わらなかったものの、掌の表面から、僅かに強ばる気配が伝った。


「……興が削がれたわ。だからもう、あなたはいらない」


 不意に表情が削げ落ちて、彼女は振り払うように私を放った。

 予想外の動作に一瞬バランスを崩したその間に、私に背を向けて吐き捨てる。


「早くどこかへ行って。もう顔も見たくないわ」


 遠ざかろうとする彼女の服の端に、反射的に縋り付く。

 横目で向けられた視線の冷たさに、身体が強ばる。


「──私、は」


 声が、出た。


「あなたが、怖くて」


 カラカラに乾いた口内を潤すように、唾を飲み下す。


「一度は殺されかけて。そのまま死ぬのかと思ったら生かされて。放心している間に呪われるし、そのくせあなたは直ぐにどこかに行ってしまうし、何を考えているのか分からなかった。心の奥底まで見透かされているようなその目が、言葉が、ずっと怖くてたまらなかったんです。……だけど」


 彼女が居なかったら、彼女に出会わなかったら、私はとっくに死んでいた。

 あの古城へ行かなければ、私は今頃蝋で固められていただろう。

 抜け出すことすら諦めた状況から、私を生かしてくれたのは彼女だった。

 選択を迫ることで、意志を投げ出した『作品』から、『私』を引きずり出したのは彼女だった。


「いくらあなたが否定をしても、それでもあの日、私は、あなたに。魔女様に確かに救われたんです」


 初めから恐怖は感じていても、憎んだことはなかった。感情に乏しい状態でも、わかっていたのだ。

 今の私がいるのは、紛れもなく、彼女のおかげなのだと。


「ありがとうございました」


 ずっと、ずっと言いたかった。


「あなたに会えて、本当に良かった」


 顔を上げて微笑むと、彼女は僅かに目を見張った。

 少し皺のよった服を離して、深く頭を下げる。

 彼女は黙ったまま背を向けて、それ以上の言葉を発しなかった。





 もっと早く、気づけば良かった。

 出会ったあの日以降、危害を加えられたことは無い。古城内は常に暖かかった。無気力に茫洋と過ごしていても、病気にかかることも無く、脅威に晒されることも無かった。

 あの古城は、揺りかごに似ていた。

 私はいつでも守られていた。


 もしかしたら、姿を表さなかったのも、怯える私を慮ったがためなのかもしれない。

 そう考えるのは、さすがに都合がよすぎるだろうか。


 何も無い暗闇の中、歩を進めていると、暗闇ばかりだった空間の一点に、不意に小さな白が浮び出る。

 初め小指の先程の大きさだったそれはどんどん大きくなって、人の通れる程の白が、すぐ目の前に現れた。


 黒の世界は彼女の空間。

 私に干渉する術はない。

 それが終わるということは、彼女が出口を用意したということ。それを彼女が望んだということ。


 ……だからもう、ここでお別れ。


 踏み出すことを躊躇った足が、束の間止まる。

 視線を落として、足元の黒と白の境界を、意味もなく眺める。




 ふわり、と何かが香った気がした。

 直後、後ろから手が伸びてくる。

 肩の上から回された手が胸の前で組まれて、柔く引き寄せられた背中に、温かな体温が伝わる。

 なんだか少し、目頭が熱くなった。

 優しい、穏やかな声が、私の上に降ってくる。


「さようなら。可愛くて愛しい、私の化け物」


 その声を聞きながら、彼女の手に左手を重ねる。唇を引き結び、その温度を感じて、目を閉じた。

 さようなら。不器用で優しい、私の魔女様。


「あなたの未来に(のろ)いあれ」


 あの日、私を生かした古城の魔女は、そっと髪に口付けた。

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