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我が愛しの化け物へ  作者: 砂原樹
【第一部】 魔女と奴隷
31/41

◆泣きっ面に宣誓

 扉の縁に左手を添えて、壁に隠れるように顔だけを覗かせたティアは、一向に入ってくる様子を見せない。ただ不安と安堵が混ざったような揺れる瞳で、こちらの様子を伺っている。


 無言で流れる微妙な空気にため息をつくと、見えている方の左肩がぴくりと揺れた。


「ヤブ、ちょっと部屋借りる」

「ハイハイどーぞご自由に」

「…………出てけっつってんだけど」


 返事だけして動こうとしないヤブをジト目で睨む。ヤブは緩慢な動作で寄りかかった扉から身体を起こすと、ひらひらと手を振った。

 死んだ目がふと俺を素通りし、横にある窓を流し見て、一言。


「逃げんなよ」


 それだけ言うと、ヤブはあっさり踵を返した。

 廊下の先に消えた背中に、なんとも言えない気分になる。

 ばれてるし。


「いつまでそこに突っ立ってんの」


 微妙な気持ちを引き摺りつつ、未だ動こうとしないティアに声をかける。

 促してもティアは、気まずげに視線を床に這わせるだけだった。


「寝てて、いいよ」

「何で」

「だって、熱」

「……聞いてたの」

「ずっと居たから」


 ずっと。

 流れからすると、俺が寝ている時からずっと居て、一部始終聞いていたということだろうか。

 だったら、手のことも聞かれてるか。

 ティアに視線を固定したまま、右手をさりげなく後ろ手に回す。今ほじくり返されても、話が進まない。


「熱だけ。別に頭痛も吐き気もない。ちょっと身体怠いけど、他はなんともない」

「でも」

「いいから来いって。ドア閉めて。寒い」


 先程自分で窓を開けたことを横に置いてしれっと言うと、ティアは素直に部屋に入って扉を閉めた。

 だけどまだ葛藤があるようで、その場に留まったまま、背を扉に貼り付けている。


「私が居ると、ゆっくり休めないでしょう?」

「じゃあなんで来たわけ」

「……不安、だったから」

「不安?」

「ずっと、あの時のアルテの顔色が、頭から離れなくて。声は聞こえたけど、顔、見るまでずっと不安で」


 途切れ途切れに話すティアは、ぎゅっと眉を寄せて顔を上げた。


「死んでなくて、良かった」


 泣き出しそうなその目に、言葉が詰まる。

 何となく気まずくて、視線を逃がす。


「大袈裟」

「だって全然起きないから」

「まだ昼間だろ」

「……二日くらい、ずっと寝てたよ」


 思ってもいなかった言葉に、少し思考が止まった。

 どうりで。

 古城にいた間、慢性的にあった眠気がさっぱり消えてる。珍しく昼まで寝たからかと思っていたが、二日も寝てたんなら当然か。

 熱のせいか、だるさはむしろ強いけど。でもたぶん熱と言っても、体感的には微熱程度だ。


 やべ。

 不意に、頭から血が引いていくのを感じた。ずっと立ちっぱなしだったせいか。

 足元の浮遊感と、じわじわ迫る胃の不快感に耐えかねて、一人ベッドに腰掛ける。横になりたくなるのを堪えて、ひたすらに息を整えた。

 視界が暗い。目が回る。


「アルテ」


 傍で聞こえた声に、目を合わせることなく答える。


「へいき」

「無理しないで」

「してねぇ、っつの」

「だめ、休んで。お願い」

「なんでティアの方が必死なわけ」


 言うほど大したことはない。貧血は食えない時に時々なるから、慣れてる。なのに俺よりよっぽど大丈夫じゃなさそうな声をして。

 内実伴わない奇妙さに、場違いに笑う。


「いつの間にか、敬語取れてるね」

「……ごめんなさい」

「別にいいよ、そのままで。今更戻されんのも変な感じだし」

「身体も、ごめんなさい。熱も、傷も、手も、……全部私のせいだ」

「でも死んでないだろ?」

「結果論じゃない」

「あの時ティアは、声掛けたらちゃんとやめたよ」


 狂気に侵されたままでも俺の声は届いて、その上躊躇う素振りを見せた。


「ティアに俺は殺せない」


 顔を上げると、暗い顔をしたティアが、目の前で口を引き結んでいた。

 そんなに思い詰めなくてもいいのに。そうは思うものの、言ったところで聞くかどうか。


 仕方ないか。

 体調は幾分か治まってきた。とりあえず、聞いておかなければならないことだけ、はっきりさせておこう。


「そもそもティアは吸血鬼なの? 血、飲まないと死ぬ?」


 問うと、ティアの身体は目に見えて強ばった。

 開いては閉じてを繰り返すその口元を、ただ黙って見つめる。答えて欲しいとは思うが、別段促す気もない。そうしてしばらく待っていると、ティアはやがて意を決したように口を開いた。


「種族で言うなら、多分、人間のまま。これは、後天性の呪いだから」

「呪い?」

「うん。血は、呪いの中和薬。飲まないと気が狂う。死にはしないと思う」

「じゃあ食事って訳じゃないんだ」

「うん」

「一度にどのくらいの血が必要?」

「……分からない、詳しくは言われてないの。ただ、一定量飲めば全部元通りになるからって」

「元通り?」

「全部。腕も、目も、顔も、背も、元の状態になるって」

「あー、なるほど」


 地味に疑問に思ってたけど、そういう事ね。


 今のティアは、所謂『元通り』にはなっていない。

 だからあの時の血の量は、ティアの言う一定量には届いていないんだろう。でも今のところ受け答えは問題なくできているし、あの夜のような狂気の片鱗は見えない。


「で、いつもは? どのくらい飲んでるの?」

「……加減、出来なくて。気づいたら息絶えてるから。大人なら一人分くらい、かな。子供だと足りなくて、二人」

「それでどのくらいもつの?」

「多少前後するけど、だいたい十六日位までは正気。そこから渇きが酷くなって、三日目位からは曖昧。たぶん四日……五日? くらいで何も分からなくなる」

「今は?」

「今……?」

「理性とんだ状態から一人分未満の血しか飲んでないだろ。その上二日経ってるわけだけど。今正気?」


 結局、一番聞きたいのはそこだ。

 見たところまだ兆候はないが、こればかりは外から観察した程度じゃ分からない。

 また隠されて、気づかないうちにぽっと正気失われる方が困る。


 左手を右手首に伸ばして、包帯を固定していたテープを爪で剥がす。そのまま端から包帯を解いていくと、困惑の声が聞こえた。


「なに、」


 腕と手の負傷箇所でそれぞれ包帯は分けられていたらしい。腕はそのまま、手の包帯だけが綺麗に取れた。

 掌に張り付き、血でぐっしょりと濡れたガーゼを剥がせば、縫い跡のある傷口の周辺は、血で薄く赤みがかっている。先程逃げようとして包帯まで血が滲んだが、傷自体はそんなに開いてはいないようだった。糸に絡むように薄く赤い線が伸びているものの、それ以上湧き上がっては来ない。

 左手の人差し指と親指で血まみれのガーゼをつまみ上げたまま、顔を上げる。

 青い顔をして傷口を凝視するティアに、首を傾げた。


「とびそう?」


 こくり、と小さく喉を鳴らすその様子を眺める。時々目に熱がちらついているような気がする。


「……だいじょうぶ」

「ほんとに?」

「うん」


 まぁ、これだけ理性保ててれば平気か。そうは思いつつも、手元の傷口を見てると少しもったいない気がしてくる。


「血、あげようか」

「え」

「傷周りに滲んでんのだけな。多分すぐ止まると思うけど」


 こんなところで二度もぶっ倒れたくはないから、流石に多くはやれない。次こそは倒れてる間に臓器抜かれる気がする。


「い、い。いらない」

「そう? まぁ、気休めの域を出ないか」


 このくらいじゃどの道足しにはならなそうだし。


 血まみれのガーゼを近くにあったごみ箱に放る。包帯を巻き治そうとして、換えのガーゼがないことに気づいた。貰っとけば良かった。というか、あっても左手だけで巻き直すのは無理がある。

 数秒悩むも、とりあえずはさっき開いた傷を止血出来ていればいいかという理由で、包帯をそのまま乱雑に巻き付けるに留める。


「……他はいいの?」


 不意に、呟くようにティアが言う。

 見上げると、緊張したような面持ちと目が合った。


「何が」

「他には聞かないの? どうしてこうなったのとか、この、身体とか」


 奇妙に掠れた声が、問いを促す。

 自分から言い出しておいて、とても質問を待っているようには見えなかった。

 眉を下げて瞳に怯えを見え隠れさせるその表情を、ティアは自覚しているのだろうか。


「言いたいの?」

「聞きたいなら、言う」

「聞きたいけど、言いたくないなら別にいい」

「……それがわからないから、困るの」

「じゃあ分かるまでは言わなくていい」


 途方に暮れたような顔をするからそう返すと、不思議そうに瞬かれた。


「後になって悔やんでも、一回言ったら取り消せない。誰しも知られたくないことの一つ二つあるだろ。ティアが自分の気持ち全部分かって、それでも言ってもいいと思ったら、その時に聞かせて」

「その時……?」


 囁くような声だった。

 数秒噛み締めるように間を置いて、やがてティアは顔を歪ませる。


「私は、まだ一緒に居ていいの?」


 戦慄く唇を抑えるように噛み締めて、力のない手で口元を覆って、途切れ途切れの呼吸を、苦しげに吐き出す。

 どうしてアルテは責めないの、と、抑えた手の隙間から、弱々しい声が零れてくる。

 遮られていない瞳に涙はなかったものの、その寸前であることは明らかだった。


「私が、……全部私の、せいなのに。私が悪いのに。ずっと何も言わずに隠して、隠しきれずに失敗して。あまつさえ傷つけて、殺しかけたのに。どうして怒らないの。どうして見捨てないの。どうして私を生かしたの。何一つ、得になんてならないのに」


 僅かに空いていた一人分の距離が詰められて、ベッドに腰掛けた俺の足元に、ティアが跪く。

 上から見下ろした不安定な青色には、怯えよりもむしろ、悔恨と罪悪感が多分に溢れていた。


「手も、手だって、使えなくなったんでしょう。……気なんて、遣わなくていいよ。好きにしていい。全部暴き立てていい。何をしたって構わない。ねぇ、私はどうしたらいい? どうすれば償える?」


 震える声で詰め寄る口元に手を伸ばす。立てた人差し指をその唇に押し付けて、口を閉じるよう合図を送る。


「別に何も求めてないよ」


 一瞬ビクリと肩を揺らしたティアは、当惑を抱えたまま、目を伏せて押し黙った。


「……最初はさ、どうでも良かったんだ」


 始まりを思い描きながら、少しだけ目を閉じる。

 この関係が始まった時には、バラす気なんてさらさらなかった。

 でも、このまま何も言わないでいるのは、あまりにも卑怯だ。


「俺は本来、ただの盗人なんだよ。一番最初にあの城に行ったのはただの偶然だったけど、その後君と友達になりたいなんて言ったのは、真っ赤な嘘だった。本気じゃなかった。いつか城の中の宝でも盗もうって思ってた。その足がかりに過ぎないはずで、君自体には、それ程興味はなかった。……それなのに、なんなんだろうね」


 見下ろした先の顔には不安と困惑が渦巻いていて、以前見慣れていた無表情は、とっくに取り払われている。

 いつからかなんて、はっきりとはわからない。それでも、確かに。


「今じゃ、そんなのどうでもいいって思うくらいには……割と絆されてんだよ」


 正気を引き戻すのに、命をかけてやろうと思うくらいには。

 利き手ひとつ駄目にしても、しょうがないと流せてしまう程度には。


「どうしてなんて知るか。俺だっていつでも逃げることは出来た。正直、一度は見捨てようともした。なのに見捨てられなかったんだから、仕方ない。全部がティアのせいってわけでもないよ。この傷の半分は俺の選択の結果だ。後悔がないといえば嘘になる。でも、どうせ何度やり直せても結果は変わらない」


 きっと、何度後悔して悩んだところで、俺はティアを見捨てられはしないのだ。

 あの時あの瞬間、死ぬか生きるかの極限状況に身を置いて、尚も切り捨てられなかったのだから。


「だからもう、ティアのしたこと全部ひっくるめて許容してやるよ」


 指先を口の端に滑らせて、戯れに口角を押し上げると、目に湛えた涙を静かに落として、ティアは泣いた。

 頬を伝った雫が俺の指先にかかるのを感じながら、ふっと、薄く笑う。


「泣き虫」


 抑え込んだ小さな嗚咽が、閉め切られた部屋の中に響いている。

 目元を指先で掬っても、涙は止まることなく、その眦を赤く染めた。


「魔女のとこから盗んでやるよ」


 小さく言うと、泣き濡れた赤い顔は茫洋とした視線を彷徨わせて、数度瞬きを繰り返した。

 零す嗚咽の合間から、不安げに疑問を口にする。


「なに、を?」

「ティアを。あの城から盗み出してやる」


 馬鹿なことを言っている自覚はある。

 熱のせいで頭がおかしくなってるのかもしれない。


「強要はしない。でも、手は伸ばしとく。取るも取らないもティア次第だ。君が好きなように選んで」


 全部熱のせいだとしても、これが本心なら、手放す方が馬鹿らしい。


「どうする?」

「わか、んな」

「できるだろ?」


 瞳を揺らして言葉に詰まるティアに、選択を促す。


「全て捨てても生を選んだ。傷つけるのが怖くて死のうとした。もう誰に何も強制されなくても、自分でものを考えてる。ティアは今なら、自分で泣けるし、笑えるだろ。……お人形は卒業だ。今の君にはちゃんと意思がある」

「でも、私」


 嗚咽に言葉を詰まらせたティアは、深呼吸をして、必死に息を整える。


「私は、化け物だから。そんな資格、ない。人の血を飲むの、やめられないし。また、傷つけるかもしれないし。一人じゃ、何も出来ないし。……魔女様が、許さないかも、しれないし」

「どうでもいいよ」

「でも」

「俺が良いっつってんだからいいの。しがらみは一旦全部忘れて。どうしたらいいかじゃない。──どうしたい? ティア」


 問いかけると、ぼんやりとしたまま俯いて、ティアは黙り込んだ。

 長い熟考の末、やがて消え入りそうな声で、小さく呟く。


「…………一緒に、いたい」


 言ったそばから躊躇するように口を結んで、しばし床に視線を彷徨わせる。

 伺うように見上げてくる目には、不安の色が濃い。


「いても、いいの?」

「いいよ」


 目の前の頭に手を置いて緩く撫でると、ティアはその下で小さく身体を震わせた。






 落ち着くのには少しだけ時間がかかった。

 抑えていた嗚咽が止み、流れていた涙を出し尽くすと、ティアは少しだけ恥じ入るように俯いて、ごめんなさいと呟いた。

 それは始めに聞いたのと同じ言葉だったけど、意味合いはだいぶ変わっているようだった。

 表情から悔恨の色が消えたとは言えない。でも、幾分すっきりとしているのは確かだ。


 少し落ち着きなく視線を彷徨わせて、迷った様子を見せたティアは、間を置いて顔を上げると、緊張した面持ちで告げた。


「あの、ね。ずっと、ずっと昔はね、」

「うん」

「私の名前は、イヴだったの」


 唐突な告白が予想外で、思わず目を瞬かせる。

 イヴ。

 言われてみれば、その名前は彼女に馴染んでいるようにも聞こえたけど、一瞬置いてやってきたのはやはり違和感だった。

 昔については別に言わなくてもいいと言ったのに、どういう心境の変化だろう。あんなに怯えていたくせに。


「とっくに捨てられて、もう死んだ名前なの。ずっとどこかで未練があった。あの名前の時が、私が私のまま自我を保っていられた時間だったから。唯一、『私』を表す呼称だったから。だから、死んだとわかってるのに捨てきれなくて、ずっと、砕いて隠し持ってた」

「そっちで呼んだ方がいいの?」


 思い至って首を傾げると、目が合ったティアは小さく首を振る。


「ううん、もういいの。……捨てて、いいんだ。やっと、本当にそう思えた」


 穏やかに、噛み締めるように繰り返す。


「イヴはもういい。ティアでいい。ティアがいい。その場しのぎの記号じゃない。あなたはちゃんと、名前に願いを込めてくれた。その通りにしてくれた」


 言いながら下手くそに口の端を釣り上げて、ティアは淡く微笑んだ。その笑みに、瞠目する。

 火傷で変色した顔の半分は、最初に見慣れていたものでは無い。瞼は泣いたせいで腫れていて、頬には涙のあとが残っている。

 ぐちゃぐちゃで酷い顔なのに、少しだけ、その笑顔に見惚れた。


「ティアリアナは、幸運の女神なんでしょう?」


 酷くまっすぐで、綺麗な笑みだった。


「…………手、貸して」

「手……?」


 首を傾げながら、怖々と伸ばされた手を、下から掬い上げる。

 上体を倒して(こうべ)を垂れ、その甲に自分の額を押し当てた。

 この行為の本当の意味なんて知らない。俺にとっては遠い昔に一度だけされた、唯一知ってる、ただのおまじないだ。

 今まで、思い出そうともしなかった。

 だけどなんだか、無性にそうしたいと思った。


 ひんやりとした体温が、額の熱に染みていく。

 目を閉じる。ありったけの願いを込めて、小さく呟いた。


「君の行く先に幸福が訪れますように」

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