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「全く、見つかったなら見つかったでその日のうちに来いってんだ。いや、見つからなくたっていいからとっとと来やがれ糞ガキが。何が忘れてただ! こっちはお前が本当に魔女に食われたんじゃないかと冷や冷やしてたんだぞ!」
ふと用事を思い出して馴染みの店に入ると、店主のおやじは俺を見て何も言わずに殴りかかってきた。
そこから延々と説教が続いている。
殴られた頭が痛い。いや、殴るか普通。
「悪かったって。殴ることないだろ。仕事はちゃんとしてきたんだ。感謝されこそすれ罵倒される筋合いはないんだけど」
「心配かけんなっつってんだよ糞ガキ! お前を行かせてから俺がどんだけ後悔したと思ってる!」
「あんたそんなに情に厚かったの? 悪い、もっと薄情だと思ってた」
「謝る場所が的外れだ馬鹿か! 俺だって顔見知りが死んだら痛む心ぐらいあるわ! お前俺をなんだと思ってるんだよ!」
「がめつい小悪党」
「ぶち殺すぞ」
「言ってることめちゃくちゃだぞおっさん」
殺気立つ気配を感じて、すんででため息を堪えた。
これ以上おやじの怒号を聞いていたくない。
さっさと用事を済ませてしまおうと、ベルトに通していたポーチから目当てのものを取り出す。
「ほら、これ」
金属の鎖を掴んで店主の目の前に突き出すと、途端に怒号はぴたりと止んだ。
慎重な手つきで受け取り掌中を検分する様子に、今度こそため息を漏らす。
それはネックレスチェーンが通された指輪だった。
装飾の類はないシンプルな作りで、リングの内側に小さくSの文字が刻まれている。
「……悪いな」
「ん」
「この手はなんだ」
「報酬は?」
「ちっ、ほらよ」
「もっと無いの? こっちは危険を覚悟で取りに行ってやったんだけど。あんたの頼みだから? 仕方なく?」
「…………持ってけ」
「まいど」
手に乗せられた硬貨は少なくない額だ。自然と頬が緩む。これで数日は持つだろう。
丁寧にポーチの中へ硬貨をしまい込み、一枚だけ手の中に残す。
顔を上げると店主のおやじがやけに神妙な顔つきをしていた。
「どこで見つけた?」
「森の中ほど。道から少し外れた所に荷馬車が横転してた。あ、ついでにいくつか金目のものかっぱらってきたから、後で買取って」
「お前、相っ変わらず手癖悪いな」
「それほどでも」
「褒めてねぇからな」
「知ってる」
手の中の硬貨を指で摘んで、店内の照明で透かし見る。そこに刻まれているのは女性の肖像。それが誰なのかは分からないけど。
「死体はなかったよ」
視線を感じた。ちらと目線をおやじに投げると、いつもより青い顔が目を見開いている。
「置き去りだったのは荷馬車だけ。馬も人も居なかったし、血の跡も特になかった。馬車だけ放って逃げたんじゃない? 無事だと思うよ」
「…………そうか」
どこかほっとしたような顔をしたおやじから視線を逸らし、手の中の硬貨を弄ぶ。
詳しいことを聞いたわけじゃない。俺はただ依頼されただけだ。指輪を探してきてくれと。
このおやじは金目のものが大好きな守銭奴だ。正規品、盗品問わず取引に応じる盗品商でもある。
高価なものが大好きなおやじが、金を払ってまで、ただの価値のなさそうな指輪を欲しがるわけはない。しかも魔女の噂のある森を認識してなお、それを諦めないのも不自然だ。
きっと、おやじにとっては大切な指輪なのだろう。
荷馬車の御者も知り合いだったのかもしれない。
俺のことですら心配するような、割と情の厚い人柄のようだし。
「俺が言うことじゃないが、お前もうあの森に近づくなよ。あそこは危険だ。あそこに魔女がいるってのはただの噂じゃない。実際あの森でもう何人も行方不明になってる。だいたいが余所者だからほとんど話は広まってないけどな」
「居なかったよ、魔女」
「たまたま会わなかっただけだろ」
「例の城にも行ったけど、居なかった」
「……はあぁぁぁ!?」
「女の子はいたけど、魔女は居なかった」
「いや、そいつが魔女だろ! は? お前何やってんだ馬鹿か? 馬鹿だろおい!」
「大丈夫だって。ほら、俺べつに食われてないし」
「そういう問題じゃねぇだろ!」
「それになんかあの城にはお宝の匂いがするし。大丈夫大丈夫。女の子とは友達になって来たから」
「身の程を知れ糞ガキが! お前みたいなこそ泥、ばれたら生きたまま焼かれて食われちまうぞ!」
「そんなヘマしないよ」
物事にリスクは付き物だ。でも俺は賭博師じゃないし、勝算が高くなければ勝負には出ない。
古城にいた黒髪の少女を思い出す。
あの子は魔女は居ないと言っていた。嘘がつけるような人間じゃなさそうだった。十分賭けに出てもいい勝負だ。成功すれば、しばらくは生活に余裕ができる。
初めは下心だけだった。
あの子と親しくなれば、あの城を堂々と歩き回っても不審じゃない。金目のものも探しやすくなるし、盗みのための難易度はいくらか下がる。
そう、下心だけのはずだったんだけど。
ティア。
俺がつけた少女の名前。
動くことの無い表情と、自我を捨てたような態度。
なんだか、少し。
ほんの少しだけ、放っておけないような感じがした。
「あんな森の、真偽もわからない魔女の噂なんかよりさ、この街の通り魔事件の方がよっぽど怖いだろ」
「……イースト区のやつか」
一度目を閉じて思考を散らす。目を開けて話題を変えれば、おやじは素直に話に乗ってきた。
「そう、それ」
「でも被害は今のところあの区画だけだろ? 南のここには手出しされてない。犯人も案外すぐ捕まるんじゃないか?」
「他区ならともかくイースト区だろ? 警備隊がちゃんと動いてくれてんのかも曖昧だよ。はやく解決すればいいんだけど。俺の家、南と東の境ぐらいにあるから」
「……そうか。そうだな、お前にとってはイースト区が一番住みやすいんだもんな」
「まあね」
「気をつけろよ」
言われなくても。
何をわかり切ったことを言うのかと、笑いそうになった。だけど、俺を見るおやじがあまりに神妙な顔をしているものだから、なんだか決まりが悪くなって頬を掻く。
「まぁ、俺は盗人だから。人目を忍ぶのが仕事だし、そう簡単に被害者にはならないよ」