表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
我が愛しの化け物へ  作者: 砂原樹
【第一部】 魔女と奴隷
25/41

◇とある少女の回顧録 - 瓦解

※今回残酷描写の程度が振り切っています。じわじわ進行していくので、無理と思った時点で飛ばすことをおすすめします。次話の、初めに記号(◇)が出るところから読めば飛ばしても分かるはずです。

内容は「狂気の虜囚」と「ささやかな変化」内の悪夢の掘り下げです。


※一番やばいところまでを一気に詰め込んだので、いつもよりも大分文字数が多いです。ぜひ自衛をお願いします。


※本日二話更新しています。耐えられなくなったら遠慮なく次話へどうぞ。


 意識は永く虚空を揺蕩っている。

 自ら何かを考えることは少ない。

 見えるもの、聞こえるもの全てに現実味がない。

 全てが他人事のようだ。


 それでも、対して問題は感じない。


「僕の屋敷においで」


 下ばかりを見ていた視界に、不意に誰かの手が差し込まれる。

 緩慢に顔を上げると、知らない人が、柔和な笑みを浮かべていた。


「君は今日から僕のものだ」





 ◇





 その日は何かが違っていた。

 いつも山ほど言いつけられる雑用は全て取り上げられ、ただ動かぬようにと命ぜられた。

 屋敷の空気はどこか浮き足立っているようだった。

 その意味を知ろうともせず、ただ諾々と従っていた。


 故意か過失かは不明だが、いつものようにどこかの一室に投げ込まれることはなかった。ならば、無断でどこかへ入るわけにもいかない。

 邪魔にならないようにと庭の木陰に身を潜め、見つからないように蹲って時間を潰していた。

 だから、事の経緯を、何一つ把握してはいない。




 揺れの少ない馬車に揺られて、その隅で縮こまる。

 対面に腰掛けた青年は、ずっと柔和な笑みを浮かべている。

 対照的に、隣に腰掛けた人は、眉間に皺を寄せていた。


 鈍い思考を何とか回して、耳に残る話の断片から情報を得る。

 どうやらまた、買われたらしい。

 目の前の貴族様の気まぐれで。


「何か喋ってみてくれる?」


 静かだった車内に、突然声がこだまする。

 数拍置いてから頭をあげると、目の前の新たな主人が、こちらを見ていた。


「君全然喋らないから。どの程度なのか知っておきたいんだ」


 言われた言葉の意味が、すぐには分からなかった。

 緩く瞬きをしながら、主人の口元を見る。

 どの程度。


「あ、僕の言っていること分かる? それともやっぱり死んでいるの?」


 やっぱり死んでいる。かけられたその言葉を反芻する。数秒考えても分からない答えに、内心で首を捻った。

 どういう、意味なのだろう。

 死体じゃないことくらい、見て分かるはずなのに。


「──い、え」


 かろうじて口をついた声は、酷いものだった。

 長らく出していなかったのだから、当然なのかもしれない。

 喉を抑えて俯くと、へぇ、と感心したような声が聞こえた。


「なるほど。君はまだ、完全に壊れたわけじゃないんだね」


 一人納得したように頷いて、再び笑みを浮かべる。

 一見なんの含みも見えない、柔らかい笑顔。

 ただ表情とは裏腹に、その口から出た不穏な言葉が、薄く神経を撫でていく。

 居心地の悪さに、ますます隅に身体を寄せて縮こまる。

 それ以上の会話はなかった。

 車輪が土を踏んで回る音が、断続的に響いている。

 微かに刺さった違和感は、いつまでも消えてはくれなかった。





 ◇






 この人は何がしたいのだろう。

 もう何度思ったか知れない疑問が、気づけばまた顔を出す。

 移動中であるから、何も言われないのだと思っていた。でも気の休まらない馬車の旅を終えてみれば、その先には何も無かった。


 雑事を用命される訳では無い。何かを要求される訳でもない。

 汚れているからと身体を洗われ、怪我の治療だと包帯を替えられた。そして新しい服に着替えさせられ、遅いからとベッドに放られる。

 大抵は主人の付き人の青年が行ったが、包帯だけは主人自らが替えた。

 およそ奴隷への対応とは呼べない。

 まるで労わっているかのようなその態度が、あまりにも未知で、理解ができない。

 昨日の今頃は真新しい傷の痛みに呻きながら、倉庫の隅で蹲っていた。そう思うとこの状況が心底不思議で、不気味だった。


 一体何をさせたいのだろうか。

 奴隷が欲しいなら市に行くのが普通なのに、主人はわざわざ所有されている奴隷を買った。


「君は、……ああ、そういえば名前が無いんだったよね」


 思い出したように呟くと、こちらを見て考える素振りを見せる。


「まぁ、題なんて後でもいいんだけど、呼称がないと何かと不便か」


 題。内心で繰り返して、目を伏せる。

 時々この人は、奇妙な言葉選びをする。

 その度に得体の知れない不安感が、内側を覆っていくような気がする。


「メメント・モリ、かな」

「めめ……?」

「メメント・モリ。死を想え」


 主人は一つ頷くと、満足そうに笑った。


「呼ぶには長いから、普段はメメでいいか」


 一見穏やかなその態度に、素直に安心できないのは何故なのか。


 真綿で首を閉められているような、息苦しさがある。

 絶えず違和感が付きまとっていた。何かがおかしいような気がするのに、それがなんなのか分からない。


「もうこれ以上は治らないか」


 数日経った朝、身体に巻かれた包帯を変えるその時に、主人は薄皮の張った皮膚を見て呟いた。


「顔と腹部、胸部は無傷。右上腕に十センチ大の傷痕。左腕にもあるがこちらはほとんど目立たない。右大腿に刺傷と火傷の痕。背中に無数……なるほど」


 頭からつま先まで眺めて傷跡を数えながら、何かを考え込んでいる。それを邪魔しないように、動かないように、その場に立ち尽くす。

 表皮を撫でる空気の肌寒さに、小さく震える。素足に絡む絨毯が、今は一番暖かい。


「顔の火傷も右、身体の傷も右に集中……となると、外すならやっぱり右かな」

「外す……」


 何を。ぽつりと漏れ出た疑問に、応えはない。

 包帯はもう巻かれなかった。

 素肌の上にシュミーズ(下着)を被せられて、腕を引かれる。

 行こうか、メメ。主人は今までになく上機嫌に、顔を綻ばせた。


「準備は整った。案内するよ」






 ◇






 主人が開けた扉の向こうは、たくさんの色で溢れていた。

 別世界だ、と思った。

 つかの間、心に巣食う憂いの何もかもを忘れた。


 壁際に彫刻が置かれている。

 単純に人の形をしたものもあれば、建物のようなもの、様々な形が組み合わさった、一言で説明しがたいものもある。

 隅に何枚もの板が連なって立てかけられている。一番手前のものには、極彩色の絵が描かれていた。ただ、その他にちらりと見えるものは、淡い色合いのものが多い。

 微かに漂う独特の匂いが、部屋いっぱいに満ちている。


「ようこそ、僕のアトリエへ」


 呆然と立ち尽くすその横で、主人が言った。

 その意味をゆっくり咀嚼しながら、またぐるりと室内を見渡す。アトリエ。

 ここの物は全て、この人が創ったのだろうか。

 気に入ったのかい? 主人が問う。その声につられて、傍らを見上げる。

 でもこの人は、答えなんて期待していないようだった。


「でも残念。メメに見せたいのは、この奥の方なんだ」


 主人は部屋の奥まで行くと、そこにかかっていた黒のカーテンを横に引いた。壁だと思っていたその奥には、まだ空間が広がっていた。


 薄いカーテン一枚を隔てたその向こうは、何もかもがガラリと違っていた。


 黒や赤を基調とした抽象画。色んな生物が掛け合わされたものの模型。どこか暗い、怖気の立つ雰囲気の作品。

 何よりも真っ先に目に入るのが、目の前にずらりと並んでこちらを向く、たくさんの人。無機質な瞳。

 幾対もの視線に射抜かれて、身体が固まる。


「蝋人形だよ」


 かけられた声にはっとする。


「彫刻や絵画も好きだけれどね、少し前からはこれに凝っているんだ。材質が素直で加工がしやすいから、つくっていて楽しいんだよね」


 人形。とても、精巧な。

 本物かと、思った。

 はやる心臓に手を当てて、細く息を吐き出す。

 でも、そうか、人形。なら、大丈夫。

 腕のないものも、半身が骨になっているものも、動物の体が移植されているものも、臓物が漏れているのものも、悪魔のような造形のものも、全部、作り物。

 生き物じゃない。生きてはいない。

 大丈夫。大丈夫。震えそうな身体を押し留めて、内心で言い聞かせる。


 ぎこちなく首を巡らせると、こちらを見ていた主人と、目が合った。


「ねぇメメ、君はどっちが好き? 入り口の作品と、カーテンを隔てたここと」


 僕はね。弧を描く口元から、目が離せない。


「美しいものほど、穢したくなる」


 発せられる言葉から、意識を逸らせない。


「大抵人は完璧を好み、求めようとする。事実完璧なものはどれも美しい。シンメトリー、黄金比、均衡や調和。完璧と称されるものには大抵法則がある。目指すべき普遍的な理想がある。だけど所詮はそれだけだ。何の面白味もありはしない。時には不完全なものの方が強く惹かれ、揺さぶられることもある。僕は、そういったものの方に魅入られた」


 直立する人形のひとつに指を這わせ、主人は憂うように息を吐く。


「完璧なものほど、美しいものほど、そこに一点の曇りを落としたくなるんだ。その染みは大概全てを呑み込んで駄目にする。だけど、時々予想もしなかった高みへ、全ての価値を押し上げることがある」


 瞳の奥に、仄暗い熱が点っている。


「予定調和なんて退屈だ」


 怖い。


「ドロドロに混ざりあった混沌の中に生まれる光の方が、ずっと輝いている」


 怖い。


「だけどいくら創っても、こんな小さな部屋で出来た模造品(レプリカ)じゃ、欲しいものには届かない」


 流れてきた視線に、身体が竦む。

 伸びてきた手に腕を掴まれて、喉の奥でヒュっと、息が漏れた。


「僕はね、物言わぬ作品にはもう飽きてしまったんだよ」


 頭が真っ白だ。


「いくら精巧に作っても、そこに魂を吹き込もうとしても、所詮は紛い物だ。たとえ満足のいくものが出来ても、虚像じゃ意味が無い。偽物は自分では輝けない。そうじゃないんだよ。欲しいのは本物なんだ。たとえ存在する時間が短くても、不完全でも、何よりも美しい一瞬の煌めきが、僕は欲しい」


 だから、行こうか。


 腕を引かれた。

 硬直した身体はそのまま動かず、引かれた腕だけが、前へと進む。

 呆然と見上げた視線の先で、どうしたの? と、主人が微笑む。


「おいで、メメ」


 足が、震えた。






 ◇






 暗く湿った部屋だった。

 天井に釣り上げられた照明が、中央のベッドを照らしていた。誰が入れたのか、部屋に入った時点で、既にそこには火が入っていた。

 窓には暗いカーテンが引かれていて、外の光は漏れてこない。

 ベッドの横の台にはランプがあって、その光を反射した何かが、台の上に並べられている。


 後ろでカチャリと音がした。


「な、に」


 振り向くと、主人が扉に鍵をかけたところだった。

 鍵。なんで、鍵。


「生きた作品を作ろうと思ったんだ」


 暗がりに浮かんだ微笑みに気圧されて、後退る。


「君は、その試作のつもりで買った」


 しまい込んだはずの本能が顔を出して、警鐘を鳴らしている。

 冷や汗が背を伝った。


「なに、を」

「奴隷市ではなく、あの商家から君を買ったのはね、既に心が壊れてしまった人の方が、加工がしやすいと思ったからなんだ。まぁ、どうせ試作だから、早く試してみたいって言うのもあったんだけど。……それにね、君を見た時にどうしても欲しくなってしまった」


 じりじりと距離を詰められる度、同じだけ後ろに下がる。

 見開いた目が乾燥して、痛い。

 でも、瞬きさえするのが怖い。


「君はとても良い素体だ。元は美しいはずのその(かんばせ)。それを損なうように残った火傷跡。身体に残る数多の傷跡も、壊れそうで壊れきれない、危うい均衡の上にある精神も」


 視線の先で、主人が場違いなほど柔らかく、笑う。


「その不完全さが、どうしようもなく美しい」


 後ろに下がり続けていた背が、壁に当たった。


「ねぇメメ。僕は君の上に、死を表現しようと思うんだ」


 メメント・モリ。死を想え。

 主人がつけた私の題名。

 (さくひん)の。


「だから、僕にその身体を明け渡して」


 主人の手が、伸びてくる。

 脳裏に先程の蝋人形が過ぎる。


「……やだ」


 だめだ。

 ドクンと、心臓が脈打った。

 これは、だめだ。今までの比ではない。

 生存本能が叫ぶ。

 耳鳴りがする。鼓動が鳴る。頭の中で誰かが急き立てる。

 逃げないと。早く、早く。

 取り返しのつかない所へ、堕ちてしまう前に。


「っ」


 必死だった。

 一度膝を曲げてしゃがみこんでから、床に手を着いて身体を押し出す。

 低姿勢で主人の傍からまろびでると、そのままベッドを迂回して、入り口の扉に駆けた。

 そのドアノブに飛びついて、開かない扉に思い出す。

 扉。扉は駄目だ。鍵が掛かっている。一人では開けられない。


 あと、後はどこ。逃げられるところは。

 見渡した視線が、壁のカーテンを捕捉する。

 ──窓からなら。


 急いでカーテンを開けた所で、私は固まった。

 カーテンの長さとは反して、肝心の窓ははるか上。明かりをとるための小さな窓は、どう足掻いても届かない。

 一瞬惚けたその隙に、仄かな明かりを遮って、影が差す。

 振り返ると、すぐ目の前に、主人が居た。


「やめ」

「怖がらないで。大丈夫」


 穏やかに言葉を紡がれても、もう安心なんてできない。

 咄嗟に突き出そうとした腕ごと抱え込まれて、気づけば私は、主人の腕の中にいた。

 耳元に落とされる囁きが、毒のように身を苛む。


「作り替えてあげよう。外側も内側も。僕の理想とするものへ」


 右腕の裏に、痛みが走る。

 押さえ込まれて自由にならない頭を振って、無理やりその方向に顔を向ける。

 そこに信じられないものを見た。


 注射器。

 薬。

 押し出された最後の一滴が、無くなる。

 引き抜かれた針が、無造作に捨てられて、床に落ちる。

 つまり、全部、なかに。


 顔が青ざめるのがわかった。


「や、はなして!」


 無茶苦茶に腕を振る。

 恐怖に囚われる。

 なに、したの。なんの薬を。どうして。


「や、だ、やだ、やだやだやだ!」


 かくりと、膝から力が抜けた。


「……あ、なに、……な、ん」


 身体が重い。力が抜ける。

 舌が縺れる。

 感覚が遠のく。


「安心して。ちゃんと麻酔はしてあげるよ。暴れられて手元が狂うと困るからね」


 瞼が重い。だめ。

 だめだ。早く。

 いやだ。

 いやだ。

 繰り返し唱える拒絶に反して、身体は動かない。

 いつの間にか、視界は闇に呑まれていた。






 ◇





 痛みはなかった。

 何も感じない。

 遠く、何かの音が聞こえてくる。


 意識は朦朧としている。

 重い瞼を持ち上げながら、瞳だけを緩慢に巡らせる。

 霞んだ視界は、なかなか焦点を結ばなかった。


 何をしていたんだっけ。

 一体、どうなったんだっけ。

 私は。

 私、は?


 薄暗い部屋が見える。

 倒れる前の記憶が、薄く浮かんでくる。

 すぐ横の台には、赤く染まった鈍色の器具が、無造作に置かれていた。


 その視界に、切り離された自らの右腕が映りこんだ時。


 何もかもが、ぽきりと折れた音がした。







 きっと初めから、かみさまなんて、いなかった。

 すくいはない。助けはない。

 じぶんで抜けだす、ちからもない。

 もう、なにをもっていたって、しかたない。


 じゃあ、いらない。

 ぜんぶ、いらない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ