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我が愛しの化け物へ  作者: 砂原樹
【第一部】 魔女と奴隷
22/41

◆2

「──っ」


 何かを考える余裕なんて、なかった。

 頭上に掲げられた刃の、その矛先を理解するより早く、反射的に体が動く。

 血塗れの腕を突き出して、目の前の身体を思い切り突き飛ばす。

 振り下ろされた刃先は軌道がそれて、頬の肉を抉っていく。

 押されてバランスを崩した身体は、いとも容易く後ろに倒れた。


「……なんで」


 仰向けに転がった少女は、すぐに起き上がろうと半身を起こして、一度潰れた。

 不思議そうに瞬きをしたその目は、自らの右肩に向けられている。


 右腕、使えないのか。


 腕の代わりに収まった白骨は、義手でもなんでもないらしい。

 動く気配のない骨は体に沿ってぶら下がったまま、微塵も動く気配がない。

 地面に擦れてカタカタと軽い音をさせる様子は、ぞっとするものがあった。

 服は前面だけ一部が破れており、覗いた左足に、ベルトで括り付けられたナイフが見える。


「なに、してんの」


 思考が纏まらない。

 色んなものが入り乱れて、ぶつかり合って、元の形が分からない。

 何を考えればいいのか、分からない。

 どうすればいいのか分からない。

 頭がどうにかなりそうだ。


 ただ頭の隅で生まれた疑問が、答えを吟味する過程も経ずに、口から垂れ流されている。


「君は、城に閉じこもっていたはずだろ」


 いまだ起き上がろうと藻掻く少女が、声につられてこちらを向いた。

 見慣れぬ火傷の跡が、見慣れた顔に乗っている。


「ティア」


 遠くを見るような虚ろな瞳が、無感動に瞬いた。


「だあれ、それ」


 その言葉に、口を引き結ぶ。


 舌足らずな声は、囁きのように小さく、カサカサに掠れている。

 だけどよく聞けば、それは確かに彼女の声だった。


 唐突に、すべてが繋がる。


 いつか見た夜の、濃茶のクロークを羽織った後ろ姿。

 城から出る時に遠目で見た影は、やけにふらふらと覚束無い足取りをしていた。


 ああ、なるほど。


『時間がかかるほど、駄目になる。狂っていく』


 なるほど。


『逃げて。ここから。──私から』


 一体、いつからこうだったんだろう。


『本当の意味で化け物になったんだ』


 覆っていた物を取り払い、月光に晒された少女の身体は、まるでよくできた美術品のようだ。

 人の腕をもぎ取られ、変わりに垂れ下がる乳白色の骨は、恐ろしくありながらも、彼女の肌と服の白にどこか調和している。背に縫い付けられた翼が、人とはかけ離れた印象を、更に強調しているようだった。

 一方で、残された濃い火傷の跡は、彼女が人であることを印象付け。

 理性を失い、血を求め、澱んだ瞳には、どこまでも暗い狂気が宿っている。


 どうしようもなく歪んでいておぞましく、なのにどこか美しいこれは。


 確かに、化け物だ。




「──っおい、アル!」


 不意に至近距離から、よく知った声が聞こえた。

 緩慢に顔を上げると、鋭い視線が、俺を睨みすえていた。


「ぼーっとしてんな! 逃げんぞ!」


 腕を引かれて足を踏み出す。

 引かれた腕に視線を落として、瞬きをする。

 血で汚れたその傷が、ようやく思い出したように痛んだ。

 逃げる。どこに。なんで。


 逃げる。

 ああ、そうか、逃げないと。

 散々考えたじゃないか。エリを見つける前に。あの静かな廃墟の只中で、一人。


 ティアは俺の手に負えない。


 目の前の少女を見る。

 狂気に呑まれた、哀れな化け物。


 どうしたいんだよ。俺は、これを。

 何とかできると思ってるのかよ。

 本心を隠して、友人と偽って近づいて、一時期共に過ごしただけの盗人が。

 全部、忘れるべきだ。

 ティアなんて知らない。

 元々、出会ってなんていなかった。


「知り合いか」


 未だ動こうとしない俺に、ジェイドが振り返る。


「…………違う」


 その問いかけに、小さく零して首を振る。


「違う」


 忘れろ。

 全部。

 もう、いらない。

 その方がいい。

 このまま、知らないふりして逃げろ。

 それが最善だ。


 音がした。

 その方向に目を向ければ、立ち上がろうとしている、少女の姿があった。


 足が動かなかった。

 目だけが、ずっとその動作を追っていた。

 左手だけで何とか起き上がってから、その手で地面に落ちているナイフを掴む、その姿を。

 腕を引かれて思い切り後ろに投げられた時に、まともに反応することも出来なかった。

 身体が地面に投げ出される。

 視線の先で、俺を投げたジェイドが、少女に向かって行くのが見えた。


「っ待て! ジェイ!」


 思わずあげた声に、ジェイドが振ろうとしていた刃先が止まる。

 少女はちらりとジェイドを見たものの、攻撃してこないのを悟ると、そのまま素通りして行った。


 何、してんだ、俺は。

 なんで止めた。

 止める必要なんてない。

 逃げるためには、俺の平穏のためには、切り捨てた方がいい。

 そうするべきだ。


「──っ」


 分かってんだよ、そんなことは。


 地面に手を着いて立ち上がる。

 すぐ側まで迫っていた少女は、虚ろな瞳で刃を振るう。

 もう、首だけ狙うのはやめたらしい。

 下がったタイミングが少し遅れ、切っ先は右肩を攫った。


 身体の動きが、鈍い。

 今までどうやって避けていたのか、思い出せない。

 避けきれなかった刃が皮膚を裂いて、また薄く、血が滲む。

 その度に目の前で、遮るもののなくなった少女の顔が、艶やかな笑みを浮かべる。


「アル」


 少女を挟んだ向こうから、ジェイドの声がする。

 視線は向けられなかった。

 そんな余裕、なかった。


「そうやって、いつまでもくよくよ悩んでんなら、いっそしがらみ全部捨てちまえ」


 でも、声だけは、よく届いた。






「──そ、か」


 するりと入り込んできた言葉が、心の間に染みていく。

 絡まりすぎて形の分からなかったものが、解けて消える。

 唐突に、すべてが凪いだ気がした。

 そっか。

 捨てれば、いいのか。


「そう、だよな」


 息を吐く。

 凶刃に晒されながら、ふわりとどこかを彷徨っていた心が、自分の元に帰ってくる。

 足が地面の感覚を思い出す。

 五感が正常を取り戻す。

 目の前の少女を見返す。

 その狂気に、向き直る。


 分かった。

 良く、分かった。


 もう、考えるのはやめだ。



「ジェイド」


 ぽつりと名前を呼ぶ。


「この先、どんなことになっても──手、出すなよ」



 ぐだくだ考えても答えが出ないのなら。

 いつまでも未練がましく答えを出そうとしないのなら。

 出た答えに納得出来ずに躊躇しているくらいなら。

 そんな役に立たないもの、もう知るか。


 思考も理性も正しさも冷静さも慎重さも経験則も、まとめて全部ドブに捨ててやる。

 ただ、感情のままに、心のままに。

 納得できるまで、限界まで、惨めったらしく喚いて足掻けばいいんだろ。

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