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我が愛しの化け物へ  作者: 砂原樹
【第一部】 魔女と奴隷
20/41

◆2

「あぶね。怖っ。何あれ」


 狭い路地を右へ左へ。追いつかれないようにとぐねぐね曲がりつつ、結構な距離を走り、大通りに出た頃にはすっかり息が上がっていた。

 背後から足音が聞こえないことを確認しつつ、荒い息を整えながら呟く。

 でも本当に鏡持っててよかった。そして成功してよかった。正直木枠じゃ博打もいいとこだった。

 割れた手鏡を見つけて、高級品だし万一にでも売れないかとこそこそ持ってたあの欠片が、こんなとこでも役に立つとは。

 まぁ売れなかったから、勝手のいい大きさの欠片を残して捨てたんだけど。

 ちなみに本来の使い方よりは、振り向かずに背後を確認したい時や、角から顔を出さずにその先を確認したい時とかに地味に重宝してる。


「……なんで、お前がいる」


 同じく息が乱れてはいるものの、俺ほどではないジェイドが言う。

 その顔を見遣ると、不信感がありありと浮かんでいた。


「エリに頼まれて」

「エリ」


 名前を出した途端僅かに安堵の空気が伝わるも、すぐにその眉間には皺が寄った。


「いや、だとしても来るの早すぎだろ」

「道でばったり会ったんだよ」


 答えてもその皺は消えないどころか、ますます深くなる。なんなんだ、一体。

 怪訝な顔を向けつつ、ふとエリの言葉を思い出した。

 そういえば、ジェイドは利き手を負傷してるって聞いたな。


「つか怪我って、…………うっわ、えぐ」


 視線をずらした先の惨状に、思わず声が漏れた。

 体の横に垂れ下がったその腕は、いつも着ている濃色の上着に覆われている。そのせいか色こそあまり目立たないものの、ぐっしょりと濡れそぼりへたっていた。その箇所がなかなかの広範囲だ。

 傷口は見えないものの、相当深いらしい。

 未だ血が止まっていないらしく、下ろした指の先からぽつぽつと血が滴っていた。


「それ、骨までいってる?」

「ああ」

「げ。腱は?」

「切れてない。動きはする」


 顔を顰めながら軽く腕を振るジェイド。その間にも血が地面に吸い込まれていく。


「っていうか、血。……血?」


 嫌な予感がして来た道を振り返る。

 愕然とした。


「おま、はぁ!?」


 地面に点々と残る、血。

 見れば来た道の先へ延々と続いている。

 嘘だろ。台無しだ。


「血ぃ垂れてんじゃんか! 逃走経路丸わかりだろ! 止血しろよ!」

「好きで垂れ流してんじゃねぇよ!」


 目を釣りあげて怒鳴り返しつつ、上着の上から傷を抑えるジェイド。

 顔を顰めてしばらく力を込めていたが、そう簡単には止まらないようで、忌々しげに舌打ちを漏らした。


「それ貸せ」


 言いながら俺の右手を指し示す。

 右手。

 視線を落とすと、先程取り去ったストールを握ったままだった。


「……えー」

「どうせ取ってんだからいいだろ」


 そういうことじゃない。


「血塗れになることがわかってて貸したくない」

「俺だってお前の汗が染み付いたもん使いたくねぇよ」

「ざけんなおまえ、それが人にものを頼む態度か」

「いいから貸せうだうだ言ってる場合か」

「うだうだ言いたくもなるわ」

「追いつかれんぞ」

「……念入りに洗って返せよ」

「当たり前だろ」


 しぶしぶ手渡す。受け取ったジェイドは腕にきつめに巻き付け始めた。ただ、片手だと上手くいかないようでなかなかに苦戦している。

 ため息をついて手伝う。

 自分の手の中で、慣れ親しんだ物が血に染っていくのが、中々に悲しい。


「お前、エリどうした」


 大人しく腕を預けていたジェイドが、不意に言う。


「ちゃんと逃がしたって」

「送ってねぇだろ」

「だから?」

「危ねぇのはさっきの奴だけじゃねぇんだぞ」


 端と端を結び合わせて固く結ぶ。手を離すと、俺の指にも少しジェイドの血が着いていた。

 まぁ確かに、イーストエンドはほぼ治外法権だ。通り魔だけ気をつければ安泰って訳じゃない。

 でも、こっちだって言い分ならある。


「来る途中たまり場の近くを通ってきた。人の気配はしなかった。一人で行っても道中誰にも会わないはずだ」

「あの廃屋からはそこそこ遠い」

「俺が会った場所からはそんなに遠くない」

「近くもないってか」


 いちいち突っかかってくるジェイドに眉が寄る。


「はぁ、もう、何。何が言いたいわけ。単刀直入に言えよ」

「まだ、帰れてないかもしれねぇだろ」


 声に僅かに滲む心配そうな色。溜息をつきたい気持ちを抑える。


「別れてからそんなに経った訳じゃねぇし、夜道は昼間とは違って見える。エリもこの辺りは知ってるだろうし、迷子まではならねぇだろうが、帰んのに時間かかるだろ。探しに行きたいのは山々だが、後ろをあの狂人につけられたら本末転倒だ。そもそもここで撒いたら、標的を見失ったあいつがエリの所へ行くかもしれねぇ。それが一番最悪だ」

「で?」

「今ならどうせ血の跡辿ってくるだろ。もうちょい、ここであいつを足止めしときたい」

「馬鹿じゃねぇの」


 何言い出してんのこいつ。

 ああ、うん、そうだ。こいつこういう奴だった。

 なんだかんだで非情になりきれないお人好し。

 そのせいでちょくちょく割を食っている。

 そういう所が、時々、どうしようもなく嫌いだ。


 言いたい諸々を飲み込んで、説得は早々に諦める。もういい。この手の話じゃこいつは譲らない。俺が折れる。

 じゃないと話が進まない。


「おーけい、分かった。俺が悪かった。お詫びに適当に引き付けて撒いとくから、おまえはさっさと帰れ怪我人。そんで途中でエリ探して回収しろ。それなら文句ないだろ」

「あ? お前一人だけにあんなのの相手させられるか」


 思い切り舌打ちする。

 今そういうの、ほんといらない。


「いいか、怪我人。自分の状態把握してから物言え。その腕で何が出来る? 大人しく帰れ。気が散る。邪魔。足でまとい」

「左手でもある程度なら使える。それに」


 言いながら合わさった、その鋭い視線に、少しだけ怯む。


「こういう場面でお前一人にすると、ろくなことにならねぇだろ」

「……いつの話してんの」


 今度こそため息が出た。

 分かった。

 もう正直に言おう。


「くっそめんどくさいなこの雰囲気詐欺のお人好しが」

「誰がお人好しだ目ぇ腐ってんのか」

「自分の言動をよく振り返ってから物言え馬鹿か」

「ああ? 誰が馬鹿だ」

「そういうとこがだよ! もういいから行けってんだよ俺を信じろ」

「どの口が言ってんだ猫被り人間不信」

「うるっさい!」


 今それ関係ないだろなんで貶した。


「そもそもな!」


 おまえが逃げねぇと俺がわざわざ来た意味ないんだよ!

 そう言おうとした。言いたかった。

 言えなかった。


 別方向から聞こえてきた小さな物音に、口を噤む。

 ばっと振り向いたその先で、血痕のある路地の先から、小柄な影が躍り出た。

 その口が、何かを小さく呟く。


 顔を覆いたくなった。

 泣きたい。最悪。


 追いつかれた。


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