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我が愛しの化け物へ  作者: 砂原樹
【第一部】 魔女と奴隷
2/41

◆古城の少女

 その森の奥深く、澱んだ湖の畔に建つ古い城には、恐ろしい魔女が住むという。


 青く晴れた空に、柔らかな陽が差す麗らかな日。固く閉ざされた門から伸びる石塀を辿っていくと、一部が崩れた場所がある。

 元々古い建物だ。塀の周りは手入れもなく雑草は伸びっぱなし。塀自体にも蔦が絡んでいて、日に焼けた煉瓦には所々ヒビが入っていたりする。むしろここ以外に崩れた箇所がないのが不思議なくらいだ。それもまた、ここが魔女の城と呼ばれる所以なのだろうか。


 だがまあ、ここだけでも崩れたままでいてくれるのなら有難い。

 そのおかげでこうして侵入出来るのだから。


 難なく瓦礫を飛び越えて塀の内側へと降り立つと、長く伸びた草をかき分けて奥を目指す。

 広いから探すのが大変だ。

 外に通じている渡り廊下から城内に入り、エントランスの方に足を進める。その途中、長い廊下の隅に、窓の外を眺めている少女が居た。

 後ろ姿を向ける少女に、しばしの間見惚れて立ちつくす。

 何度見ても綺麗な黒髪だ。

 太陽光を受けて茶色にも見えるその髪は、色こそありふれてはいるものの、艶があって纏まっている。背の中程までの長さのそれは、触れればきっと絹のような手触りをしているのだろう。


「こんにちは」


 後ろから声をかければ、その黒髪を靡かせながら少女は振り向いた。少し見開いた瞳が、彼女の驚きを表している。空を写し取ったような、澄んだ青の瞳。

 相変わらず、なんて綺麗な顔をしているのだろう。


「どうして……」


 小さく漏れ出た声は、小鳥の囀りのように可愛らしい。

 それだけ言い残して黙り込んだ少女は、少し目を伏せた後に、窓の外を一瞥した。その一連の様子を、俺はただ眺めていた。

 美しい少女だと思う。でもやはり、表情はほとんど動かない。

 その様子はどこか人形を連想させるようで、見る人によっては不気味に映るのだろう。


「……帰れなかったのですか?」


 少し視線をさ迷わせてから、少女は小さく問いかけた。人と話すことに慣れていないのかもしれない。声量が極端に小さい。

 呟きのようなその言葉を拾い上げて、少し考えてから、俺は彼女に笑いかけた。


「いや、君と友達になりたかったから、また来たんだ」


 その言葉を受けて、少女は一つ瞬いた。


 経緯は省くが、俺は昨日、この古城の建つ森に迷い込んだ。

 歩けば歩くほど森は深くなり、日も暮れそうな黄昏時になった頃、この古城の前に辿り着いたのだ。

 森深くにある古城の噂は知っていた。

 そこには恐ろしい魔女が住む。出逢えば腹を引き裂かれ、心臓を抉り取られ、その血を啜られる。決して生きては帰れない。


 知ってはいたもののそれに対しては半信半疑だった。

 噂にはあるが、実際魔女に襲われたという話は聞いたことがない。そもそも本当に魔女がいるのかどうかも怪しいものだ。


 そんな不確かな存在よりも、このまま森をさまよっている方がまずい。日が沈むまでに森を抜けられる気がしないし、夜になれば獣も活発になる。まだ運良く出くわしていないが、出会ってしまったら逃げ切れる自信が無い。それこそ噛み殺されておしまいだ。

 それよりはせめて屋根と壁があるここで一晩越せないかと塀を乗り越えて中に入ったのだ。

 そこで出会ったのが、彼女だった。



「とも、だち?」


 彼女が小さく呟いた言葉は、初めて聞いたものを反芻したかのようにぎこちない。その瞳を見つめ返して、俺は再度笑いかけた。


「そ、友達」


 握手を求めようと、緩く手を伸ばす。


「俺はアルテ。君の名前、教えてくれる?」


 彼女は俺が差し出した手を、意図がわからないかのように黙って見つめていた。

 俺はまだ彼女の名前を知らない。

 昨日俺が尋ねたのは、彼女が魔女であるのかどうかくらいだ。

 それに彼女は違うと答えた。

 そうして獣避けの匂い袋と、街までの目印を教えてくれた。

 彼女との繋がりはそれだけだ。言葉少なな彼女は

 多くを語らなかった。


 俺の手を見つめていた少女は、間を置いて小さく首を振った。


「用がないなら、帰ってください」

「だから、友達になりたいんだって」

「私に友達はいりません」

「どうして?」

「必要ないからです」


 取り付く島もない。

 淡々と返した彼女は、ついにこちらを見ることもせず背を向けてしまった。あんまりな反応に苦笑が漏れる。

 とても綺麗な彼女は、後ろ姿ですら完成されている。


「君はどうしてこんな所に居るんだ?」


 その背中を見ていると、ふと気になった。

 深い森の奥。荒れ果て朽ちた古城は、魔女の城として恐れられている。

 街とも離れ、満足な道もなく、行き来もしにくいこの場所に、どうしてわざわざ彼女は居るのだろうか。


「ここが魔女の城と呼ばれているのを、知らない訳じゃないんだろ?」

「……魔女」


 ぽつりと零れた呟きには、形容し難い複雑な感情が乗っているような気がした。

 それが何かを考えようとした時、彼女が振り返る。その瞳をみて、俺は一瞬たじろいだ。

 まるで作り物のような、生気のない瞳。

 暗いのに透明な不思議な瞳。


「あなたは、魔女と聞いてどう思いますか」


 そう聞かれて我に返る。

 得体の知れない何かを感じながら、俺は少女から目を逸らした。

 考えが纏まらない。首の後ろに手を当てて、俺は何とか思考をめぐらせた。


「どうって……本当にいるならそりゃ怖いとは思うけどさ、所詮噂だろ?」

「そうですか」


 聞いておいて、彼女は興味がないかのように素っ気なく返す。


「私は、この場所から離れられないのです」

「どうして」

「私は魔女の所有物だから」


 冗談だろ。

 そう笑おうとしたのに、言葉が出なかった。

 その声音には、なんの色も乗ってはいない。

 真っ直ぐにこちらを見つめる瞳には、感情など欠片も含まれてはいない。

 淡々と事実を告げるかのように、どこか事務的だ。


「……私に、友達はいりません」


 そのまま腕を上げて、ある一方向を指し示す。

 俺の後ろを。


「帰ってください」


 固まる俺を少し見つめてから、彼女は目を伏せた。

 そして俺に背を向けて、廊下の奥へと踏み出した。

 もう俺になど興味が無いかと言うように、振り返る素振りもなく。

 彼女との間に距離が開く。その背中が遠ざかる。


「待って」


 気がつけばその腕を掴んでいた。


「本当に、魔女はいるのか」

「います」

「今、ここにも?」

「……いいえ。あの人は随分前からここに姿を見せていない。けれど、私はここであの人の帰りを待たなければならないのです」

「それは、君の意思なの?」

「意思?」


 小首を傾げた彼女は、一瞬だけ考えるように目を伏せ、再び上げる。


「物に意思が必要なのですか」


 なんの躊躇も見せず、自然にそう口にする彼女は、その言葉に何ら疑念を持たない様子だった。


「……、確かに、物に意思は要らないかもしれない。でも、君は人だろ。物じゃない」


 いくら無表情だとはいえ、本当に人形の訳では無いだろう。

 魔女の使う魔法がどんなものなのかは分からない。どれほどのことを可能にするのか分からない。もしかしたら、無機物に生命を吹き込むような術も持っているのかもしれない。

 でも、掌に伝わる体温は温かい。

 彼女は生きている。血の通った、人だ。


「私は……」


 何かを言いかけた彼女の言葉は、そこで途切れた。

 伏し目がちのその表情は、戸惑いを孕んでいる。

 なんだ。そんな顔も出来るんじゃないか。


「君の名前は、何?」

「……、ないの」

「え?」

「私に、名前はないんです」

「じゃあ……」


 今までなんと呼ばれてきたんだ。

 咄嗟に浮かんだ疑問を、声にのせる前に口を噤む。

 彼女の姿を見ていればわかる。

 人よりも綺麗な容姿を持っているのに、それを手放しで賞賛できないのは、彼女があまりにも作り物めいて見えるからだ。


 生気の無い、感情の起伏に乏しい表情。人との会話に慣れないような声量。自らを物と言い切るその心。

 事情があるのだろう。そこまで踏み込むべきじゃない。

 今は、まだ。


「名前が無いと不便だね。俺がつけていい?」

「え……」

「そうだな……、うん、ティア。ティアはどう?」


 俺には学がない。だから正直、大層な意味を込めた洒落た名前など考えられない。

 でもふと頭に浮かんだのは、昔に唯一読んだことのある絵本だ。

 道端で拾った褪せたその本には、女神と人との温かな交流が描かれていた。


「確か、幸運の女神の名前はティアリアナって言うんだよな?」


 そういった時の彼女の表情が忘れられない。

 眉を少しだけ下げたその変化は些細なものだったが、能面のようだったその顔は一気に生きた少女のものになった。


 ほら、そんな顔ができるなら、やっぱり君は物なんかじゃない。

 彼女の前に手を差し出して、俺はなるべく優しく見えるように笑いかけた。


「よろしく、ティア」


 君のこれからに幸福が訪れることを願って。



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