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我が愛しの化け物へ  作者: 砂原樹
【第一部】 魔女と奴隷
16/41

◆2

 その部屋を一人きりで見渡していたのは、それ程長い時間ではなかった。


「メメ?」


 静寂を切り裂いて、どこからか知らない声が聞こえた。

 咄嗟に振り返って入口を見る。けれどそこに人影はない。ハッとして部屋に視線を戻してみるけれど、やはり同様に人の姿はなかった。

 冷や汗が背中を伝っていく。

 何だ。どこだ。


「何だ、人違いか。お前どうやってここに来た?」


 カタカタと、何か軽いものを合わせたような音がした。

 声は微妙に室内に反響していて、詳しい出処がはっきりとしない。ただ、それが室内から発せられたものだということだけが分かっていた。


「単に迷い込んだだけか? 度胸試しかなんかか? やめとけよ。ここにゃこわーい魔女が出るぜ? 五体満足なうちにさっさと帰んな」

「……誰だあんた、どこに居る」

「どこって、目の前にいるだろ? その目は飾りか?」


 からかう様な声につられてもう一度室内を見渡して見るも、変わらず人影はない。

 苛立って思わず舌打ちを漏らすと、ひきつれた様な笑い声がした。


「ヒハッ、あーそうだ。そうだった。すっかり馴染んじまったから忘れてたな。おい、下だよ。下を見てみろ」


 促されるまま視線を下に落として、そこで思考は止まる。

 そこには確かに《《人》》は居なかった。


 そこにあったのは、骨。

 皮も肉も何も無い、首から上だけの、頭蓋骨。

 動いていた。

 髑髏が。

 上顎と下顎の骨を打ち鳴らせて、カタカタと笑っていた。


「嘘、だろ……」


 呆然と漏れ出た呟きは、ただ落ちることなく拾われる。

 目の前の、奇妙な骨によって。


「いやいや、現実を見ろよ少年。残念ながら本当だ。ヒヒッ、悪いなこんな格好で。起きたらもう胴体がどっかいってたんだよ」


 一体どこから声が出ているのか。

 舌も声帯もないはずなのに、声は流暢で違和感がない。それが逆に異様だった。

 眼球も耳も付いていないのに、まるで見ているかのように、声が聞こえているかのように話す。

 怯む内心を叱咤して、喋る頭蓋を睨みつける。


 血の流れる音が聞こえる。

 自分の音だ。心臓の脈動の音。

 それが、小さく耳元で鳴っている。

 汗の滲む掌を握りしめて、細く息を吐く。

 この現実離れした光景に、緊張感と警戒心が引き絞られていく。


「……おまえ、一体なんなんだよ」


 隙を見せるな。

 何があるか分かったもんじゃない。


「ヒヒヒ、『あんた』から『おまえ』に格下げか。悲しいねぇ」


 髑髏はその姿に見合わぬ軽快な口調で、下卑た笑い声を漏らす。

 何もかもが歪だった。

 言葉で言い表せない異様な空気が、体の内側まで侵食されてくるようで、気持ちが悪い。

 理屈じゃない。どうしようもなく、本能が拒絶している。


「何? 何って人間さ。いや、そう言うには語弊があるか。死人だよ」

「人、間?」

「そこ疑うなよ、余計悲しくなんだろ? こんなナリだが元は正真正銘人間だったよ」

「……死んでんの」

「首と胴が離れてんだから死んでるに決まってる。こんな状態で生きてるわけないだろ」

「喋ってるけど」

「魔女の気まぐれさ。所謂魔法の賜物だよ」


 また、魔女か。

 魔法、魔法、魔法。

 説明のつかないものは全部その一言で事足りる。得体の知れない未知の力。魔女が扱う恐ろしい力。

 寒気がした。

 それはこんな風に、生死すら弄ぶことの出来る代物なのか。


「っ、なんなんだよ魔法って……!」


 気味が悪い。

 もっと軽く考えていた。よく分からないけど便利な力だと。魔女にしか扱えないものだとしても、それだけだと。

 とんだ見当違いだ。


「人の身では魔法は使えない。その仕組みを理解できない。干渉できない。魔女が人の姿を模した悪魔と呼ばれる所以だな。理解できねーのを考えるだけ無駄ってもんだ」


 肉がない。筋がない。表情なんてあるわけが無い。

 なのに、話す声音の抑揚が、目の前の髑髏の感情を明瞭に表していた。

 面白がっている。

 そうとしか取れない声音で、それはカタカタと骨を打ち鳴らす。


「良いねえ、少年。俺を見て恐怖よりも警戒や敵意の方が勝るなんて、そこらの健全な少年少女にゃ出来ない芸当だ。さてはろくな人生歩んでねぇな?」

「……、おまえ、魔女の手先か」

「いんや? 俺は哀れな被害者だよ。魔女に殺されて、魔女の気まぐれでここに縛りつけられている、哀れな魂さ」


 被害者。殺された。

 その言葉に、いつかの話を思い出す。

 まだ魔女の噂を話半分にしか聞いてなかった時に、言われたこと。


 この森では元々何人も行方不明になっていた。その大体は、余所から来た人間だった。

 つまり。

 その末路が、これか。


「ありゃ、驚かねぇか。その様子じゃ何も知らずに入り込んだわけでも無さそうだな。だがまだ生きてるんなら気に入られたか。ヒヒッ、良かったな? そうじゃなけりゃ今頃バラバラだ。煮て焼いてすり潰されてバラ撒かれてたかもな? 俺やそこのお方がいい例だ」


 髑髏が示した先を辿り、ちらと視線を投げかける。そこには、初めに見咎めた焼死体が転がっている。


 ふと思った。

 壁に寄りかかった焼死体は、髑髏と共にこの牢獄に入っている。

 牢獄。罪人を捕らえておく為の檻。その中にあるということは、そこの死体も、同じように生きている……いや、意識はあるのだろうか。

 俺の思考を読んだかのように、髑髏は何かを問いかける前に答えた。


「おっと、そこの方は動かんよ。 俺が初めに目覚めてからしつこく話しかけてるけど、まるで反応して頂けねぇ。そのお方は紛うことなき死体だよ」


 その言葉に沿うように、焼け爛れた身体は微塵も動く気配を見せない。

 髑髏の口振りからして所謂高貴な身分なのだろうが、今は見る影もない。顔は爛れて人相が分からないし、纏っていたはずの服もほとんど焼けてしまっている。


「おまえ、いつからここに居るの」

「さぁ。時間の感覚なんて忘れちまった」

「何でこの城に来たんだよ」

「何でだったかな……ヒヒッ悪いな。目覚めてから記憶が曖昧なんだ。もう自分の名前も分からない。強く印象に残っていることぐらいしか、思い出せない」

「……そう」


「…………、ああ、そうだ、そうだった」


 少しの間黙り込んでいた髑髏は、不意に思いついたように声を上げた。


「お前、メメには会ったか?」


 突然の知らない名前に訝しむ。

 そう言えば、初めにその名を聞いたか。


「知るか。誰だよ」

「黒髪の少女」


 心臓が跳ねた。

 それを聞いて咄嗟に浮かんだのは、数日前まで共に居た少女。

 脳裏に浮かぶ美しい少女は、元々名を持たなかった。

 だから、俺が名付けたのだ。そこからまだ、半月程しか経っていない。

 それ以前の名を、俺は知らない。


「……さぁ。知らない」


 少し間が空いてしまったが、不自然ではなかっただろうか。

 胡乱げに視線をやる。髑髏は気にした風もなく言葉を重ねた。


「本当か? ああ、別に少女と断言できなくても構わんよ。そう言えばあれには分厚いクロークを着せていた。フードを被っていれば人相は分からないだろう」

「知らないって。その少女が何」

「少し思い出した。あれが一緒の馬車にいたということは、あれがここに来た理由のはずだ」


『その後に主人に連れられてここに来て、私だけが残りました』


 少し前に、彼女はそう言っていた。

 ティアとこいつらは知り合いなのだろうか。

 こいつがティアの元主人で、馬車にのせられてこの城に来た。そうしてこいつらだけが殺されて、ティアが残った。

 話を繋ぎ合わせても矛盾はない。

 でも……本当に、そうか?


「そこのご遺体は俺がお仕えしていた敬愛すべき主、ハイマン子爵家のレガート様だ」


 何だ、いきなり。

 眉を寄せる。でも髑髏は俺に構う様子もなく、好き勝手に話を続けた。


「レガート様は第三子で家督を継ぐ立場になく、そのせいか自由なお方でな。その上芸術肌で、趣味でいくつか作品をこしらえていらしたよ。俺はその作品のファンでね。怖気立つほど恐ろしく、混沌とした中に垣間見える退廃的な美が、俺の心を鷲掴みにしたんだ。あの方の作品の為なら、俺はなんだってできる。何でもな」

「何が言いたい」

「ああ、悪い。脱線したな。つまりな、メメはレガート様の作品の一つだ」

「……作品? 少女なんだろ?」


「ああ。あれは生きていて初めて完成する、レガート様の傑作だ」


 その物言いに、ぞわりと背筋が粟立つ。

 不意に、出会った頃のティアを思い出した。

 頑なに心を閉ざし、自らを物と言い張るその姿を。


「何を、したんだ」

「何だ、やっぱり知ってるんだろう」


 押し殺した声に被せるように、答えにならない問いがかかる。

 思わず息を詰めた俺を見て、髑髏はカラカラと笑った。


「ありゃ、カマをかけたつもりだったが、その反応からすると正解か。やっぱり生きてるんだな。そいつは良かった」


 しまった。


「あれには様々な細工が凝らされているからな。生きているのなら重畳だ。あれ程稀有な作品を、壊されるのは勿体ない」


 髑髏の声は弾んでいた。

 喜色に満ちていた。

 でも、そこに心配の色など微塵もない。ただ『作品』の状態を気にかけていただけなのは明らかだ。


「ああでも惜しいな。あれは少女であるうちが一番美しいんだ。女になってしまったら、あの不完全な魅力は永遠に喪われてしまう。確かに死ぬのも惜しいが、作品自体が変質するよりは大分マシだ。だからその直前に、蝋で固めてしまおうと思っていたのに。レガート様がこんな有様だから、俺が、俺こそがやり遂げねばならなかったのに」


 言っている意味が、すぐには分からなかった。

 蝋で、固めて。

 何を?

 人を。少女を。──あの子を。

 殺して、固めて。

 作品(ティア)の成長を、少女のままで留めるために。


「こんな身体になってしまっては、この先それを行うことも出来ないな」


 事も無げに喋る髑髏を、呆然と見る。

 ぞっとした。

 訳が分からない。

 おぞましい。

 狂っている。

 これは本当に人間か? 本当に、人間《《だった》》のか?

 なんて笑えない冗談だ。


「それにしても奇特だねぇ。なんで庇った? 何も知らない者からすれば、メメの姿など化け物と誹られても仕方の無いものなのに。……ああでも、あれが好き好んでクロークを脱ぐわけないな。だったら、顔か。フードの下の顔は見たか?」

「……何を」


 そもそも、ティアは初めからクロークなんて着ていなかった。

 だからといって、その下に変わったものがあった訳でもない。普通の少女の身体だ。化け物なんて言われるようなものは、何も。


「醜い火傷跡があったろう? 同情でもしたか?」

「……そんなもの、知らない」


 知らない。そんなもの、見ていない。


「人違いだ。火傷なんてなかった」


 髑髏の言った少女の特徴は、黒髪と言うことだけだ。そんな人はありふれている。普通に考えれば人違いだ。ティアと髑髏の話す少女の特徴はかけ離れている。

 なのに口では否定しても、胸中に燻る靄は晴れてはくれなかった。

 奇妙に一致する符合が、脳裏にちらつく。


「そうか? あれは生きているとは思うけどな。最期に見た時は、魔女に気にいられているようだったし…………あ」


 何かに気がついたように声を上げた髑髏は、一瞬の後に、けたたましく笑いだした。


「あー、そうか。そうだった。ヒャハッ、少年、お前が知らなくても仕方ねぇよ」


 気でも触れたかのような笑い声だ。

 いや、違う。最初から狂ってる。


「そうだな、あれの顔には火傷なんてなかったな。そうだよ、あれは、メメは本当の意味で化け物になったんだ。魔女に見初められたあの時から!」


 声が耳を通る度、内側から侵されていくような錯覚に陥る。

 聞くに耐えない。


「最高だよ! 人が化け物に変わる瞬間をこの目で見られるなんてさぁ! ああ、でも、あのせいでメメの作品価値は無くなった。それだけが残念だな。本当に傑作だったのに。せめて外見だけでも戻ってくれねぇかなぁ」

「もう、喋んな。耳が腐る」


 躊躇などなかった。


 短く息を吐き出すと、骨を打ち鳴らす髑髏を蹴り上げる。骨は軽く、手応えはほとんどなかった。

 勢い込んで吹き飛んだその骨は、壁に激突すると、そのまま砕ける。骨とは思えない脆さで。


 そうして、呆気なく幕は閉じた。

 残骸は、もう言葉を話すこともなかった。






 扉に鍵をかける。

 その鍵を窓の外へと放ると、少し遅れてから、遠くで小さな物音がした。


 身体が重い。

 気分が沈む。

 とてもすぐに動く気にはなれない。

 壁に寄りかかってため息をつく。


 髑髏の吐き出した言葉の数々が、頭の中を回っている。

 全てを信じた訳では無い。

 あんな頭のおかしい妄言を、信じる方がどうかしてる。

 そうだ。そのはずだ。

 分かってる。

 なのに、先程の狂気の残滓が、思考をグズグズに溶かしていく。

 もう、何がどこまで本当なのか、分からなかった。


 確かめようにも、ティアは今扉の向こうから出てこない。

 厨房でパンを見繕った後にまた寄ってみたけれど、案の定音沙汰はなかった。

 その日からさらに数日たったけれど、何一つ状況は変わらないまま。


「……」




 あの日。

 真夜中、扉の奥に消えた後ろ姿が、脳裏から離れない。

 少し前に、縋るように見上げてきたあの目が。


『お願い、逃げて。ここから。──私から』


「……ティア」


 君は一体、何を隠してるの。

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