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我が愛しの化け物へ  作者: 砂原樹
【第一部】 魔女と奴隷
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◇黄昏に慕情、宵に崩壊

 窓からオレンジ色の光が漏れ出ていた。


 すぐ側の窓はカーテンが閉まり薄暗い。この場所から二枚か三枚先の窓、そこからカーテンは開いていて、柔らかな西日が差していた。

 その中に、椅子が一つある。

 そこに座る人は、窓枠に頬杖を着いて、窓の外を眺めていた。

 膝の上には、開かれたまま放置された本が乗っている。

 普段はアッシュブロンドの彼の髪色が、日に照らされて鮮やかな金色に輝いていた。


 綺麗だな、と思った。

 普段人の容姿など気にはしないのだけど、漠然とそう感じた。


 眩しそうに細められたダークグリーンの目が瞬いて、縁どられた長い睫毛が揺れる。

 少しして戻された視線が、私のものと交差する。

 間を置いて、アルテはその口の端を、ほんの少し持ち上げた。


「おはよう」


 それを受けて口を開くものの、喉はからからに乾いて、張り付いている。


「おはよう、ございます」


 やっとの事で出した声は、いつもよりも小さく、掠れていた。





 いつも眠りは浅い。

 浅い微睡みの中を揺蕩(たゆた)って、その度に夢を見ている。

 それが大体は悪夢だから、中途半端に目が覚める。そうしてまた浅い眠りに落ちる。その繰り返し。


 夢も見ないような深い眠りに落ちたのは、思えば随分久しぶりな気がする。


 アルテがここに来たのは、確か昼前だった。

 窓の外では既に日が傾いている。

 随分長い間、眠っていたらしい。


「そろそろ帰るよ。日が暮れる」


 外を見ながら、アルテはそう言うと立ち上がった。

 結局、アルテを随分長くこの部屋に縛り付けていたことになる。それが申し訳なくて、自然と頭が下がった。


「……ごめんなさい」


 その直後、頭に手が載せられる。

 緩く髪をかき混ぜられる感覚と共に、声が降って来た。


「いいって。気にすんな」


 また来るから。そういった言葉に小さく頷いて、すぐに後悔した。

 もう来ないでと、言うべきなのだ。早くこんな場所からは離れて、忘れてしまえと、言わなければならない。

 これ以上アルテがここに来ても、何もいいことは無い。いつ魔女様(あの人)に見つかるのか分からない。見つかったらどうなるのか分からない。

 それなのに、言わなければいけない言葉は、いつまでたっても口には出来なかった。


 胸中に浮かぶ一抹の寂寥が、どうしても隠せない。

 蓋を被せて見ないようにしたいのに、その端から溢れ出てくる。

 ……私は、どうしたらいいのだろう。

 要らないのに。もう、要らなかったのに。

 吹けば消えそうな淡い感情が、気づけば少しずつ湧き出ているような気がする。




 帰路を辿るアルテの背に続いて、広い城の中を歩く。

 途中アルテは、世間話のように私に話を振った。

 私はそれに戸惑いつつも、ただ答えた。


「ティアはいつからここに居るの」

「……数ヶ月くらい前から」

「あれ、意外と最近」


 アルテは横を向くと、首を傾げた。それからさらに首を巡らせて、後ろについている私と目が合う。

 手招きをする様子に躊躇いながらも近づくと、歩調を落としたアルテは私の隣に並んだ。

 近い距離感が、慣れない。


「すごい奴隷根性だから、もっと前からだと思ってたんだけど」

「あの人が初めの主人という訳では無いので」

「? どういう意味?」

「私が売られてからここに来るまでの間に、二人主人がいました」


 言いながら記憶を反芻する。今よりもずっと昔、母に売られた後のことを。


「初めの主人に買われてから数年。その後屋敷で二人目の主人に出逢い、彼がどうしてもと願うので多額のお金と引き換えに私の身柄は移りました。その後に主人に連れられてここに来て、私だけが残りました」

「……なんか、ツッコミどころ満載なんだけど。そこ詳しく聞いて良いとこ?」

「……別に楽しい話ではないです」

「いや、それはわかるけどさ。まぁ今日は良いか。長くなりそうだし。今度聞かせて」


 アルテの言葉に、肯定も否定も返せなかった。ただ口元を引き結んで、所在なく視線を彷徨わせる。

 こんなつまらない話を聞いてどうするのだろう。

 以前あの人に言われた言葉を思い出す。

 私の話はどうやら同情される類のものらしいが、普通がどうなのか、よく分からない。

 だけどそれでアルテの態度が変わるようなら、それは、なんだか。

 ……話したくはないと、思う。




 どれくらい歩いただろう。

 中庭に続く扉の一つを開けたアルテは、こちらを見て軽く手を挙げた。


「じゃあまた」


 外に足を踏み出す背中が、オレンジ色に包まれた。

 空は真っ赤に燃えている。黄昏時だ。

 アルテが帰って、日が沈めば、夜がくる。

 ひとりぼっちの暗闇が。


「……何?」


 訝しむような声音に、我に返った。

 指先に何かが触れている。

 視線を向けると、自分の腕が無意識に伸びて、アルテの服の裾を引いていた。


「あ……」

「どうかした?」


 首を傾げるアルテから目を逸らし、すぐに手を引っ込める。


「い、え、なんでも」


 次は、いつ来るのだろう。

 一瞬でもそう思った自分を恥じた。

 今更、何を期待しているのか。もう何年奴隷でいると思っている。諦めることには慣れたはずだ。

 人として要らないものだから、私は母に売られた。物として必要だから、奴隷として買われた。

 その日から、意思を必要とされたことは無い。


 己の立ち位置を再確認し、ゆっくりと瞬きをする間に、全ての期待を捨て去った。

 さようなら。

 口を開こうとした時だった。




 ──「あら、そのまま帰しちゃうの?」




 どこからか聞こえてきた凛とした声に、身体が凍りついた。

 息が苦しい。酸素を求めて喘ぐ喉が、ヒューと耳障りな音を立てる。

 指先は血が通わなくなったかのように痺れて、冷や汗がたらりと額を伝った。


 ──「少し目を離した隙に、随分と面白いことになっているのね」


 ふふふ、と楽しそうな笑い声が耳に届く。

 それに反して姿は見えない。と言うよりも、何も見えない。

 暗い。

 真っ黒だ。


 一面が黒く塗りつぶされた空間が、目の前に広がっている。

 目を開けているのに、閉じているのと変わらない。上も下も分からない。ただ闇だけがそこにある。


 数度確かめるように瞬きを繰り返すと、最後に一度、目を閉じて、開けた時、突然何かが現れた。

 黒い空間の中、不自然なほど黒に侵食されていないその人は、真っ赤な髪をたなびかせて立っていた。

 髪と同色の目が細まって、唇が弧を描く。


 ──「久しぶりね。私の可愛い黒髪さん(ブルネット)


 なんで、どうして、この人が。

 初めの時以外は、ずっと放任気味だったのに。

 体の横で手を握り込む。息を吸い込む。うまく、吸えない。


「ティア?」


 呼ばれた瞬間、視界が色を取り戻した。

 目の前に、僅かに眉を寄せたアルテが居る。

 空が赤い。 浮かぶ雲さえ染め上げて、全てを支配する赤が、視界を満たす。

 戻った?

 息をつく。よく分からないながらも、緊張を解こうとして。


 それはまた、瞬き一つの間に黒へと切り替わった。


 ──「綺麗なお顔」


 近づいた手が、私の頬を滑る。

 触れた場所から何かが剥がれ落ちていくような気がして、身を竦める。


 ──「ちゃんと言いつけは守っているのね」


 真っ赤な目が、私を射抜く。

 この人の赤は炎の赤だ。

 激しく燃え上がる紅蓮の色。全てを焼き尽くす色。


「大丈夫か」


 黄昏の中に佇むアルテが、見下ろしてくる。

 ぼんやりとその顔を見上げながら、浅く呼吸をした。

 視界が二重に(だぶって)見える。

 確かにここに、この城に居るはずなのに、感覚がここでは無いどこかのものを拾い上げる。

 目眩がする。気持ちが悪い。


 これは現実? それとも夢?

 どちらが本物?

 ……どちらも、嘘?


 ──「良い表情(かお)をする様になったわね、ブルネット」


 黒い闇を背負って、私の主人は酷薄に微笑んだ。


 ──「以前は本当に、つまらない程無表情だったのに。その淡く浮かんだ恐怖の表情、とっても素敵よ。惚れ惚れするわ」


 ついと真っ直ぐに腕を伸ばし、彼女は虚空を指差した。


 ──「その子のおかげなんでしょう?」


 視界が切り替わる。視界には赤の世界。目の前にはアルテ。

 その中で、声だけが変わらず響く。


 ──「あなた、その子に恋しているのね」


 こ、い。こい?……恋。


「違う」


 認識した途端、否定が口をついてでた。力なく首を振る。

 行動とは裏腹に、心中では(さざなみ)のように動揺が広がって、頭は真っ白だった。


「違う、違います。そんなことはありません。私は」


 ───「あら、私の言うことが間違いだとでも?」


 その瞬間、背筋を氷塊が伝った。

 口を噤む。心臓が大きく音を立てる。私は、今何を言った。どうして、そんな言葉を口にした。

 何かを考えたわけじゃない。反射的に言葉が出てきた。心中で言い訳を並び立てても、状況は変わらない。

 後悔したところでもう遅い。


 ──「口答えもするようになったのね。凄い進歩」


「……ぁ」


 少し瞼を伏せた彼女の表情が、一瞬消える。

 その雰囲気に、呑まれる。


 ──「プレゼントよ」


 一点を注視するその視線を無意識に追って、身体の違和感に気がついた。

 右腕の感覚がない。動かない。

 体の横にだらりとぶら下がるその腕を、恐る恐る見下ろす。

 自らの袖口から覗く、その手は。


「────っ!」


 勢いよく右腕を押さえる。触れた瞬間、その腕は感覚を取り戻す。押しつけた左手の圧迫感を、そこに感じる。

 鼓動がうるさい。息が荒い。

 目が回る。冷や汗が垂れる。

 遠くで、楽しげに笑うあの人の声が、聞こえた。


 意を決して見た袖口の先には、先程見たものとは違い、見慣れた右手が付いている。

 その事にまた動揺して、全てを遮断する様に、きつく目を閉じた。


 何が本当なのか、分からない。

 これは現実? それとも妄想?


 頭が、可笑しくなりそう。

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