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ニッポンロックヒストリー

THUNDER IN THE EAST@LOUDNESS

作者: Tanaka-KOZO

 日本で「レッド・ツェッペリン」や、「ディープ・パープル」が流行りだした60年代後半には、まだ日本にハードロックバンドというものは存在していなかった。


日本で初めてハードロックバンドでメジャーデビューしたのは、76年「吼えろ!BOW WOW」でデビューした、山本恭司率いる「BOW WOW(※のちのVow-Wow)」である。

そしてその1年後、「レイジー」というアイドルロックバンドがデビューした。


その「レイジー」には、ボーカルに、後の「アニソン界のプリンス」こと、影山ヒロノブと、「ラウドネス」を結成するギタリスト、高崎晃(タッカン)と、ドラムスの樋口宗孝(ひぐっつあん)が、在籍していたのであった。


「レイジー」は、初期こそ「赤頭巾ちゃんにご用心」などに代表されるような、アイドル歌謡路線だったが、80年になるとシングル「感じてナイト」リリース後、「へヴィーメタル宣言」をする。


そして同年12月に、「ラウドネス」へのプロローグ的なアルバムとなる、「宇宙船地球号」という名盤を発表した。

ちなみにこのアルバムは、現在中古CDショップではプレミアが付いて、高価で取引されている。


そして「レイジー」は81年5月に解散し、メンバーのタッカンとひぐっつあんは、同年11月にはラウドネスとして、アルバム「誕生前夜」で、再デビューを果たしたのであった。


その時のラウドの第一期メンバーには、ギターにタッカン、ドラムにひぐっつあんは勿論のこと、ボーカルには、元アースシェイカーのベース兼ボーカリストだった二井原実(ニィチャン)、そしてベースには、とタッカンの幼馴染だった山下昌良(マー君)が加入する。


このベースのマー君だが、少年時代には影山ヒロノブと共に、ボーイスカウト活動を行っており、影山がリーダーで、マー君はサブリーダーだったらしい(笑)


 さて、日本にもヘビメタバンドが欲しいと思っていた80年代のリスナー達にとって、ラウドの人気は瞬く間に加速して行く。


また、奇しくも先行デビューしてたBOW WOWが、何を血迷ったか?、アイドル路線へと退行してしまい、おかげでラウドは、日本のヘビメタ界の教祖と化していく事となるのであった。


その後、ラウドを始めとしたヘビメタバンドらの人気に押され、ブラウン管のJ-POP楽曲らもヘビメタの影響を受け、アイドル歌手の曲でさえエレキギターのソロが入る程、日本は空前のヘビメタブームが訪れるのである。


ちなみに、その時期にデビューしたヘビメタバンドでは、先ほどのニィチャンが元在籍していた「アースシェイカー」、「44マグナム」、「マリノ」、「アクション!」、「X-RAY」、「ブリザード」、「メイクアップ」。


ちょっと遅れて「フラット・バッカー(※のちのE.Z.O.)、「デッド・エンド」、「アンセム」、「ラジャス」、「ブロンクス」、「リアクション」、「プレゼンス」、そして「エックス(※のちのX-Japan)などのバンドが、続々とメジャーデビューするのであった。


ラウドは83年に、3枚目のアルバム「魔界典章」をリリースすると、初のアメリカ、及び、ヨーロッパツアーを敢行。


その時の手応えを感じ、84年の4枚目のアルバム「撃剣霊化」では、「撃剣霊化」の楽曲を全て英語詞にした別アルバム、「DISILLUSION」も発表し、2度目のヨーロッパツアーを行った。


帰国後には、海外のレーベルから契約オファーが数社来る中、あの「レッド・ツェッペリン」を輩出した大手レーベル、「アトランティック・レコード」と、確か1億円かの大型契約を結ぶのであった。


そしていよいよラウドが、海外デビュー1作目となるアルバムが、今回の表題「THUNDER IN THE EAST」だ。

このアルバムにはプロデューサーに、マックス・ノーマンが迎えられた。


マックス・ノーマンは、オジー・オズボーンや、Y&Tのプロデューサーで知られる、名プロデューサーである。


この「THUNDER IN THE EAST」では、マックス・ノーマンの指示で、従来のラウドのテクニック路線は排除され、シンプルでタイトなものにされている。


当時は「ラット」や「モトリー・クルー」を代表するLAメタルが流行っており、ラウドもタイトで縦ノリな、8ビートの曲を要求されていたのだ。


そういう訳で、全米デビューシングルは、タイトな「CRAZY NIGHT」が、アルバム「THUNDER IN THE EAST」から85年に、シングルカットされたのである。


そしてこの「THUNDER IN THE EAST」が、ビルボードのアルバムチャートで、なんと74位まで行ったのである。


これは当時、国内でも結構話題となり、僕らとしても、アメリカに殴り込みをかけていったラウドメンバー達に、熱い思いをはせていったものである。


この当時の気持ちは、まだまだ西洋コンプレックスから抜けきれない日本人としては、まるで力道山がカラテチョップで、ガイジンレスラーを次々と倒して行く気持ちと同じではなかったではなかろうか…!?


そしてラウドは、翌86年にはアルバム「SHADOWS OF WAR」が、全米チャート74位となり、更に成功を収めるのであった。

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