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猫の消えた4月22日  作者: 汐見圭
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本編

 四月二十二日。はれ。

 いつもどおり、灰色のへいの上で丸くなったねこさんが空に向かって、大きくあくびをしていました。

 今日のねこさんは、右目の辺りと尻尾のあたりが茶色い、ぶちねこさん。

 これはけさ、学校に向かっていたときのできごとでした。ぼくは今、ちがう事をしています。

 このように、過去のことを、さも今おこったかのように語れてしまうのは、言葉のふしぎだといつも思うのです。お母さんに聞いてみたところ、「それはタイムスリップだね」と言ってくれました。

 よくわからなかったので、その言葉を、前お父さんに買ってもらった辞典でひいてみました。「過去や昔の時間に一瞬で移動する」と書いてありました。つまり、ぼくがうまれた時や将来大人になった時を、今のぼくが見ることができるということだそうです。

 ぼくはこれを、言葉のタイムスリップと名づけました。

 でもこれは、すこし間違えるととても危ないことになります。

 時間とばしょがずれてしまっているのですから、ぼくが友だちに話をしているときに、おかしなことを言っていると思われてしまうかもしれないのです。

 そのことを気をつけよう、と連絡ちょうに書いたところ、先生かがとてもほめてくれました。

「おはようございます」

 ねこさんは、にんげんとお話ができません。ぼくがそうやっても、ねこさんは声もあげずに、ただこちらをじっと見つめて、ある時は走っていなくなり、またある時はそのまま丸くなって眠ったりしてしまいます。

 だのにこうして、ぼくが毎日ねこさんとのお話をあきらめないのは、いつの日か、にんげんとねこさんが話せるような日が来たときに、ぼくがその代ひょうとして一番のり出来るかもしれないからです。

 そして、ぼくがねこさんと話そうとしていると、だいたいの人がぼくを見ていきます。今のところ、ぼくの背中に目はありませんが、そういうときはよくわかります。

 背中がピリピリといたむのです。初めのうちはへんな気持ちだなとしか思っていなかったのですが、そう思ったときにふり返ると、青や茶色のスーツの男のひとが、あわてたように目をそらしてどこかへ行ってしまうのです。

 どうやら、大人に、ねこさんは見えていないようなのです。なぜかというと、ねこさんに顔を向けようとするのは昨日も今日もぼくか、ぼくと同じ小学校のひとたちだけだからです。担任の先生ですら見えていないのだから、これは小学校という輪っかではなく、年れいという輪っかのなかで考えるべき事なのだと思います。

 ねこさんは架空の生きものなのでしょうか。ですが、図かんを見るとねこさんの名前はちゃんとあります。つまりこれはきっと、何年かたつと、ぼくもねこさんが見えなくなってしまうときが来てしまうかもしれない

 これは、今朝のぼくの中では、言葉のタイムスリップよりもふしぎなことでした。





 そしてこれは「いま」のお話です。

 今日は四じかん目で学校がおわったので、時間は二時ごろだと思います。

 ぼくは今、道路に立っています。これは、たとえではなく本当の話です。

 道路のまん中は車が通るのでとても危ない、というのはお父さんお母さん、担任の先生や見知らぬ地域の人達から、口がすっぱくなるほどに言われていましたが、ぼくの口がすっぱくなったことは、梅干しを食べた時ぐらいしかありません。

 足下で、真っ黒いねこさんがヌァヌァと声を上げながら、おろおろとかけ回っています。

 やがて、ブヤブヤと赤い光をまとった白い車がこちらへやって来るのです。

 これは、図鑑で見たことがあります。きゅうきゅう車です。

 そしてその救急車からいっぱい人が出てきて、足下の黒ねこさんを通りすぎて。

 ()()()()()()()()()()()()()()を、四つ足のくるまに乗せていくのです。

 きっかけは、特にありませんでした。この足下の黒ねこさんが、赤しんごう(危ないし、わたると怒られる)のまま、道路に足を出そうとしていたのです。

 仕方がありません。ねこさんはにんげんの言葉がわからないのですから。

 でも、もしも、小学校の友だちが同じようなことになっていたら、きっとみんな止めると思います。それと同じことでした。

 やがて、きゅうきゅう車が、アンアンと音を立てつつ何処かへ行きます。きっと病院なのでしょう。道路には人が居なくなります。車も元どおりに動き始めます。

 そこには、車がやってきてもなお立ち尽くすぼくと、ぼくを見上げる黒ねこさんだけが残されました。

「きこえていましょうか」

 すこしかすれた、おじいさんやおばあさんのような声がしました。だけど、人はいません。そして、車の音がとてもやかましいはずなのに、その声はぼくの中へすっと届くのです。

「だれ?」

「私で御座います。あなたの足下におりました猫でございます」

 このような話し方のひとは、『うやうやしい』というのだそうです。おととい、テレビを見ていたときにお父さんがそう言っていました。

「あなたさま。お気づきでありましょうが、時間がありません。ネコ長老に話して、あなたの御心を戻しに行かねば」

 ネコ長老さん、とはどなたのことでしょう。

「ネコ長老さまはネコ長老さまです。世の中で一番えらいのです」

「それは、そうり大臣や大統領よりえらいのですか」

「そうです」

 これはおどろきです。明日からは、ねこさんにへんな言葉づかいはできません。

 お父さんやお母さんにだけじゃなく、そうり大臣や大統領にも伝えなければなりません。

「それはともかく、今はあなたが大変です。あと三時間もすれば、あなたは二度とお父さんお母さんに出会えなくなってしまいますよ」

 それはいったいどういうことでしょう、と聞くと、そのねこさんの声は返事をします。

「あなたは私が道路に飛び出したのを、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、一人で道路に飛び出して、車に轢かれてしまったのです」

 ほとんど言っていることがわかりませんでしたが、何となく、ぼくが大変なことになっていることはわかりました。

「ひとまず私について来て下さい。長老は私の言葉は聞いてくれるはずです」

 先ほどからあたりを見わたそうとするのですが、そのたびに、ものすごいはやさの車が通りすぎていくので、その声がどのねこさんのものななのかがわからないのです。

「あなたはどこにいらっしゃるのでしょうか」

 そう声を出したとき、車と車の間から、ふと『それ』が見えたのです。

 おうだん歩道のむこうがわ、みんなが青しんごうをまっているところに、犬の『おすわり』のようなかっこうでこちらをじっと見ている、真っ黒なのに右の耳だけが白いねこさんがいたのです。

 ぼくは道路の真ん中に立つことをやめて、そのねこさんの方へと歩いていきます。

 そのあいだ、車がなんどもぼくに向かって突っ込んできましたが、なんとこれまたふしぎなことに、車はぼくの体をすり抜けていくのです。いつもこうであれば、ぼくは信号を守らなくても大丈夫ということになります。すこしだけうれしいですが、それだと何だかおかしな事になっています。

 ぼくの体にからだはぶつかりません。今、青しんごうで渡ってくる人たちも、ぼくが最初からそこにいないかのように、通りぬけていきます。

 しかしながら、ぼくはいまこうして地面に足をつけて立っているのです。ぼくが何でもすりぬける体になってしまったのなら、ぼくの体はこの地面も通りぬけて、地球の真ん中に行ってしまうのではないでしょうか。

 ですが、ひとまずそれについてはわからないので、そのねこさんのところへ急ぐことにします。

「こんにちは。話しかけてくれたのはあなた?」

 そう言うと、ねこさんは首を振りました。

「私、ヴェスペーロンと申します。長いので、ペロとお呼びください」

「ペロさん、これからぼくはどうすればよいですか」

「ひとまず、この道をあちらへ、まっすぐ歩いて下さい」

 あちら、というのは、さっきぼくをのせた救急車がむかった方でした。

「途中、コンビニを二つ見たら、その次の信号を左に曲がって下さい。あなたを元に戻すためには特別なことをしなければなりませんので、長老様に会う前に、私は別の事をしてから向かいます」

 どんなことをするのですか、きくと、ペロさんは小さな右手をひたいにあてて、話しました。

「町中の猫を、長老様の元に集める必要が有ります」





 夕焼け空の、絵の具からだして少し時間をおいたようなだいだい色が、下からだんだんと、図工の時間がおわるときの『ひっせん』みたいな色でぬりつぶされていきます。

 だけどそれを、きたないとは思いません。

 だれも欲しがらない色だからこそ、みんなが見る空はこの色なんだと思います。

 ぼくはその道を、ゆっくりと、ふみしめるように歩きます。

 ここは、お父さんの運転する車に乗っているときに、見たことがあったかもしれません。

 ひとけのないビルが、赤白青と、背丈もたがいちがいにならんでいます。その先に、一つめのコンビニがありました。

 中で、くろみどり色のパーカーを着た男の人が、本を立ち読みしていました。コンビニを通りすぎるまで、ぼくはその人のことをずっと見つめていましたが、最後までその人がこちらを見ることは、ありませんでした。

 ぼくはほっとして、歩きつづけます。

 歩いているあいだ、ぼくは周りをみることもありましたが、時々お父さんとお母さんのことを考えていました。ぼくがここにいて、ぼくの体が病院に行ったということは、きっとぼくは体に大きなケガをしてしまっているのでしょう。

 ドラマで見たことがあります。ベッドに寝そべるぼくの周りで、お父さんお母さんが泣いているのです。お父さんは強いので、泣いたのを見たことはありませんが、こうなってしまっては、どうなっているかわかりません。

「男の子は強いからすぐに泣いてはいけない、目の前で泣いている女の子を守ってから泣きなさい」と教えてくれたのは、お父さんでした。

 ぼくは、まだそういうことになったことはありませんが、だいじな人が泣いている時に、それが出来るようになりたいと思っています。

「あなた、そこのあなた」

 その声にぼくははっとします。辺りをみまわすと、二つ目のコンビニの前を通りすぎようとしていました。そしてその曲がりかどにある、家につながっているエアコンの大きな白いかんきせん(室外機というらしい)の上に、焦げ茶色の毛に青色の目をしたねこさんがいました。

「ヴェスペーロン大臣様から、案内せよと言われているのは、あなたでしょうか?」

「きっとぼくだと思います」

 そう言うと、ねこさんは飛び降りて、こちらに背中を向けました。

「よく、わかりましたね」

「あなた、他のニンゲンと違って、()()がございませんから」

 ビルとビルの間の、暗くしめった道を歩いていきます。

「案内係のサングレと申します。私について来て下さい」

 それから先、サングレさんはぼくと一言も話をしませんでした。

 そのことを気にしなかったのは、そんなことよりもすごいことが起こっていたからなのです。

 さっきまで歩いていた道が、いつの間にか、ぼんぼりが立ち並ぶ、石畳になっているのですから。

「お待ちしておりました」

「ペロさん」

 そのコンサートホールのようなところに、ねこさんがいっぱい、しきつめられていました。

 右から左まで、上から下まで、天井までもが二つの金色の珠となってぼくを見下ろしているようでした。

 それは夢のようで。本物のような、世界のすべてでした。

「少年よ。ヴェスペーロン大臣の命を救ってくれたことを、猫界を代表して、感謝申し上げる」

 そう言ったのは、真ん中の、顔と足先が黒でそれ以外は真っ白で、ヒゲが銀色のねこさんでした。

 そのねこさんが前に出ると、他のねこさんたちが一歩さがるのです。

「長老様。人間とは言え、彼の命を()()へ戻してあげるべきです」

 ペロさんが、どこからかそう言いました。

「それに相応しいかを問おうと思っていたのだが――彼は昔から、他の者達との交流が多い、希有な人間のようだ。この場に居る誰しもが、言を俟たずともその考えに至るだろう」

 そのとき、、わあわあだの、ぬあぬあだの、ひそひそとわき上がっていた声が、火山のばく発のように踊り出したのです。

「老いたものがしてやれる一番の奉公は、若い者を送り出すことだ。ヴェスペーロン大臣、先ほどの稟議は既に通している」

 そう言うと、ぼくから向かって左前のあたりのねこさん達が、ペロさんを中心に地割れのように道を開けてくれました。

「往きましょう。道は、私たちが責任を持って拓きます」

 ぼくが歩き出すと、ねこさんたちは一斉にその右前足をぼくの方へさし出します。

 桃色、茶色、白の肉球が、ぼくの背中についていてくれるという『あかし』なのでしょうか。

「大丈夫。きっとあなたは助かります。しかしそれは我々や、ましてやあなた自身の力ではありません」

 肉球の森を過ぎ去ると、いっきに風が冷たくなりました。

「ただ、我々と交流をしていたあなただからこそ、すんなりと話が通ったというだけです。それだけに、あなたの普段からの行動が全てこの一点に結実したということでは、きっとないのです」

 風はしだいにビュウビュウごうごうと、立っているのが大変なほどになってきます。

「あなたはこれから世界の色々なことを見聞きします。そして何かを決めるときが必ずやってくる。その時に、この一連のできごとを、(ことわり)としてでなく、寓話として捉えて欲しいのです」

 もう、ペロさんの話はほとんど聞こえていません。道のあかりは消え、ペロさんの姿も見えません。

「きっと、今のあなたには理解出来ないと思われます。そう遠くない未来で、またこの話が出来る日をお待ちしております」

 ――それは、テレビのスイッチを切るときのような、そんな感覚だったと思います。

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