第一破壊都市『水没都市』
どういう原理か、この都市は水に包まれている。
水の下は、過去に発展した巨大な美しい都市。
海底に古代の町が沈んだのと同じように、この水中には過去が眠っている。
過去の記録では、この街は水産業やガラス細工が盛んだったとか。
水面にはたまに中が空洞になったガラス玉が浮かんでいる。
記録の中に、『浮き球』と呼ばれるものがあったことを思い出す。
透き通った青や緑の美しいガラスは、水に包まれた幻想的な景色によくあっていた。
この都市が一体どうやって水没したのか記録にない。
この水に毒素はない。
透明度が高い、まるでガラスのように煌めく水面に手を入れる。
冷たくて気持ちがいい。
水面に出ているのは、高いビルの屋上のみ。
これなら泳いでも渡れるかもしれないが、水に濡れると風邪をひくかもしれない。
ここはそこそこ標高が高く、気温も低い。
どうやって渡ろうか、思考を巡らす。
ここからずっと東に行くと、小さな街があり、そのさらに奥には「荒廃都市」がある。
そこへ行くにはこの都市を通らなくてはいけない。
一度荷物を降ろして座る。
さわさわと穏やかな風が吹き抜けた。
どこまで持つずく水面を眺める。
この世界は、美しい。
たった一人残された私は、世界の美しさを見つけて生きている。
『この過酷すぎる世界で人間が生きることはできない』
そう言われていたが、私は今生きている。
人類がいなくなった捨てられた地で、今日も私は旅をしている。
遠く離れた最果てにある『理想郷』へ逃げたと言われる人たち。
私は、『理想郷』を目指して歩き続ける。
日が沈む赤い空。
水面も真っ赤に染まり、日中とは違った雰囲気を醸し出している。
火を起こし、寝袋を出す。
先々で集めた物資で簡単に夕食を作った。
ここは夜、特に冷える。
温かいスープをすすりながら、すっかり暗くなった景色を見渡す。
人がいなくなったこの地では、星空が美しい。
澄んだ空気に、星屑がきらめいて宝石のようだった。
過去の記録にあった『プラネタリウム』というものは、こういった星空や宇宙を体感できる施設だったという。
光が溢れた時代、星空なんてものが見えなかった中で学者たちが作り出した星空は、きっと美しかっただろう。
きっと鮮明に、忠実に無限の宇宙を写していたに違いない。
だけど、自然に勝るものはないと思う。
視界いっぱいに広がる宝石を眺めていると、私自身が空を漂っているような感覚になる。
「私も、行ってみたかったな」
はー、と息を吐き出す。
白い息は、星空に溶けて消えた。
スープを飲み終えて、コップを置く。
寝よう、そう思って寝袋の方へ向く。
―――ちゃぷん
水音。
―――ぱしゃ
水の跳ねる音。
―――ざぱ、ひた
何かが、あがる音。
振り向くと、炎の影に揺らめく人の形があった。
ひた、ひた、とこちらに近づく。
焚き火の太い木を取り、そっと灯りを向ける。
顔が鱗に覆われた、人間だった。
長い魚の様な尾、水掻きのある手足、青白い肌に同じ色味の長い髪。
姿は、少年の様だった。
「…はじめまして」
声を掛ける。
「…は、じめまして」
返答あり、意思疎通はできる様だ。
「私は、ヨナ」
「僕は、ウオ」
ウオと名乗った少年は、火を不思議そうにみている。
「赤い、何?」
「これは、火だよ。危ないから触ってはダメ」
火かぁ、と呟きながら小首を傾げて眺めている。
なんとも不思議な光景である。
「ウオは、どこのこ?」
「僕は、ここで暮らしてる。この水の中は僕らの街なんだ。」
…新しい種族が、ここで暮らしている。
新しい発見だ、ここには独自の進化を遂げた生き物が住んでいる。
「…ご飯は?」
「お魚、生で食べる。美味しいよ」
そういうと水の中へ潜っていってしまった。
…帰ったのだろうか。
そう考えると、途端に寂しくなった。
せっかくお話しできたのに。
しかし、すぐにそれは違ったと気づく。
魚を持って戻ってきたのだ。
魚は記録通りの、変わらないものばかりだった。
ウオはそれをナイフで綺麗にさばいていく。
その光景は新鮮で、私は前のめりになって眺めていた。
魚を綺麗に盛り付けて、私に差し出してくれた。
「食べてみて」
お皿を受け取り、切り身を一枚口に運ぶ。
ジュワッととろけるような口当たり、濃厚な旨みに感動した。
脂が乗っていて、食べたことのない味がする。
「美味しい?」
「美味しい!」
あっという間に平らげてしまった。
お礼にウオに、チーズを焼いてパンにのせたトーストを振る舞った。
ウオは目を輝かせて、あっという間に食べてしまった。
二人でパンに魚やチーズを挟んだサンドイッチを作って食べたりした。
お互いのレシピを教えあい、いろいろな話をした。
ここまでの旅の事、水中の都市のこと、料理のこと。
二人の談笑は、朝が来るまで続いた。
朝、生魚のサンドイッチを二人で食べ、私は旅支度を始める。
「…行っちゃうの?」
「うん…行かなきゃ」
ウオは寂しそうな顔をした。
「この先へ行きたいの、渡れる手段はないかな?」
「僕のシオに乗っていくといいよ、ちょっと待ってて」
そういうと水中へ戻っていった。
私は後片付けをする。
何か、彼に残せるものはないだろうか…。
カラン、と一本の棒が落ちる。
旅の途中で見つけた、水色の玉と緑の花の細工が施された簪だ。
女性の長い髪をまとめるための髪飾りだったと思う。
彼は男の子だが、長い髪をまとめるのにいいかもしれない。
「お待たせ」
彼の後ろには、大きなイルカがいた。
資料や記録で見たものよりもはるかに大きい。
クジラに匹敵する大きさだ。
「大きい…!」
「シオ、僕の親友だよ」
キュイ、と元気にシオは鳴いた。
よろしくね、と大きな頭を撫でると気持ちよさそうに目を細めた。
すごく可愛い。
ウオに手を取られ、シオに乗る。
シオはゆっくりと旋回して、進み始めた。
ザザザ、とすごい速さで海を渡っていく。
流れる景色を目に焼き付けながら、私は不思議な感情が込み上げて戸惑っていた。
渡り切ったら、シオとウオと別れてしまう。
きっと、二度と会えない。
そう考えると、胸がぎゅうっと痛くなって、喉がジンジンと痛んだ。
鼻がツンとして、目が熱い。
「ねぇヨナ」
ウオが隣に座る。
彼は私の首に何かをかけた。
涙型の水色のガラスの中に、さらに小さな様々な色のガラスが入った首飾り。
揺れるたびに、カラカラと綺麗な音がする。
陽の光に当たると、あの星空のように輝いた。
「綺麗…」
「僕の宝物、ヨナにあげる」
無邪気にウオは笑った。
屈託ない笑顔は眩しくて、すごく美しかった。
「ありがとう、じゃあ私もウオにあげる」
ウオの手に簪を置く。
ウオはそれを見て青く澄んだ瞳をさらに輝かせた。
「綺麗…!」
「簪、ウオの長い髪をまとめるのにいいと思う。ちょっと貸して」
ウオのサラサラの髪を手に取り、くるりとお団子にしてまとめる。
簪を挿し、ウオに鏡を渡した。
「わ、すごい!髪が邪魔じゃない!」
「泳ぐ時は外したほうがいいかもだけど、それ以外はいいと思う。」
ウオはとびきりの笑顔で「ありがとう!」といった。
そして、私を抱きしめた。
「大好きだよ、ヨナ。君は僕の友人だ」
ひんやりしたウオの体温が、心地よかった。
こんなに優しい気持ちは初めてだった。
『別れ』
そうだ、私は嫌なんだ。
別れるのが、辛いんだ。
やっと出会えた私以外の存在から離れたくないんだ。
だからこんなに、涙が溢れてくるんだ。
「ヨナ!?どこか痛いの…?」
ウオが慌てる。
どうしたらいいかわからないような困った表情だった。
「違う…違うんだよウオ…っ」
ウオの優しさがどこまでも嬉しい。
別れは辛いけど、心は穏やかだった。
「ありがとう、ウオ。君に出会えてよかった。」
『水没都市』の終わり。
荒れ果てた瓦礫の山に私は降り立った。
「シオ、ここまで運んでくれてありがとう」
キュイー…と寂しそうな声を上げる。
私はシオの頭に身体を寄せた。
「ウオ、お別れだ。楽しかった」
「僕も楽しかった。またいつか、会いに来てくれる?」
「もちろん、またいつか一緒に料理をしよう」
ウオとシオを見送る。
二人が見えなくなるまで、私はいつまでも手を振っていた。
どこまでも広がる水平線に、水面の出会いに想いを馳せた。
『記録:水没都市』
『水没都市は水に沈み囲まれた都市である。過去の水産業やガラス細工のかけらが多く見られる。当然人が住める場所ではないが、ある種族を目撃した。人の形の、魚のような種族。彼はとても美しい、幻想的な姿をしていた。水生生物と意思を通わせ水中で共存をしている。水に適応した新しい人類という見方もできるが、私は違うものだと推察する。彼らは、人類ではない、独立した新たな生き物であると。私の友が、あの美しい地でいつまでも平和に暮らせることを願って。』