19 リノ視点
マーティナからもらった資料を鞄にしまい、家へと帰る。心なしか急いていたから、ルル姉に早足をさせてしまった。
太陽は沈みかけていて、空は紫色の変な色をしていた。
玄関を開けようとして、違和感に気づく。母さんはいつも遅くまで仕事をしていて誰もいないはずの家に、確かに誰かがいる気配がある。
「え。か、母さん? 」
「あら、お帰り。早かったのね」
それはこっちの台詞だと言いかけたのを飲み込み、台所に立つ母さんに近づく。いつもは着けないエプロンをつけて、箱に入った大量の野菜の前で腕を組んでいた。
「それ、どうしたの」
「知り合いにもらったのよ」
貰えるものは貰っとかなくちゃねと腕まくりをし、いくつかの野菜を取り出していた。もしかしたら。
「後で聞きたいことがあるんだけど、いい? 」
「もちろんよ」
何かを察した顔をして、けれどすぐに母さんは夕食の準備に取りかかっていた。
今晩の夕食は、僕の好物のものばかりだった。
「実はね、母さんがいないときに貴族の人が手紙を持って来たんだ。心当たり、ある? 」
母さんは数秒瞳を閉じた後、マグカップに手を添えた。ふっと笑って、壁にかけたエプロンを見やる。
「そう。貴方のところにも……母さんの職場にも、野菜と包みを持ってきたのよ。迷惑な話だわ。だから今日は早退させてもらったの」
そう言った母さんは全然嫌そうな顔ではなく、しょうがない子だとでも言うよな、嗜めているような顔をしていた。
「友人があちらのことを調べてくれてね。母さんは分かっているの? 僕が本当は」
「そうよ。貴方には貴族の血が流れているわ。けど、ただ、それだけとも言えるわね」
母さんは昔、伯爵の家の近くで働いていたらしい。普通にしていたらかかわり合いのないはずなのに、なんやかんやあって、いろいろあったらしい。そのなんやかんやや、いろいろは教えてくれなかったし、話したくはなさそうだったので黙っていることにした。
「リノは、断りにいくつもりなのね」
「うん。僕は……ルル姉のそばにいたいから」
「そう、分かったわ。あ、それと」
母さんは手招きをし、近寄った僕の耳に口を寄せた。
「思いを伝えるのは、早いに越したことはないわよ」
「……わかってる」
この件を終えたらルル姉に伝えるのだ。いや、まあ、意識してもらうのが先だけれど。
伯爵の屋敷は王都から離れたところにあって、学校を休む必要があった。王都を離れる前の日、ルル姉といつも別れる道で僕は言った。
「ちょっと遠くに行くけど、必ず戻ってくるから。それまで待っていて」
誰のものにもならないままで。
ちょっと大げさだったかもしれないけれど、不思議そうなルル姉はちゃんと頷いてくれた。
***
大きな屋敷に尻込みしてしまっている自分人身に、心のなかで渇を入れる。こんな対面イベントよりも、僕にはもっと大事なイベントが待っているのだから。ここでつまずいている暇など、僕にはないのだ。
門番らしき人に手紙を見せると、すぐに奥から黒服のおじさんがやってきた。
「ようこそご足労くださいました。旦那さまは中でお待ちです。こちらへ」
高級そうな、いや本当に高級なのだろう革張りのソファが二つ、鎮座している部屋に案内される。その片方に母さんよりも年上の壮年の男性が座っていた。恐らく彼が旦那さまとやらなのだろう。
「ああ、よく来てくれたね。君、一人かい? 」
「母にも仕事がありますので」
セレスタン・ドラグランジュと名乗った旦那さまは、僕の言い方にも目くじらを立てずにこやかに笑っている。器の大きい人と見ることもできたが、言い様のない薄気味悪さを感じた。
「今日は手紙の返事を直接伝えに参りました。それとひとつ、尋ねたいことがあります」
「……わかった。いいだろう、聞かせてくれるかな」
大楊に頷いたドラグランジュ様は、お茶を口に含んだあと右手に輝くサファイアの指輪を撫でた。
「まず、僕、いえ私は貴方がたの家族になることは出来ません。私の家族は母一人です」
「そうか。そんな気はしていたんだ」
「では、何故あのような手紙を」
手紙には、我が息子になってはくれまいかと。一員になるつもりはないかと書かれていた。
「愛する人の愛しいものを知りたいと思うのは当然のことだろう。君にとって幼馴染みの彼女が愛しい人であるように、わたしにとってあの人は永遠に愛しい人なんだ。やっと、やっと消息を知れたのだから、全て知りたいと思ったんだ。あわよくばわたしのもとに戻ってきてはくれないかと思っていたが」
早口で捲し立てるように話し、項垂れるように頭を抱えている。お貴族様であるお方のこのような姿は、見れるものではない。
「君が一人できたということは、そういうことなのだね」
悲痛そうに呻いた後、顔をあげたドラグランジュ様は、スッキリした顔をして「探ることは止めないがね」と呟いていた。
その後母のことについて根掘り葉掘り聞かれた後、気がつけば豪奢な内装の馬車に揺られていた。
気を回してくれていたのか、行きよりも半日早く王都についたその足で、ルル姉のもとへ向かった。
「た、ただいま、ルル姉」
買い物かごを手にしたルル姉が戸口の前に立っていて、それに後ろから声をかけると、振り向いた彼女は大きな瞳を目一杯開いていた。
「ルル姉? えと、リノだよ? 」
最後に会ってから何週間も経っていて、何の言葉も発さないルル姉は、もしかしたら自分を忘れてしまったのかもしれない。そう思いながら声をかけると、買い物かごを手放し走る勢いを殺さずに抱き締めて来てくれた。
「ルル姉」
「リノ、お帰りなさい」
離れていたといっても数週間。それでも今までずっと互いが側に居て、離れたことがなかった僕らからすれば、もっとずっと長く感じていた。その全てを埋めるように背中に手を伸ばし、少しだけ下になった頬にすり寄る。ルル姉、愛しい人。貴方の側が、自分の居場所。
「好きだよ、ルル」
びくりと揺れた両腕の中のぬくもりに気づかない振りをして、きつく抱き締めた。




