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私が初めて王宮にお呼ばれしたのは、忘れもしない10歳の時。婚約者候補の顔合わせを兼ねたお茶会が開かれた。そこでスサナ様ともお友達になったのだった。
一週間後、手紙を受け取った私は、お仕事のあるお父様と一緒に門をくぐる。王宮へと続く道で呼び止められた。
「何かされたら、ちゃんと助けを呼ぶんだぞ。父様も駆けつけるからな」
殿下は心配されるようなことをする人ではないと思う。反論をしようと、強めに握られている手を外そうとしていると、カツカツと誰が近づいてきた。
「ベルナルドはうちの息子を何だと思っているのかしら」
「っ!……王妃殿下、ご機嫌麗しく」
突然の王妃殿下の登場に、お父様が手を離し取り繕い、私もカーテシーをする。大変恥ずかしいところを見られてしまった。
「畏まらなくていいわ。ベルナルド、マーティナさん、久しぶりね」
「ご無沙汰しております」
王妃様とは婚約のお披露目の時にお会いして以来である。
深い青の星を散りばめたようなドレスを着た王妃様は、相変わらずお美しい。以前お父様と同じ歳であると聞いた。学園でも机を並べていた仲だという。
そんな王妃様は、侍女と護衛数人だけを伴っているが、お父様に用事でもあったのだろうか。しかし、一瞬目配せしただけで、すぐに私の方を見る。
「マーティナさん、あなたが来ることは聞いていたわ。わたくしと参りましょうか。帰りはアルノに送らせるから、迎えは結構よ」
そう言うと私の肩に触れ歩き出してしまう。どこかダメージを負っているお父様に小さく頭を下げ、早歩きでついて行った。
「マーティナさんは、うちの子に呼ばれてきたそうね。あの子ったら、珍しく浮かれていたわ」
お父様の発言について何か言われると思っていたら、想像もしていなかったことを言われてしまった。そうか、殿下は楽しみにしてくれていたのか。
そう思ったら、自然と頬が緩んできて、慌てて口を引き締める。絶対今、だらしのない顔をしていただろう。
「働き詰めであったと聞きましたので、本当は、ゆっくり休まれて欲しかったのですが」
王妃様は私の言葉に僅かに笑みを漏らし、あの子は幸せものねと呟いた。
私はそんな話をしていただろうか。内心そう思いながらも相槌を入れる。
「マーティナさんは、あの子のことはなんと呼んでいるの? 」
唐突に、ウキウキした顔で訊ねられて、言葉につまる。瞳はキラキラと輝いていて、恋バナに興味津々の乙女そのものだった。
「お、お名前でお呼びしております」
「そう。何か、困っていることはない? 」
「いいえ。とても良くして頂いております」
良くして頂き過ぎている方だと思う。形だけの婚約というわけでなく、自惚れでなければ、お気持ちも向けてくれているのだから。
けれど、私は頂いている分だけ返せているのだろうか。
「あの子は変なところで気にしいなのよね。そのわりに図々しいところもあるし。マーティナさんにも迷惑かけていないといいのだけれど」
「そんなことはありません。私の方が相応しくないのではと」
殿下のことを気にかけている様は、まさしく母親のそれだった。王族だというだけで案外変わらないところもあるのかもしれない。
「マーティナさん、そのような物言いはしてはいけないわ。あなたにとっては王命だったかもしれない。けれどあの子があなたを選んだの。少しはあの子に気持ちを向けてくれているようだけど。でもね、あなたは魅力のある子ということなの。あまり卑下はなさらないで」
「……ありがとうございます」
鼻の奥がツーンとして、唇を噛み締めた。
婚約者のお披露目のときにも、好ましいと言われたことを思い出した。私は、どうだろう。殿下に対して、気持ちを一度も言葉にしたことは無い。やっぱり私は返せていないものがある。
まずは素直になってみようと心に決めた。
その後会話を交わし、殿下が居るという温室が見えてきた。
「ありがとうございました」
「いいえ。来年からお妃教育も始まるでしょうし、王宮に来る機会もあるわね。またお話しましょう、マーティナさん」
***
「何も変なことをしないでちゃんと送り届けるのよ」
「何を言っているんです、母上」
不思議そうな殿下に言いおいてから、王妃様はこの場を後にした。
「まさか、母上自ら出迎えに行くとは。申し訳なかったね。何か言われたりしたかい? 本当は僕が行くつもりだったんだけど」
殿下はぎりぎりまで急な仕事を片付けていたらしい。忙しいなら今日の訪問も遠慮したのだが。そう言うと、マーティナに会えるならもっと頑張れるから、と目も眩むような笑みを浮かべた。いつにも増して目に毒である。
さて、素直になって見ようと決めた私だが、初歩の段階で躓いている。そもそも私は殿下を好きなのだろうか。王妃様に気持ちを向けていると指摘された通り、少なからず殿下には好意を持っている。
殿下の一挙手一投足に鼓動が速くなったり、体が熱を持ったり。いやこれは殿下が大変見目麗しい方であるからかもしれない。それから、お出かけにそわそわしたり、自分では不相応ではと思ったり。
あれ、これが恋しているということなのか?
一人小首を傾げる私に、どうしたんだい? と殿下は心配そうにしているが、口元に笑みが浮かんでいる。笑われているに違いない。
でもその笑みさえも、今日はやけにきらきらして見えた。
「来年、兄上の結婚式があるのを知っているよね。それを待って僕らも卒業してから式を挙げる。君は理解してくれていないかもしれないが、僕は君が好きなんだ。僕は君以外考えられないけれど、どうしても嫌だと言う時は、それなりに方法はある」
「待ってください」
突拍子もないことを聞かされているうちに、殿下の言わんとしていることがわかった。王族との婚約を破棄することは難しいけれど、べつの逃げ道がある。破棄するなら今のうちだと言っているのだ。
それもこれも、私がはっきりした態度を取らなかったからだ。
政略結婚ともいえるこの婚約に気持ちなど必要ないに等しい。けれど、殿下は優しいから別の方法を示そうとしてくれている。
でも。
「私……私もアルノルフ様以外考えられない。だから、そんなこと言わないで欲しいです。あなたが、好きだと、気づいたから」
だんだん言葉尻が萎んでいき、視線も下がっていく。握りしめたスカートにはシワができていた。
いつの間にか立ち上がっていた殿下が近づき、私を抱きすくめている。触れる布越にも振動が伝わってくるが、それが自分の音と合わさって大きく聞こえた。
「その言葉を待っていたよ」
熱い吐息ののちに零された言葉に、手で押し返して下から見つめる。私の視線に一瞬狼狽えたような様子を見せた殿下だったが、すぐにニコリと笑った。
「試したというのですか」
「僕は別に婚約破棄を勧めていた訳では無い。言っただろう? 君以外考えられないと」
嬉しいとまた微笑んで私の頭にキスを落としたけれど、なんだか腑に落ちなかった。




