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気づかれていると分かっていながら、私は息を押し殺し、出来るだけ身動きをしないように努めた。ピンと張り詰めた空気の中、草木が擦れる音が聞こえてくる。
(ひっ! )
ニョロニョロと蛇のように青年の腕が伸び、こちらに向かってきている。足元を彷徨い、枝のような腕の先が足首に触れた。
声が出そうになって慌てて口を噤むと、前方にいる青年がぐりんと首を回し、近寄って来ているのが見えた。
逃げようにも、足首は枝に掴まれ縫い付けられたように動けない。
「君は……あの時の」
冷静な声で話しかけられ、隠れ通すことは出来ないと悟った私は諦めることにした。
けれど、今更なんと言えばいいのだろう。正直に、自分がしてしまったことについて謝ればいいのか。悶々と、ぐるぐると考えてしまい、堂々と青年の前に立つことが出来なくなってしまった。
そんな私に無常か、気遣ってか、青年が声をかけた。
「僕に、傷を付けた子だね」
笑みを含んだ声で口にした言葉に、罪悪感から私は動けなくなった。
いや。もう、正直に出てしまおうか。こちらとしては、隠れ続けるのを諦めた身だ。
意を決して、声を絞り出した。
「そ、その節は……」
ヘコりと頭を下げ、曖昧な笑みを浮かべる私に、青年は何も言わない。
なにが、その節はだ! と、自分自身にツッコみ、私は冷や汗を垂れ流した。
「いや、そんな怯えなくてもいいよ。すぐに僕の方の傷は治ったからね」
柔和な様子の青年は、意図せずとも私の傷を抉ってくる。本当は怒り心頭で私に復讐をしに来たのではないか。だらだらと流れる汗を拭い、私は居住まいを正した。
「正気に戻すためとはいえ、申し訳ありませんでした」
頭を下げる私に、青年は苦笑した気配がした。ただ、気配だけだ。目は笑っていないかもしれない。
「ねえ、ちょっとお話しようよ」
青年連れられ、私は巨大樹の所まで戻ることになった。確かに開けた場所ではあるが、一日に何度も来るとは思わなかった。
何を話すことになるのだろうと不安でいっぱいな私とは違い、青年はどこかルンルン気分で見回している。植物がたくさん生い茂っていることが嬉しいのかもしれない。
見終えた青年は、近くの枝を伸ばして椅子を作り、私に勧めた。すごいな、と思ってから長く話すことになるのだろうかとさらに不安は募る。
「そんなに気負わなくてもいいよ、もうなにも怒ってないし」
「そうは問屋が卸さないといいますか」
「人間は今そんな言葉を使うの? 面白いね」
笑われてしまった。
あ、これは前世の言葉であったか。
「では、私に何か出来ることがあれば」
そう言った私に、青年は笑って首を振る。もう本当にいいから、と。
むしろ困らせてしまったかもしれない。
「この前、君が僕の仲間を助けてくれただろう? それだけで十分だよ」
「……はあ」
この前とは、茂みにいた小さなふたばのことだろうか。
しかしそれはクレイグがいなければ気づかなかっただろうことで、感謝の大元は彼であり……。そう考えて、なんとも言えない返事になってしまった。
「体の大きな彼のおかげかもしれないが、君の手柄でもあるんだよ」
見透かされていた。なんでもお見通しなのかもしれない。
「だから、同じ植物の精霊としてお礼を言うよ。ありがとう」
薄々そうではないかと思っていたが、精霊様だったのか。今更ながら、まるでファンタジーだと驚く。
いえ、と返すと青年は立ち上がった。そして巨大樹の前に立ち、興味深そうに見ている。
「まだ、あいつの匂いがするね」
枯れてしまった巨大樹を撫で、力を与えるように撫でている。見た目には何も変わっていないが、しばらくすると、ぽうっと一瞬だけ光った。
「用心するに越したことはないからね。君も、何かあれば僕を呼べばいいよ」
私の方を振り返った青年はそれだけ言うと消えてしまった。
なんだかとっても疲れてしまった。
***
くたくたになった私を屋敷で出迎えたのは、やけに笑顔のセザールである。あの、無表情が常である彼が、である。その背後には猛吹雪の幻覚が見える。
「遅いおかえりですね、お嬢様」
「ごめんなさい。私もお昼よりも前に帰ってくるつもりだったのよ」
屋敷にやってくる時には日が傾き始めていた。
私だって、こんなに遅くになるなど思っていなかったのだ。それが、神殿のようなものやドライアドの青年と出会うというイレギュラーが起きたことで、遅くなってしまっただけである。
それを包み隠さず伝えると、長い長いため息を吐かれてしまった。
「次からはお気をつけください。何もなかったから良かったとはいえ、お屋敷の敷地内でも何が起きるか分からないのですから。次からはすぐ側に護衛を付けるようになるかもしれませんよ」
「はい。気をつけます」
行き先を伝えていたが、遅くなり心配させてしまったのだろう。
反省し落ち込む私に、セザールが優しく声をかけた。
「お嬢様、王都で買ったお菓子とともに、紅茶でも入れましょうか」
「ええ。お願いするわ」
「さ、お召し物が汚れてますよ。お着替えもなさらないと」
それからメイドに甲斐甲斐しくお手入れをされてから、夕食までの時間に少しだけお菓子を食べた。ほろ苦いクッキーは、セザールの入れてくれた紅茶ともあっていた。
クッキーを食みながら、少しだけ意識を森で見た神殿へ向ける。
あのような大きな建物が、今まで全く存在を感じなかったことが謎だった。蔦で隠されてはいたが、何年も森に足を運んでいて、気づかないものだろうかと。
お父様にも聞くべきだろうと考え、今は目の前の美味しいお菓子と紅茶に集中することにした。
夕食後にお父様とエド兄様にも聞いてみたが、お二人とも神殿があったことにはついて知らないということだった。後で調べるために色々聞いてくるお父様の様子からも、私だけ知らなかったわけではないのだろう。
しばらくしてお父様が退出し、私も本を読もうかと腰を上げたところでエド兄様に呼び止められた。
「たまには兄様と話さない? 」
二人がけのソファに移動して、紅茶も新しく入れてもらう。フルーツの香りがするものだった。
手紙でやり取りはしていたが、面と向かって話をするのは久しぶりである。会っていない間に、エド兄様はますますイケメンになられ、お父様にそっくりになっていた。
「たまには帰ってきてくれていいんだからね。僕も父上も寂しい」
真面目な顔をしてそういうものだから笑ってしまった。それを見て、エド兄様は相好を崩した。
「笑ったな。僕では何も頼りにはならないかもしれないが、話を聞くことは出来るよ。無理強いはしないけど」
私はまた、心配をさせてしまったのか、と内心苦笑する。
隣で紅茶を飲むエド兄様を見て、言ってもいいかと考え始める。うん。そうだ。エド兄様にはこれまでなんでも話してきたじゃないか。
「エド兄様、聞いてくれますか」
「いいよ」
優しく微笑まれ、私は話すことにした。
今調べている巨大樹のこと。ミラルダ先生のこと。不安を感じていること。
話せば、勝手ながらスッキリしてきた。
「マーティがどうしたいかが重要だよ。何かや誰かへ勝手に遠慮しているというなら、お門違いだ。僕はマーティの味方だし、味方になってくれるような人はいるだろう? 」
先生は興味からではあるが手伝ってくれると言っていたし、今日会った青年は何かあれば呼べばいいと言ってくれた。そう考えれば、助けてくれそうな人は少なからずいるのかもしれない。
「そうですね。ありがとうございます、エド兄様」
「うん。元気になったようで良かったよ」
その晩の夢に、日に二度も行ったためか湖が出てきた。その上に立つ女性に、とても興味が引かれた。
白い服に、長く艶やかな白髪を靡かせている。きっとあれは、あの人は神様だ。神殿のステンドグラスに書かれていた人物に、とてもよく似ている。
何も言わずこちらをじっと見ていて、怖くなる。少し恐怖を感じていた私は気づかなかった。
「頼みました」と、音もなく口が動いていたことを。




