16
帰るはずだった私たちは、殿下の私室に案内されていた。
お誕生日席に位置する、革張りの一人がけのソファに殿下が座り、向かい合うように置かれている三人がけのソファに私とエド兄様がそれぞれ座っている。
紅茶は注いでもらったばかりで白い湯気が立ち上っていた。
視線が突き刺さる、居た堪れない雰囲気をどうにかしようにも、熱めの紅茶はまだ飲めないし、入れてくれたメイドも部屋を出ていってしまった。
「エド兄様、何に対して怒っているのですか」
「それは僕が聞きたいね」
エド兄様はまだお怒りのようだ。
殿下の言った、無事ではなかった、という言葉を忘れてはいなかったらしい。
説明しようにも、私自身心当たりがないので出来ないのだが。
「私が話そう」
エド兄様がこうなってしまった元凶、殿下が教えてくれるようだ。
エド兄様の耳もとに口をよせ、囁く。
どうやら、私には聞かせないつもりらしい。
殿下から直に聞いたエド兄様は、みるみるうちに、眉間に刻まれたシワを深くしていく。
「マーティナ」
エド兄様が低い声で私の名を呼んだ。お父様もだが、エド兄様も、怒る時だけちゃんとした名で呼ぶのだ。
それがまた恐怖を煽る。
「はい」
「婚約者候補であろうと、なかろうと、無闇矢鱈に他人に近付いてはならないよ。不快に思う人もいるからね。ちゃんと学んだのではなかった? 」
スサナ様の手を握ったことか? 殿下に近づいたことか?
それとも、意識しないうちに何かやらかしていたのだろうか。そんなことを考えていたからか、エド兄様の言葉に数秒固まる。
貴族としての教育として、ダンス時を除き一定の距離を保つものだと書いてあった。それは物理的にも精神的にも。この世界は異性とはもちろん、同性ともあまり接触はしないのだとか。
スサナ様はなんとも思っていないようだったから、忘れてしまっていた。懐の深さを実感する。
「学びました。すいませんでした」
「わかったらいいんだよ。今後何か抗議を受けるようなものではなかったというし、子供同士ということは考慮されるだろう」
うんうん、とエド兄様は頷き紅茶に手を伸ばす。
話は終わったということだろう。
私もまた紅茶に手を伸ばし飲み始める。少しだけ冷めて、飲みやすくなっていた。
「ところで、アルノルフはマーティと話したのか? 話したがっていただろう」
「いや、マーティナは近づいてこないし、逃げようとするしであまり話せなかったよ」
殿下が私を横目で見て言った。
そんな言い方はまるで野良猫に対するようではないか。
少しだけ腹が立って、けれどもそれをそのまま言っては癪だし不敬だし。
「殿下の周りにはご令嬢方が集まっていたではありませんか。それに、近づいて逃げたのは殿下の方では? 」
私は自身の行動を棚に上げて、殿下に言い募った。
何も間違ったことを言っているつもりは無い。
「マーティナ、君はその事を先程怒られたばかりだろう? だから僕の行動は正しい! そもそも、婚約者であるなら、僕のとこに来るのは普通なんだ! 」
感情的になったのか、一人称が僕になっている殿下を無視して、私はまた紅茶を飲み直した。
「そのことに関しては反省しています。それが殿下の行動とどう結びつくかはわかりませんが、不快に思ったのなら、謝罪致します。あと、婚約者候補であって婚約者ではありませんので」
「先走っただけだ! 」
ツンと済まして言えば、殿下はますます不機嫌そうな顔をした。
先走ったも何も無いだろう。
そこにカラカラとした笑い声が混じる。
――エド兄様だ。
「もう仲良くなったんだね。友達が増えるというのはいいことだと思うよ。あとアルノルフはもう少し素直になったらどうだ? 」
どこをどう見たら仲良くなったと思えるのだろう。それに十分殿下も素直に返答してきたではないか。
ほら、殿下も首を傾げているし。
「仲良くはなってないと思います。それにこんなに沢山話したのも、今が初めてですし」
「じゃあ、これからもっと仲良くなっていくんだろうね」
エド兄様はニコニコと笑っている。
嬉しそうならそれでいいか、とも思った。
**
やっと帰れることになり、馬車に乗り込んでしばらくしてから思い出す。
スコーンの作り方聞くの忘れた!!
と。




