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聖なる矢

 王都やそれにほど近い郊外は、物流の拠点ということもあり豊かな街だ。

 整然と広がる木造の街並みは、序列的でありながら、それでいて赤やオレンジ、緑といった具合にビビットカラーが我が家を強く主張する。

 対して、シグルンの住むような——田舎や辺鄙な農村では、石造りの壁や屋根代わりに芝を乗せた素朴な家がポピュラーだ。



 一番近い人里から一里ほど離れたところ、緩やかな丘の上にシグルンと養母の住む長屋はあった。

 石造りの壁には蔦が這い、屋根には苔がびっしりむしていた。家の側には小川が流れ、水車がカラカラと小気味良く音を立てて回っていた。

 そして最も特徴的なのは、長屋と馬屋がつながっているため、芝草の青い匂いに馬の匂いが入り混じって、少しばかりか臭いと言えるところだ。



「ただいまー、お母さん」



 シグルンが間延びした声で言いながら扉を開けると、養母のゾーイ・シュタットは洗濯物を畳んでいるところだった。



「あら、おかえり、シグルン」



 ゾーイは手を休めてシグルンに笑顔を向けた。

 目尻にはちりめんのように皴が寄っていたが、シグルンよりずっと若く見えた。

 白髪混じりの赤褐色の髪に、鋭い眼光をもった煉瓦色(れんがいろ)の瞳には貫禄がある。エプロン姿だが片手にはいつも魔法の杖を手放さず、見るからに強そうだ。年の頃なら四十か五十。

 初めて会う人に、シグルンが母でゾーイが娘だと思われてしまうのは、この家ではよくある間違いだ。尤も顔見知りの近隣の村人たちでさえ、正しい親子関係を認識しているとは思えないが。



 シグルンとゾーイは本当の親子ではない。

 かつてゾーイが王宮魔法使いだった二十五前、森に捨てられていた赤ん坊を拾ったことから親子の縁は始まったという。

 今でさえ老婆のような娘は、さぞや醜い赤ん坊であったことだろう。シグルンの本当の両親は、我が子のひどい顔にさぞや悲しんで捨てたことだろう。シグルンはそう思っている。



 しかし、養母となったゾーイは愛情深い人間だった。

 王宮魔法使いを引退すると、王都から遠く離れた山で隠れるようにではあるが、シグルンを大切に育てた。シグルンの欠点である容姿をもってしても、生きていくことのできる知識と才能を分け与えながら。

 恥ずかしくて言うには(はばか)られるが、シグルンはゾーイに感謝していた。



「ところでシグルン、お前、屋根の上を見たかい?」



 ゾーイは事もなげに屋根のある天井を指差して言った。

 シグルンは何のことだか分からず首を傾げる。



「家に帰るのに見なかったのかい? 自分の家の屋根だろうに」



 ゾーイは当たり前のように言うが、わざわざ帰宅の度に家の点検をする人がいるというのだろうか。

 シグルンは少しむっとした気持ちを抑えて、もう一度外に出た。

 ゾーイの言う通り、苔の生えた屋根に確かにそれはあった。矢が刺さっていたのだ。



「嘘でしょ? 賊の奇襲か戦争でもあったって言うの?」



 シグルンは思わず声が震えた。

 その様は我が家が攻撃されたとしか見えなかった。

 ゾーイは洗濯物を籠に詰めてテーブルに置くと、動揺するシグルンとは正反対によいしょと緩慢に立ち上がった。



「いいや、違うね。それはグヴズムンドゥル王室の魔法のかかった矢だよ。危険なものではないけれど、魔法がかかっているから簡単に屋根から外せないよ」



 ゾーイは淡々と答えた。

 この人——ゾーイは昔から愛情深くシグルンを育てる一方で、常に冷静で聡い女だった。シグルンはゾーイが取り乱したところを見たことがない。



「だとしても、これをそのままってわけにもいかないし……そもそも何でうちの屋根に? え、魔法?」



 頭に次々と疑問が浮かび、シグルンは困惑した。突き刺さる矢から目が離せない。



「何十年ぶりかの()()()()じゃないかと思うけど……」



 ゾーイはシグルンの質問に答えないまま、少しの間思案した。そして、はっとしたように目を開くと、穏やかに笑った。

 ごまかしではなく、それでいて喜びでもない笑顔で、シグルンには何を考えているのか判別し難かった。

 この人は昔から一人で納得してしまうようなところがあった。

 シグルンは皴くちゃの顔を益々歪めた。



「まぁ、刺さりっぱなしでも大丈夫でしょう。それよりシグルン、井戸に水を汲むついでに、庭の花に水やりをしてちょうだいな」



 ゾーイは鼻歌混じりに言った。機嫌は良さそうだ。

 シグルンもこれ以上問い詰めても何も答えは得られないと観念して、ええ、と短く答えた。

 そういうとき、答えは自分で見つけなければならない。昔からそうだった。



 シグルンはふと先刻見た白昼夢の流れ星のことを思い出した。あまりにも一瞬のことで確証もないが、この件と結びつけられないかと考えた。

 しかし根拠もない以上、思考は行き止まりになった。



「水くらい魔法を使えば良いのに」


 

 シグルンはちぇっとこっそり舌を鳴らした。

 ゾーイは耳ざとくそれを聞くと、相棒である杖でシグルンの尻を小突いた。シグルンは声にならない悲鳴を上げ尻を抱いて、地面に突っ伏してしまう。




(……もうっ!)








****

 その晩のこと、シグルンはなかなか寝付くことができなかった。



 ベッドの上で何度か寝返りを打った後、矢の突き刺ささった屋根、もとい天井を仰ぎ見た。

 ゾーイの『大丈夫』という言葉を反芻する。

 ゾーイは元王宮魔法使いだ。魔法のことなら何でも知っているし、ゾーイが心配ないと言えば本当に大丈夫だろう。

 しかし、シグルンは言い様のない不安が押し寄せて胸がドキドキしていた。十分な説明もなしに大丈夫なんて、曖昧にも程がある。



 ふと横を見れば、隣のベッドではゾーイが寝息を立てていた。長屋は馬屋ともつながっているため、馬の荒い寝息も聞こえる。

 決して裕福ではないシグルンの家は、たった一つの部屋しかない。子どもの頃からこの一部屋をゾーイと、少し離れた場所で馬と共有してきたのだ。



 シグルンはそっとベッドから抜け出すと、音を立てないようにゆっくり息をしながら、夜の(とばり)が下りてしんしんと更ける外に出た。

 手燭に灯った小さな炎と、わずかばかりの月明かりだけが辺りを照らしていた。



 シグルンは子どもの頃から悩むと夜な夜な抜け出す、ある種の癖があった。



「綺麗ね」



 シグルンは俯いてひとりごちた。闇夜にシグルンの高く透き通った声が吸い込まれる。



 草木も眠る時間だ。

 庭に植えられたほとんどの花が固く閉じられ(こうべ)を垂れているが、花壇の一角に場違いに一人起きている花があった。少し青みを含んだ白の花弁は細く、幾重にも重なり、月を仰ぐように凛と頭を上げていた。

 それ——『月下美人』は夜にだけ咲く特別な花だった。



「おかしいよね。私はこんなに醜い女なのに、あなたはとっても綺麗」



 シグルンは自嘲気味に眉を下げると、月下美人に大きなかぎ鼻を寄せる。甘い香が大きなかぎ鼻をくすぐった。



「夜遅くにごめんなさい。ちょっと心配なことがあって眠れないの。あなたを見てたら私元気が出てきたわ」

 


 月明かりに照らされた月下美人は、夜風にさわさわと花弁を揺らした。



 養母と暮らすシグルンにとって、夜は一人きり自由になれる唯一の時間だった。皆が恐れる夜更けを、シグルンはこの静まり返った美しい夜の世界が何より好きだった。

 子どもの頃から嫌なこと、例えばゾーイに怒られたときなどは、よく反省する素振りを見せつつ、夜家を抜け出して花に愚痴を零したものだ。

 花はシグルンの唯一の友達かもしれない。

 シグルンは育てている花が枯れると、決まって泣いてしまうくらい花を愛していた。

 もちろん、こんな顔で花好きだなんて恐ろしくて言えないが。



 シグルンが月下美人を優しく撫でながら微笑んでいると、思いがけず耳に何かが触れた。



 蝶だ。



 白い蝶が羽をはためかせて、シグルンの特徴的な尖った耳をくすぐった。



「あら、珍しいわね。蝶は眠る時間よ。そういう私も眠る時間なんだけど、もしかしてあなたも?」



 シグルンはくすくす笑って、人差し指を立てた。耳元の蝶は(いざな)われるように指に止まる。

 金色の鱗粉が軌跡を辿るように舞っていた。



「これは————」




(————魔法だ!)




 ゾーイが魔法を使うとき、こうした金色の光が煌めいていたのを、シグルンは急に思い出した。

 ゾーイの仕業だろうか。



「お母さんたら……」



 シグルンは胸を熱くさせる。まだ眠れそうになかった。


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