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美しい王子

 グヴズムンドゥル王国の王室には、昔から伝わる……正確には何年前という記録はないが、恐らく建国神話の時代から始まると言われている『婚約の儀』が存在する。

 王太子となる王子は結婚相手を決めるために、十八の成人を迎える年に、精霊の宿る『聖なる矢』を天に放つ。矢は必ず若い娘の住む屋敷に刺さり、王子はその娘を妃に迎えるというのが習わしだ。



「殿下、例の儀式の件ですが、これより正午に行う予定でございます」



 殿下、そう呼ばれた青年は、書類に落としていた目線を上げた。

 綺麗な弧を描く眉が一瞬ひくついたことに、思わず瞬いたが、顔を執事に向ける頃には、何事もなかったかのように適当な笑みを取り繕う。



 青年——ソルヴィ・アレクサンデル・グヴズムンドゥルは、グヴズムンドゥル王国の王子であり、本日執り行われる婚約式の主役だった。

 ソルヴィとは、この地域一帯で古くから使われている古代アルン語で、『太陽の光』という意味だ。その名の通り、ソルヴィは光煌めく黄金の髪に、瞳には紺碧のサファイアを携え、まるで空を支配しているかのような美丈夫の持ち主だった。豪奢に仕立てられた軍服から覗く白磁の肌は、男性さえも息を呑み、女性も感嘆の声を漏らすほど。その中性的な面立ちに皆一様に見惚れてしまうという。



「……そうだな。下がっていいよ」



 ソルヴィは口角をキュッと上げてさらに笑ったが、その笑顔からは何の感情も読み取れなかった。

 執事が恭しく退出していったのを見て、ソルヴィはしばし瞑目する。



 これでも容姿は良い方だと自覚している。

 それに驕って行動を起こすような馬鹿(ナルシスト)ではないし、ましてや貴族社会という階級社会(ヒエラルキー)の中では、親の決めた結婚などよくある話だということも理解しているつもりだ。もちろん庶民のように自由に恋愛したいという気持ちも人並みにはあるが。

 しかし、婚約者は親が決めるのではない。まるでくじ引きで伴侶を決めるような、天任せ、運任せな乱暴なやり方に困惑と憤りを感じるのだ。

 


 王太子という身分はただの肩書きに過ぎない。

 ソルヴィはいつだって自由を奪われてきた。

 例えばそれは日々の行動(スケジュール)に始まり、食べるもの、付き合う人間、勉強内容に至る細部まで。何もかも周りの意見や決め事(ルール)に則らなければならない。

 子どもの頃から大好きな魔法でさえ——特に植物魔法が好きで木や花を育てるのが一番の楽しみだったが、王太子の軍歴を育てるのに不要なものとして、攻撃魔法ばかり教わってきた。

 だが、本当のところ植物魔法が好きだったのは、初恋の侍女に花を贈るためだった。師匠には王子として何の役にも立たない植物魔法ばかり教えを請うた所為で、最終的に師匠はおろか侍女までも首を切られてしまった。

 おかげで皮肉にも、人殺しの方が得意になった。剣も攻撃魔法の腕にも自信はある。




(なんて息苦しいんだ……)




 そして、この古臭い因習は二十年前、つまりソルヴィの父である国王と母の婚約式が最も歴史に新しい。貧しい村娘だった母は、ソルヴィによく似た黄金の美女だったという。

 しかしながら、息子のソルヴィから見ても夫婦仲は決して良いものではなかった。夫婦の間には愛よりも義務感が長年支配していたため、良い模範とはなり得なかった。

 もし両親が互いに深く愛し合っていたとしたら、ソルヴィがここまで憤ることはなかったかもしれない。




(……逃げてしまいたい)




 ソルヴィは素直にそう思った。

 何度繰り返しただろうか、思いつく限りの逃げ道を考えては嘆息した。



 聖なる矢は自分で打つのが決まりだ。

 そのため作為的に矢を狙った方向に放つことも可能だが、残念ながらソルヴィに意中の相手というものはない。我こそが側室にならんと浅ましい動機が見え隠れする貴族女性とのお付き合いに、ソルヴィは一度も心が揺れたことがなかった。

 前提条件として、そもそも矢がすんなり狙った方向に飛ぶかも怪しいが。

 よくよく考えれば、矢は矢でも精霊の力の宿る矢だ。それも聖なる。



 矢に選ばれし娘は、グヴズムンドゥル王国に富と繁栄をもたらす聖女になるという。

 歴代の王の中には、自ら見初めた娘を妃にする者もいたが、その時代は必ずと言って良いほど飢饉や政変が起き、国の混乱期となったという。



「殿下、そろそろお時間です。お支度が整いました」



 両開きの扉の向こうから、先程の執事のくぐもった声が聞こえた。

 そんなに長い時間考え込んでいただろうか。ソルヴィは思考を止め、頭をかいて往生際悪く両腕を組んだ。




(行くしかない)




(例え選ばれし聖女がどんな醜女であったとしても)




 ソルヴィはどこか諦めに近い決意表明を胸に立ち上がった。

 執事はすでに扉を開けていて、そわそわとしている表情を隠しきれていない。何せ何十年ぶりかの国事なのだから。




****

 ソルヴィは国王夫妻と臣下たちが見守る中、教会で大司教とともに精霊に祈りを捧げた。所作は研ぎ澄まされたように美しかったが、ソルヴィの頭は真っ白だった。



 そして段取り通り教会の表に出ると、物珍しさに目を輝かせた群衆が待ち構えていた。世紀の瞬間を見逃さまいとする期待に満ちた顔だ。

 ソルヴィは、やはり何も考えずに群衆に笑顔を向けた。いつもの慣れた手つきで手を振ると、歓声と共に女性たちの黄色い悲鳴が混じった。



 ソルヴィは司祭から矢を受け取ると、手元に訝しげな顔を向けた。司祭からは何も見えていないだろうが。



 ソルヴィは聖なる矢を初めて見た。

 豪華な装飾が施された立派なものではない。羽根も(かん)も質素で、肝心要の(やじり)部分でさえ、何の鉱石でできているのか、歪な尖った形をしていて殺傷能力もあるとは思えないものだった。ボロ以下と言っても過言ではない。




(——そうだ!)




 ふとソルヴィの頭に考えが閃いた。挑戦的な笑みを浮かべると、身を屈めて弓矢を引く。

 周囲はざわついた。

 ソルヴィは自分自身の真上に向かって弓を引くと、弦を力一杯引いたのだ。

 周囲がざわついたのは、もしや自分に向けて打とうとしているのでは?と安易に想像できたからだ。

 不審そうな声。心配そうな声。臣下たちも冷や冷やしてソルヴィから距離を取るように後ずさった。見物客の後方が驚いて尻もちをつく。



 ソルヴィの心境はヤケクソに近かった。

 物理法則上、空気抵抗さえなければ、真上に投げた物体は真下に落ちるものだ。あいにくなのか、天気は快晴、風も凪いだように静かだ。

 だが、聖なる矢は自分を傷付けたりしないだろう。ソルヴィは根拠もなくそう思った。



 そしてソルヴィが弦から指を離した瞬間、更なるどよめきが生まれた。

 矢はソルヴィの頭上を威勢良く直進した。形が分からないところまで高く上昇していくと、ある一定の高さで動きを止めたかに思えた。

 ああ、落ちる。観客たちは戦々恐々とした面持ちで見ていたが、矢は落ちなかった。

 それどころがまるで生き物のように方向転換したのだ。

 海の方角ではなく、国境のある山に向かって。

 恐る恐るどよめいていた声が歓声に変わった。



 矢は流れ星のように閃きながら山に落ちていった。



「早速周辺の村々触れを出すように」



 ソルヴィの背後で、歓声の中一際落ち着いた低い声が聞こえた。

 王の指示だ。側に控えていた臣下は興奮も冷めやらぬ顔で頭を下げた。

 王の怜悧な栗色の瞳は、ヤケクソな気持ちから不思議とわくわくした気持ちになって、挑むような笑顔を空に向けているソルヴィを捉えた。

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