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醜い娘

 ある日の晴れた昼下がり、シグルンは山の麓にある村の小道を歩いていた。

 足を繰り出す度に背中の薬箱がカタカタと揺れた。思いの(ほか)薬箱が重いため、幾度となく背負い直しながら、シグルンは簡素な石造りの家々の間を練り歩いた。

 庭仕事をする者、井戸で水を汲む者、立ち話をする者、ただすれ違うだけの者など、時折村人たちとも出くわしたが、シグルンは白い目で見られたり、罵られたり、これ見よがしにひそひそ話をされた。



「わ! 魔女が来たよ!」

「すごい顔の女だなぁ」

「村に何しに来たんだ?」

「毒を売り歩いているんじゃないのか?」

「しっ、余計なことは言うんじゃないよ」

「目が合ったら呪われるかもしれないぞ」



 シグルンは内心では腹を立てながら、好き勝手言う村人たちに何も気にしてませんとばかりに強気に笑みを返した。艶を帯びた黒曜石の双眸が怒りで揺らめく。

 村人たちは恐れをなしたのか、一様に引きつった顔をし、それ以上何も言わず退散してしまった。

 そう、言い返さなければ、罵声も嘲りも長く続かないことをシグルンは知っていた。




(みんな、好き勝手に言って!)




 だが、村人たちが去ったことを確認するや否や、シグルンは癖はないがパサパサの長い白髪頭を掻いた。不満顔で唇を真一文字に結べば、口元に刻まれた皺が濃くなる。




(私は魔女じゃないし、毒も売ってないし、呪いもかけないんだけど!)




 シグルンは心の中で村人たちに毒突いた。

 本当ならば怒りを露わに強く言い返したって良いくらいだ。何を根拠に、ふざけるな、馬鹿にするな、と。

 だが、気持ちとは裏腹に、喧嘩を売るほどシグルンは強くなかった。力も弱いし、魔法も使えないのだから。



 実のところ、シグルンはお姫様でもなければ、貴族の令嬢でもない。魔女のようななりはしているが、魔法使いでもなかった。

 普段は人里離れたところで養母と暮らしているが、こうして時折集落に足を運び、庭で採れた野菜や花、薬草を生活の足しに売っているのだ。

 とりわけ薬学については、養母の元王宮魔法使いという輝かしいキャリアもあってか、そのお陰でたくさんの知識に恵まれていた。




(……だけど、顔が良くないのは認める)




 悔しいが、シグルンは大きく嘆息した。



 そう、一方で、シグルンとて容姿が悪い自覚はあったのだ。



 背中まで伸びた髪は元気のない白髪。顔の真ん中にくっ付いた大きなかぎ鼻。目元と口元にナイフで切り刻まれたような深い皺。

 そして何より人目を引いて特徴的なのは、人間離れしたやや尖った耳で、シグルンの人相を一層悪く見せていた。



 しかしながら、驚くべきことに、これでもシグルンはれっきとした()()()だった。

 こんななりをしている所為で、性格も少々暗めであり、同年代の友達がいないことも察するに余りあるだろう。

 子どもの頃、仮面ごっこと称して村の子どもと遊ぶこともあるにはあったが、顔がバレたときとの友人たちの表情と言ったら、ひどいと言ったらありゃしなかった。悲鳴を上げて逃げたのだ。その後しばらくして友達は謝りに来たらしいが、シグルンは受け入れることができず、それ以降閉じ籠ることが多くなった。今更ながら、とても悔やまれることをしたと思う。良い友達だったのに。



「シグルンおばあさん、母ちゃんが森でいばらに引っ掛かって、傷口が化膿しちゃったんだ。今すごい熱なんだけど、薬を分けてもえない?」



 唐突に呼びかけられて振り返ると、十くらいだろうか、少年がシグルンの飾りのない灰色のそそけたスカートの裾を掴んでいた。

 少年は小さな身体を小刻みに震わせ、まるで自身が苦しんでいるかのような面持ちでシグルンを見上げていた。

 シグルンは小さく驚きの声を漏らした後、切れ長の目を細める。



「何だ、ヨウン坊やじゃないの。私はおばあさんじゃないっていつも言ってるでしょうに」

「いやいや、何言ってるのさ。どっからどう見たっておばあさんじゃん」

「ちょっ……」

「本当ボケっちゃってるよねぇ、おばあさん。それよりもお願いだよ」

「……私はおばあさんじゃないのに」



 シグルンの声は見た目に反して、響くような透明感があって美しかった。

 だが、外見が老女なだけに、誰も指摘する者はいなかった。こうしたシグルンの反論でさえ、老婆の戯言か、病気のような妄言に思われているのだろう。

 とは言うものの、シグルンはヨウンに怒っているようで、実は怒っておらず、ヨウンに優しく諭しただけだった。

 先刻の村人たちのように、あからさまに敵意を向けられるのでなければ、怒る必要などなかったからだ。



「ほら、これを持っていきなさい。お母さんに煎じてあげれば、少しは楽になると思うから。」

「……良かったぁ!」



 シグルンはそう言って、背負子(しょいこ)を下ろして箱から薬草を取り出した。

 ヨウンは申し訳なさそうに、けれども嬉しそうに両手を差し出した。



「やり方は分かるわね?」

「うん、こないだもらった薬草と同じやつだね。お茶にして飲むやつ!」

「そうよ、ヨウン坊やは賢いわね」



 ヨウンは心底嬉しそうにふやけた笑みを浮かべた。

 誰かの役に立つこと、これほどやり甲斐のあることはないだろう。シグルンは馬鹿にされて嫌な気持ちを食らっていたところに、助けた側でありながらも自分が救われたような気持ちになった。

 シグルンは満足気に微笑み返す。



 器量が悪いせいで陰口を叩く者も多いが、シグルンは卑屈な態度は表に出さない。

 治癒魔法に長けた医師が希少で、民間の医師である薬師も不足しているこの世界では、シグルンの賢さは村人たちから一定の評価を受けていたからだ。

 その証拠に、山に迷い込んだ旅人や、シグルンを嫌う村人たちが嫌悪を込めて『魔女』と揶揄する一方で、シグルンの優しさや賢さに惹かれた村人たちは、『おばあさん』と呼んで慕っている。



(おばあさんじゃないけどね……)



「だけど、全然払えるお金がないんだよ……どうしよう……このままじゃ母ちゃん、苦しそう……」

「仕方ないから、お代は出世払いで良いわよ」

「ありがとう、シグルンおばあさん!」



 少年ヨウンもまた、シグルンを慕ってくれる数少ない村人の一人だった。

 まぁ、一度でも代金を貰った試しはないが。子どもなので仕方がないだろう。



 しかしながら、これまで卑屈になったことがないと言えば嘘になる。

 シグルンは今年で二十半ばにもなる。十五から十八が結婚適齢期と言われる世の中、シグルンはとうに行き遅れているのだから。物心つくころから鏡を見ては、己の容姿に何度恥ずかしさと悔しさで震えたか分からない。

 特に子ども時代は引き篭もってばかりの暗黒時代だった。

 だが、幸いにも知識がシグルンの自信(アイデンティティー)の拠り所になった。それは養母が惜しみなくシグルンに才を与えた結果に他ならない。

 シグルンがこうして再び外に出られるようになったのは、養母のおかげだった。



「だからおばあさんじゃ……」



 シグルンは言いかけたが、ヨウンはすでに駆け出していた。

 やれやれと背負子を背負うと、老婆の姿に似つかわしくなく背筋をぴんと張る。



「シグルンおばあさん、ちょっと様子を見てください」



 少し離れた場所で、見知った男がおーいと手を振っていた。

 ああ、あの人はヨウンの知り合いで、いつも痛み止めの薬草を買ってくれるお得意さんだ。

 シグルンは発破をかけるように一息ついてから手を振って、優しく微笑み返した。

 ややあって苦笑された気もするが。



 そして、シグルンは心持ち軽く歩き出した。



 周囲の木々の葉は優しく揺れ、小鳥は歌うようにさえずっていた。少し仰ぎ見れば、青い空も雲一つなく清々しく美しい。

 皮肉にも、何もかもがシグルンとは正反対に思えた。




 ————ふいに、視界の上で何かがきらりと光った。




 雨が降っているわけではないのに、雷が落ちたようだった。

 いや、夜でもないのに流れ星が落ちたのか。



 シグルンの黒曜石の瞳が閃いた。


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